16、そして噂はこうして広まる
毎週日曜日投稿作品です。
その頃の橘コーポレーションの本社ビル最上階の廊下を歩いていた圭吾は顔を引き締めた。
従兄でありここの代表でもある慎一郎から呼び出され、代表部屋に向かっていた。
廊下突き当たりの代表部屋へと続く扉を開けば、広い室内の両サイドに机が並び、数名の秘書たちが机に着いて仕事をしていた。
その中に会長付きの若い秘書だけが見当たらなかったが、会長から何か指示があって忙しくしているのかもしれないとスルーし、秘書達に一礼される前に挨拶は不要と手で制した。
代わりに2人分のコーヒーを頼み、代表がいる支社長部屋の戸をノックした。
「圭吾です」
そう言うと「入れ」と返事が返って来た為、入室した。
呼び出した相手は待ちきれなかったのか、応接セットの前でウロウロと忙しなく移動していた。
会長を若くしたような50代の男性が入って来た圭吾を見て、目が血走った笑顔を向けてきた。
怖ーよ。何があった?
「遅いぞ!圭吾!」
「申し訳ありません。これでも連絡をもらってすぐ来たのですが、何か急ぐ理由でもありましたか?」
「急ぐも何もあの風雲児の娘がうちに入ってくれるそうじゃないか!これが騒がずに居られるか!?」
あー・・・・そこか。
まずは落ち着いてもらおうと応接セットの椅子を勧め、自身もテーブルを挟んだ向かい側に座った。
「昨日お前と三田くんがその子の面接をしたらしいな」
「ええ。で?どこまで会長から聞かれてます?」
その時に部屋にノック音が響き、先ほど頼んだコーヒーが運ばれて来た。
「面接を行った経緯は真吾からの要望だったことと、今度インターン生として来る彼女が父親似で相当頭がキレること。それと最も驚いたのがあの三田くんの掌中の珠ということだ!」
掌中の珠!
偽装関係なのに、もうそんな風に言われているのか。
圭吾は運ばれて来たコーヒーが従兄と自分の前に置かれる状態を目にしながら内心、噂怖!と震えた。
しかしコーヒーを持ってきた30代男性秘書の耳がダンボになったままトレイを抱え、その場から動かないことに気がつき、牽制の意味も込めて笑顔で「ありがとう」と言い秘書を退出させた。
亮介の噂は今朝からとんでもない速さで拡散され、今最も旬な話題だけに情報を仕入れたいのだろうが、嘘が混じっている分、できれば秘密にしておきたいと必要のない人間は追い出した。
その上で目の前のこの人にどこまで言えば良いものか悩む。
視線を合わせたくなくてコーヒーカップを持ち上げ口をつける。
「お前会ったんだろう。どんな子だ?」
テーブルを挟んでいることもあり身を乗り出して興味津々とばかりに聞いて来る従兄の上司に事実のみ口にする。
「昨日の面談ははっきり言って出来レースです。そう言う意味では彼女の聡明さは昨日の段階では私はわかりませんでした。ですがあの真吾が太鼓判を押すほどの子です。亮介以来と豪語するならそうなのでしょう」
後ろめたさから視線を外して言う圭吾には全く意に返さず、その内容に興奮したかのように鼻息を荒くさせ代表は呟いた。
「まさに風雲児の子と言う名に相応しい頭脳を持つ子か。慎吾の奴、いい加減うちに就職すればいいものをいつまであんな職にこだっているのかと思っていたが、まだ使い道があったな」
まあ多少はうちに利がある行動をとっているから許されているが、本来はここで力を振るうべき能力だと兄の圭吾も思っているだけに何も言えなかった。
「彼女がうちに就職してもらえるなら言うことはない。それより三田くんとのことだ。かなり仲がいいらしいじゃないか」
「・・・・・どの辺あたりの話です?」
「今日彼の話で持ち切りだろう。とにかく可愛い彼女を人の目に晒したくないとずっと隠して来たとも聞いたし、彼女は昔から三田家に出入りしていて親公認とも聞いている。何より今日彼は仕事中ずっと彼女の写真を見ながら穏やかな顔でデスクにいたそうじゃないか」
その言葉に圭吾は、そうなんですよ!と硬く目を閉じた。
ガチャン!と行儀は悪いが音を立ててカップをソーサに戻した圭吾は、先ほど帰り際に寄った亮介に会った時の事を思い出し、戸惑いと動揺でクッとへの字口に曲げた。
約1時間程前に、今日の午前中の仕事分が終わったので退勤しますと挨拶に来た亮介に圭吾は、は?と腕時計を見た。
ただいまの時刻10時ちょい過ぎ。
「もう終わった?」
戸惑いの声を上げたのは仕方なかった。
始業して2時間経っていない時間に嘘だろうとデスクについたまま亮介を見上げたら、これまで見たこともない穏やかな表情で「終わりました」と言われたのだ。
「早くね?」と突っ込んだら、あの亮介では考えられないほど周りに花を飛ばす勢いで「これほど仕事が捗ったことはありません。静かな環境で集中できたのは行幸でした」と指輪を愛おしそうに見た亮介を、圭吾は雷にビシャーン!!と打たれたように思考が停止した。
「そう言うわけで今日はもう退勤しますので以後仕事の連絡は控えてください」
周知徹底お願いします。と言い捨てて、あいつはそそくさと退勤して行ったのだ。
呆然とする中、亮介退出後部屋を覗きに来た秘書が心配し、声をかけられるまで思考が止まったままだった。
「亮介は!?」
「え、とっくに帰られましたよ」
キョトンとした表情の秘書に言われ、嘘だろう・・・と冷や汗が出た。
偽装なのにあの表情や行動はどう言うことだ?
