023 魔樹海の中では油断できない
結局、2時間近く掛かって、船まで100モラのところまで近付いた。時間が予想以上に掛かったのは、フィルナの体力が限界に近かったからだ。途中、少しだけ休憩して、簡単な食事も取った。
俺たちが今いるのは魔樹のてっぺん近くの枝の上だ。船の周りには多くの魔獣が集まっているかもしれない。だから少しでも危険を避けるために、船まで500モラくらいになったところで浮遊魔法を使って魔樹の上空ギリギリに上がったのだ。そして俺もフィルナもふわふわ浮かびながらテオドに念力魔法で引っ張ってもらって、ようやくここまで来た。
テオドがこの場所から探知魔法で船の近辺を探ったところ、魔獣は一頭だけだと分かった。探知魔法は魔獣の種類まで識別できるのだ。
『ネバグパイダーロード(魔獣蜘蛛)だな』
テオドは今、俺に念話で話しかけている。テオドがここは音を出すと危険だからと言うので、三人で念話魔法を使って会話することにしたのだ。
俺の〈知識〉によると、この魔獣はネバグパイダー(酸糸蜘蛛)がロード化したもので、魔力は〈460〉。名前のとおり酸の糸を自在に使ってくる蜘蛛のバケモノだ。脚を広げたら5モラを超える大きさがあるという。今まで俺が遭遇した魔獣の中では最強だ。
『ちょっと面倒くさい相手だな。その代り、周りの雑魚がいなくなるから、そういう意味ではいいけどな』
『ざ、ざこがいなくなるって、どういうことだ?』
ちょっとぎこちないが、俺の方からも念話が通るようだ。
『雑魚の魔物は蜘蛛の糸に絡まって身動きできなくなるか、逃げて近付かなくなるからな。おれたちから言えば、魔獣蜘蛛だけを相手にすればいいのさ』
『でも、テオドでも面倒なんだろ? 倒せないってことなのか?』
『いや、そうではなくて、糸を取り払うのが面倒なだけだ。だが、おまえたちが近付くと確実にバリアごと糸に絡まる。しかも、おまえたちの魔力では魔獣蜘蛛の糸を切るのは容易ではない。だから近付くな』
『つまり、私たちはここで待っていればいいの?』
フィルナのほうが念話に慣れている。ダリナさんと内緒話をするときは、いつも念話を使っていたそうだ。
『ああ、この枝の上で待っていてくれ。ほかの魔物や魔獣に気を付けるんだぞ』
テオドはそう言って浮遊魔法で船のほうへ下りていった。
フィルナと俺は太い枝の上で魔樹の幹にもたれ掛かって座っていた。二人とも脚を伸ばしてぐったりしている。これから魔獣蜘蛛と戦おうとしているテオドには申し訳ないけれど、正直、俺は疲れていた。走っては疲れて歩き、また走り出すというのをずっと続けていたからだ。フィルナも似たような状態だろう。ましてや母親を自らの手で死なせてしまったのだ。精神的にも参っていると思う。
魔樹のてっぺん近くに来ると、所々から青空が見える。もうじき夕方だ。微かな風が頬に当たり火照った体には心地よい。
隣で座っているフィルナは目を閉じている。眠っているようだ。俺も眠ろうかな……。
『ダイル。助けてくれてありがとう。ここまで来てくれてありがとう。うまく、言葉にできないけれど、心から感謝してます』
寝てると思っていたから、フィルナからの念話に俺は驚いた。隣のフィルナに目を向けると、ばっちり目が合った。
『い、いや……。そんなことを言われると、こっちがドギマギしてしまうよ。それより、フィルナには謝らなきゃいけないと思ってるんだ』
『え? どうして?』
『ええと、フィルナたちが船に戻ろうとした事情も知らずに、身勝手で言いたいことを遠慮なく言う女だと思ってたから……』
『そうよね。私は身勝手で浅はかな女だわ。そのせいで、お母様を死なせてしまったの……』
フィルナは目を伏せた。
『いや、そうじゃないんだ』
俺は慌てて否定した。
『それは俺の勘違いだったんだ。フィルナが魔樹海に沈んだ船に急いで戻ろうとした理由も分かったし、フィルナとダリナさんの強い絆と言うか、深い愛情と言うか……。ともかく、フィルナたちの強い意志と勇気に、なんて言うか、感動したんだ』
しどろもどろな念話になってしまった。俺が言いたかったことが伝わったろうか。
フィルナは俺をじっと見つめている。そんなに見ないでくれ……。可愛い顔でそんなに見られると、俺は惹き込まれそうになるぞ。
『やっぱり、あなたは変わってる。そんなに素直に自分の気持ちを言葉にする人はいないよ?』
『そうなのか?』
俺はこっちの世界の人間じゃないから、そういう機微なところが分からない。
『うん。あなたのことをもっと知りたいけど……。私はあなたのことを何も知らないから』
たしかに、そうだ。意図したわけではないが、俺はフィルナの事情を色々と聞いてしまった。でも、フィルナは俺のことは何も知らない。と言うか、きっと変な風に勘違いしているはずだ。
今際の際にダリナさんは俺にフィルナのことを託した。任せろと俺は約束した。それを守らなければならないし、俺は今、心からその約束を守りたいと思っている。自分のことを率直にフィルナに話すべきだ。
