021 フィルナがロードナイトを継承する
―――― フィルナ(前エピソードからの続き) ――――
とにかく早くお母様の手当てをしなきゃ。キュア魔法の呪文を唱えた。
「お母様、キュア魔法を掛けたからね……。大丈夫、きっと治るから……」
お母様に語りかけるが反応は無い。でも息はあるから絶対に大丈夫。お母様は私が必ず守る。
だけど、なんだか変だ。さっきから飛礫が飛んで来ない。猿たちの声も静かになった。もしかすると猿たちは退却したの? 私のバリアでお母様を一緒に包んで守りを固めているが、攻撃が無いのは不気味だ。
いや……、何かが近づいてくる。強烈な臭い。そして獣の息遣い。もしかすると……、スロンエイブロード(魔獣猿)なの?
影が見えた。大きい。魔獣猿だ。背の高さは3モラ以上あるかもしれない。
ゆっくりと歩いてくる。私の方に一歩、一歩。
攻撃して来ないのはどうして? 何をする気? お母様を倒したから、もう自分の獲物だと思ってるの? でも、そうはさせない! 私がお母様を守る!
そうだ! 今なら魔獣猿は目の前だ。攻撃魔法で殺せるかもしれない。
私が熱線魔法の呪文を呟き始めると、魔獣猿はそれを察知したようだ。両腕を高く上げて「グォオーッ!」と咆えた。圧倒的な音量だ。同時に何か大きな物が私のバリアに当たって眩い光を発した。凄い衝撃。思わず顔を伏せて、お母様を強く抱きしめた。その直後「パリン」という音がして、いとも簡単に私のバリアが砕けた。
あはは……、笑ってしまう。これで終わり。なんてあっけない幕切れなの。
お母様を守るとか、魔獣猿を殺せるとか思った自分が可笑しい。結局、私は何もできなかった。あとはこの魔獣猿のエサになるだけ……。
「おかあさま、ごめんなさい。ククルにいさま、ごめんなさい……」
涙が次から次に溢れて、止まらない。お母様の左手が私の右手を握り返した。聞こえてるの? 聞こえてるのね?
「お母様、私たちは一緒よ。ずっと一緒にいようね」
「フィ……、フィルナ……」
お母様のか細い声を掻き消すように酷い獣臭さが迫ってきた。顔を上げると、目の前には真黒な脚がある。魔獣猿だ。息が臭い。見上げると、魔獣猿は私の頭上から腕を伸ばしてきた。
捕まってしまう!
「いゃっ……、イヤーッ!」
思わず顔を伏せて、お母様を抱きしめた。
「させるかっ!」
後ろの方から誰かの声が迫って、風のように通り過ぎた。
同時に「グギャーッ!」という魔獣猿の叫び声が聞こえて、ドスンと重たい何かが自分の肩に当たった。衝撃に息が詰まる。
なに? 腕だ! 私を掴もうとしていた魔獣猿の腕が誰かに切断されて、それが落ちてきて肩にぶつかったのだ。その腕が私の足元に転がっている。
目の前にいた魔獣猿が消えていた。魔樹海の奥へ走っていく足音が聞こえた。
「ダイル! フィルナたちを守れっ! おれはボス猿を殺る!」
「分かった。まかせろっ!」
テオドさんとダイルだ! テオドさんの声が魔獣猿を追っていく。
「怪我をしてるのか? 見せろ」
すぐ後ろからダイルの声がした。
「私じゃないの。お母様が……」
「おかあさま? だれだ?」
「あ……。ダリナ先生よ。先生が私のお母様なの……」
「えーっ!? ええと……、その話は後で聞くとして……」
そのとき、頭上から飛礫が次々と降ってきた。危ないと思う間もなく、飛礫は私に当たらずに光を発して消えていく。いつの間にかダイルがバリアを張ってくれていたのだ。
さっきまでは猿たちからの攻撃は止んでいたが、魔獣猿が私たちから離れたので攻撃を再開したらしい。猿たちの鳴き声も喧しくなっていた。
テオドさんやダイルが来てくれたから、こんな猿たちには負けないだろう。お母様も助かるかもしれない。
いや……、テオドさんなら安心だけど、ダイルはダメだ。ダイルのバリアなんてソウルオーブの魔力〈10〉のバリアだ。きっと、すぐに破れてしまう。
「フィルナ……。ダリナさんの怪我の手当てを……、しないといけないけど……、今はちょっと……、余裕が……、ない」
あぁ……、やっぱりダメよね。ダイルでは、猿たちからの飛礫攻撃に耐えられるはずがないから。
あらっ? でも、なんだか様子が変だ。バリアに当たる飛礫が減って来ている気がする。見ると、暗闇の中に何本もの赤い線が走って、何かに当たって光を発して消えている。
もしかして魔法で飛礫を撃ち落としてるの? そんなこと、できっこないよね?