混乱しながら亮介の部署に行き、上司のシンに話しかければ彼も驚いていた。
「いや〜本当に驚きっぱなしですよ。まるでリミッター外したかのような仕事の取り組み方で、あっと言う間に仕事を仕上げて帰っていきましたから」
シン・ウォンソク。
彼自身は韓国国籍だが奥さんが日本人ということで日本語、英語、韓国語と話せるトリリンガルだ。
現在5歳になる娘を持つ1児の父だが、韓国人特有の優しさと情熱を持った性格なため男女問わず人気のある上司の一人だ。
奥さんともいまだ新婚かい?と聞きたくなるほど仲が良く公私共に充実した人物だ。
そんな彼でさえも亮介の変わりようには脱帽とばかりに肩をすくめた。
「リミッター?」
「ええ、彼に執心する可愛い彼女が本当にいたのだと噂が一瞬で流れて、しかも婚約していたと聞いて一気に彼の周りが静かになったんですよ。もちろん彼の預かり知らぬところでは今でも噂の的ですよ。けれど彼自身はそんなこと関係なく邪魔が入らず集中できる環境に嬉々として仕事に取り組んだところ馬力がいつもの10倍になった程に捗ったんですよ」
恐ろしい現象に言葉を失う圭吾に、シンは笑った。
「彼も一人の男だったのだと何度感じたか。彼女との2ショット写真をスマホの画面に設定していたそうですが、仕事しながらスマホ画面を何度も見ては目元を緩ませる彼を見てたらちゃんと血の通った人だったんだと何故かほっとしたんですよ。それまでの彼は気を張り詰めすぎていて、いつその糸が切れるのか心配していたので」
慈愛に満ちたシンの表情に後光が差し圭吾は、う!と眩しそうに手で遮った。
「スマホ画面をそんなに見てたのか?」
圭吾は疑問を口にすると思わぬところから返答が返ってきた。
「そんな、なんて頻度じゃないですよ」
2人の会話を聞いてたのか松島が後ろを通りがけに口を挟んで来た。
驚き振り返った時、もう1人の人間が追加情報を漏らした。
「もう腹が立つほど頻繁に見てましたよ」
そのもう1人はインテリ男の松前だ。
「彼女のことを思い出しながら仕事してミスするかと思ったのに逆に馬力上げるとか、どういう思考回路してるんだか。結局は化け物ですよ」
その言い方を聞いて圭吾はなるほどと、逆に冷静になれた。
あいつは女性を嫌厭しているから、恋愛回路が拗れている杏樹とは息が合うのか。
一果の存在が緩衝材になって兄妹の関係に近い親友くらいに感じていて、お互い異性でありながら居心地がいい。
そこに恋慕はないが、今のこの状況で婚約者のカードを切ったが、思いの外動きやすい環境に亮介は煩わしさが減って集中して仕事を行ったら本人もびっくりのスピードで終わってしまったのか。
杏樹の存在を仄めかしただけで周囲の状況がこれなら、彼女に感謝したはずだ。
だから杏樹様様と何度もスマホに映る彼女に視線を向けたんだな!そうだろう!亮介!!!そうだと言ってくれ!!
回想シーン終わり
支社長前にしても、その姿を思い浮かべると、どうしても言いたくなる。
「あの亮介が浮かれている」
「やっぱりそうなのか!あの三田くんが心奪われるほどに素晴らしい女性なんだな!」
・・・・・・なんかすごい思い違いをこの従兄はしてそうだと感じたが、そこを訂正するほど俺も気力がある方じゃない。
そこはスルーして話を進めた。
「ええ、その上で彼女の身に何が起きているか会長から聞いたんじゃないんですか?亮介に業務時間関係なく彼女の送迎をして良いなんて、知っていなければ言えませんから」
それまで亮介以上に浮かれていた代表は急に冷や水浴びたように静かになると、ゴホンと咳払いして「そうだ」と肯定した。
その時にデスク上の電話がプププっと音を鳴らした。
内線音に代表が電話に出るため移動する中、圭吾は時間潰しにコーヒーを少しずつ喉に流し込む。
代表は電話に出て向こうからの言葉に興奮したように「すぐに入ってもらってくれ」と返答していた。
受話器を戻す従兄に「誰か来られたなら私は席を外しましょうか?」と告げれば、否定された。
「いいや、来るのは勇くんだ」
会長の秘書の篠宮勇か?