『俺のことを話すから聞いてもらえるか?』
フィルナが頷くのを確認して、俺は話を続けた。
『俺は実はこのウィンキアとは違う世界で……』
『待って! 魔獣よ! 魔獣が近くにいるわ!』
警告を発してフィルナが立ち上がった。俺も急いで立ち上がる。たしかに風に乗って強烈な獣臭が漂ってくる。やはり魔樹海の中では油断できない。
魔獣は風上にいる。右方向だ。
いた! あいつだった。テオドに右腕を切り落とされた魔獣猿だ。たぶん、俺たちの後を追ってきたのだろう。
魔獣猿は隣の魔樹に飛び移ってきた。枝の上で立ち上がって、「グァウォーッ!」と雄叫びを上げた。
「誘導弾が来るぞっ! 浮遊魔法を使え! あいつの視界から隠れるんだ!」
俺は声に出してフィルナに叫んだ。フィルナは頷くと浮遊魔法の呪文を唱えた。
その直後、俺たちに向かってスイカ大の岩が何個も飛んできた。一発は俺のバリアに当たって爆発し強い光を発した。衝撃で俺は数モラ飛ばされた。バリアの耐久度が一気に30%を切る。次が当たれば俺の命はない。
俺の〈知識〉によると、どの魔獣でも言えることだが遠距離から撃ってくる誘導弾には魔力が込められているそうだ。当たれば瞬時に爆発するから、バリアが薄いと簡単に破られてしまう。
フィルナのバリアにも一発が当たったが、浮遊魔法が掛かっているフィルナは弾き飛ばされて遠くの方へ流れていった。視界から消えたから、魔獣猿からも見えなくなったはずだ。
結局、俺たちに当たったのは2個だけだった。残りの誘導弾は魔樹の幹や枝に当たったみたいだ。だが、このままだと一方的に攻撃されて俺は死ぬことになる。どうする!?
俺は昨日、スキルの実技訓練をしたときに、魔樹海の中で戦うケースを色々想定しながら試行錯誤を繰り返した。使うスキルも決めていた。今回は「蜘蛛糸移動」だ。このスキルは蜘蛛糸の魔法を使う。壁や樹木などに蜘蛛の糸を射出して付着させ、糸の弾力を使いながら手繰り寄せることで自分の体を一気に移動させるのだ。
元々のテオドのスキルは樹間を蜘蛛の糸にぶら下がって移動する方式だった。しかし、なんとなくテオド方式はかったるい。俺の頭の中には、何年か前に見た映画のイメージがあった。蜘蛛男が主人公の洋画だ。それを思い出しながら試行錯誤とスキルのプログラム修正を行って、蜘蛛の糸を使って空中を3次元移動する方式に昇華させた。この移動の凄いところは蜘蛛の糸を次々と射出することで空中を渡って移動できることと、相手が予測できない動きができることだ。
俺が蜘蛛糸で飛び移ろうとしているのは魔獣猿がいる場所だ。遠距離攻撃をしてくる敵には至近距離まで近付いて相手の攻撃を封じるしかない。
蜘蛛糸移動のスキルを発動すると急激に体が加速した。同時に右手から蜘蛛の糸がどこかに向かって射出されて、俺はその糸に引っ張られて体が空中に浮かんだ。左手から次の糸が射出された。今度は左側に引っ張られて体が移動する。
魔獣猿は俺を見失ったようだ。ヤツは辺りを見回しているが、俺はずっと魔獣猿を見ていた。魔獣猿がいる位置を回り込むようにして、俺は樹間で蜘蛛糸移動を続けて、魔獣猿の背中側にふわりと着地した。
これで魔獣猿は俺に対して飛礫は使えないはずだ。しかし、この猿と至近距離で剣を使って戦っても勝てる気がしない。ましてや格闘技で真正面から戦うなんて論外だ。なにしろこの魔獣猿は3モラを超える体長なのだ。
魔獣猿は俺が足元に着地したことに気付いたようだ。「ガウゥゥ!」と唸り声を上げながら後ろに向きを変えようとしている。俺を掴まえて握りつぶすつもりだろう。
捕まってたまるか! 俺は次のスキルを発動した。格闘技を使う。ただし、猿の背中側からだ。使うスキルはテオド流の脳天逆さ落とし。プロレスのバックドロップと基本的に同じだ。偶然にもテオドがバックドロップと同じ動きをする技をスキルとして登録していたのだ。
俺の体はスキルの誘導に従って動いた。魔獣猿の股間に頭を入れて右脚の太腿を抱えた。「ガウゥ?」と猿が奇妙な声を発する。強烈な臭さだが、俺はそれを我慢してそのまま後ろに反り返った。
魔獣猿が体勢を崩してよろけた。猿の体重が俺の体に圧し掛かってくるが、スキルが自動的に筋力強化をして俺の体はギリギリのところで体重を支えた。
俺は猿の脚を抱えたまま後ろの方に倒れていった。魔獣猿はたぶん手で枝を掴もうとしたのだろうが、掴みそこなったようだ。なにしろこの猿は右手を切り落とされているからな。さらに体勢を崩して後ろに倒れていく。
このスキルは普通であれば、相手の脳天から地面に落ちることで大きなダメージを与える技だ。ハッキリ言って地味ワザなのだが、今の俺の狙いは脳天ではない。
魔獣猿はそのまま背中側に倒れて地面に手を突こうとした。しかし、俺たちがいるのは枝の上だ。魔獣猿は体勢を崩したまま、枝から外れて空中に躍り出た。俺も猿の太腿を抱えたまま一緒に落ちていく。
※ 現在のダイルの魔力〈100〉。
※ 現在のフィルナの魔力〈150〉。