あっ、テオドさんがそばで守ってくれてるのかな? いや、そんなはずないわ。テオドさんは離れた所で魔獣猿と戦ってるもの。
ドサッ! 何か黒い塊が魔樹の枝から落ちてきた。猿だ。ドサッ。ドサッ。次々に猿が落ちてくる。
「ダイル? ダイル、あなたなの?」
「え? あぁ。飛んでくる石だけじゃなくって、猿も動いてるから熱線魔法を当てられるようになったんだ」
「どうして……?」
わけが分からない。ダイルは普通の人族のはずなのに。
やがて、石は飛んで来なくなり、周りから聞こえていた猿たちの鳴き声も消えた。
「残りの猿たちは逃げたみたいだな」
「ダイル、ありがとう。なんてお礼を言っていいのか……」
「それより、ダリナさんだ」
そう言いながらダイルがお母様を草の上に横たえた。手のひらをお母様に向けて頭から足先まで調べているようだ。呪文を唱えてないけど、検診の魔法なの? どうしてそんなことができるの?
「左の肩口が大きく抉られているのと、腰から右脚にかけても筋肉が抉り取られている。内臓が大きく傷ついてるな」
お母様の傷口に向かって手をかざしながら「むつかしいな……」とダイルが呟いた。キュア魔法をかけているのだろうか? あなたはいったい何者なの?
「内臓の出血が止まらない。キュア魔法をかけたけど、俺の魔力じゃダメみたいだ……」
「フィ、フィルナ……」
小さな声が聞こえた。お母様? 意識が戻ったのね。
「おかあさま! 私よ。分かる?」
お母様は微かに頷いた。
「よかった……。ダイル、ありがとう」
「フィルナ……、あたしは……、もう……、ダメみたい……。からだの……、感覚が無いの……」
「お母様! そんな、弱気なこと、言わないで!」
「いえ……、本当のこと……、言ってるだけ……。フィルナ、あたしを……、ころしなさい……。継承の……、契約を……、果たすの……。ラストアタックを……、取って……。あなたが……、ロード……、ナイト……、引き継ぐの……」
「継承の契約なんて、守れるわけないよぉ……」
私はお母様の手を握って、必死に言った。お母様を自分の手で殺すなんてできるわけがない。涙が次から次にと溢れてくる。お母様、死なないでっ!
「このまま……、無駄に、死にたくないのっ! あたしの……、心臓が……、止まる前に……、はやく……、はやく殺してっ!」
私は、いつの間にか右手にナイフを持っていた。ダイルが持たせてくれたのだ。
「ダイルさん……、ありがとう……。フィルナを、フィルナを……、おねがいします……」
「わ、わかった……。まかせて……くれ。俺が、フィルナを守る」
ダイルの言葉にお母様は小さく頷くと、私に向かって微笑もうとした。苦しいはずなのに、なんて優しい目をしてるのだろう。
「フィルナ……、ククルを……」
「うん、必ず助ける!」
左手でお母様の手をぎゅっと握ると、安心したのかお母様は微かに微笑んで目を閉じた。
「さぁ……、刺して……。ゆうきを……、出して……」
「おかあさま。ごめんなさい。そして、いままで、ありがとう……」
私は嗚咽の声を漏らしながら、お母様の胸にナイフを突き刺した。
――――――― ダイル ―――――――
フィルナはダリナさんの亡骸を抱いて静かに泣き続けている。
俺は一部始終に立ち会って心の底から感動していた。本当に強い女性だ。ダリナさんも、フィルナも……。
継承の契約という言葉が聞こえてきたとき、俺は〈知識〉からそのことを一瞬で理解した。だから、ダリナさんの気持ちが痛いほど分かって、持っていたナイフをフィルナに渡してしまった。自分で自分の行動が信じられなかったが、自然と動いてしまったのだ。
継承の契約とは、正確に言えば、ロードナイト継承の契約だ。自分の家族や愛弟子の中から特定の一人を選んで、ロードナイトを継承することを予め契約の形で登録しておくのだ。それは、ロードナイト本人が相手の契約者によって殺されることを承諾したということを意味する。どの国の法でも認められている行為だ。
愛する子供にロードナイトを継承させたい。自分が高めてきた魔力やスキルを引き継がせたい。それができるなら、自分はこの子に殺されても満足だ。そういう親の気持ちから生まれた契約なのだ。これは親殺しや親方殺しが合法的なものであることを証明するための契約だった。
ロードナイトが不治の病になったり瀕死の重傷を負ったとき、そのまま死ぬのではなく、継承の契約の下、愛する子供に殺される道を選ぶということだ。
そして、ダリナさんもその道を選んだのだ。
フィルナは自らの手でダリナさんの命を絶って、ただ泣き続けている。だが時間が無い。今やるべきことは一つだ。
「フィルナ。ソウル格納の魔法を使うんだ」
俺の言葉にフィルナはコクリと頷き、泣きながら呪文を唱えた。これで、ダリナさんのロードオーブに格納されていたソウルがフィルナのオーブへ移ったはずだ。フィルナがダリナさんからロードナイトを継承したのだ。
その直後、大きな木箱が地面に現れた。
※ 現在のダイルの魔力〈100〉。
※ 現在のフィルナの魔力〈150〉。