「その彼女のことだが詳しい事情を彼が知っていると父さん、会長から聞いてたからな。朝から探してたんだが、用事で席を外していて今まで捕まらなかったんだ。お前も無関係とは言えん。話を聞いていけ」
「わかりました」
2人して会長の秘書が来るまでコーヒーを飲みながら待っていると、程なくして扉から遠慮がちなノック音がした。
「篠宮です」と言って実年齢30代の秘書が入って来た。
見た目は高校生にしか見えない童顔の彼は一礼して扉をきっちり閉めた。
「お呼びとのことで遅ればせながら篠宮、馳せ参じました」
大きめの茶封筒を抱えた秘書は固い物言いをして深々と腰を曲げた。
「忙しいのに悪いな。今度のインターン生のことで裏でお前が動いていると会長に聞いた。少しは情報は入ったのか?」
代表の言葉に秘書は頭を上げ、笑顔を向けた。
「はい。今朝方、真吾様から情報を頂きまして、相手の加害者が判明致しました」
手に持っていた封筒を開き「この件でお呼びかと思い資料をコピーして参りました」と2人に手渡した。
相変わらず頭がよく回る子だ。と圭吾は感心しながら、2人は資料を目に通した。
「相手の加害者ですが、ウィリアム・ジョンソン。通常ビルと呼ばれている人物です。地元の専門単科大学に通う25歳。ここ1年ほどはまともに学校には行っていないようで、このままでは退学処分もあり得るとの噂が出ている者です」
「・・・・・25?もしかしてどこかの大学を卒業後に専門大学に入り直したのか?」
「いいえ、2年浪人の1年留年だそうです」
「そうなると・・・どちらかといえば劣等生だよな。こいつはどうやって彼女を知ってストーカーを始めたんだ」
戸惑った表情の代表は秘書に顔を向けて質問したが、圭吾が口を挟んだ。
「私が彼女から話を聞いた限りでは、加害者は彼女のホームステイ先の息子と聞いているが?」
「はい。その上で、少しインターン生である加賀見杏樹さんの話をさせて頂きます」
資料を見た2人の上司を見て秘書は言葉を続けた。
「まずお2人はご存じなのでしょうが、彼女はあの加賀見家のご令嬢です。しかし家庭環境の影響で一族とは疎遠になっております。2年前の高校卒業後に叔母である加賀見玲香氏を頼りにアメリカに来たようですが、その数年前から玲香氏は加賀見の仕事に従事し始めています。問題の加害者ですが彼の父親がその玲香氏の長年運転手をしていた関係でその生真面目さを玲香氏に買われ、姪である杏樹さんをジョンソン家で面倒を見てもらうように頼んだことが発端のようです」
「運転手?」
「はい、とても真面目な人でそれまでは評判のいい運転手だと、かなり大手の重鎮方が指名するほど話術と運転技術は大したものだったそうです」
「そいつは今も運転手をしているのか?」
「いいえ、杏樹さんのホームステイ先に決まってからは玲香氏が配慮されたのか加賀見のアメリカ支店の重役の付き人になっています」
「「・・・・・・」」
「それと問題のウィリアムですが、最近は杏樹さんが通っている州大学に毎日通って彼女に会わせろと騒動を起こしているそうです」
「とんでもねー野郎だな」
「だから彼女が助けを求めて来たのでしょう」
そう言う秘書に、それもそうか。と代表は資料を捲り最後に添付してあった紙に目を通した瞬間、ピキッと固まってしまった。
圭吾はどうした?と思いながら秘書に視線を向けると彼が口を開いた。
「今朝から総動員して分かったことはこれくらいですが、また何かわかりましたらお知らせいたします」
その後資料に目をやったまま戻ってこない従兄は無視し、圭吾は秘書に質問した。
「ご苦労さん。今後もよろしく頼むよ。しかし君1人でここまで調べたのか?」
「いいえ、真ん中の兄が探偵のようなことをして生計を立てておりますので、少し手伝ってもらいました」
そういえば篠宮家は歴代、橘に仕える一族だが3兄弟の内真ん中の1人を見かけたことがないなと思い至り、「そうか」と返答しておいた。
その後圭吾も資料を1枚を捲り、最後の資料に目をやった。
「・・・・ところでこれ、どうした?」
最後の一枚はA4用紙目一杯に写真をフルカラー印刷したものだが、どう見ても今朝亮介のスマホで見た彼女との2ショット写真だった。
「あ、それ驚きますよね!亮介氏もそんな顔するんだと思って思わず印刷しちゃったんですけど、今回の情報提供と一緒に真吾様から送られて来たものなんですよ」
その言葉に圭吾は内心、ムンクの叫びのように顔を歪めた。
あ!の馬鹿!また亮介のパソコンにハッキングしたな!!!
圭吾だけが顔を強張らせて弟をなじったが、他の2人は違うことを考えていたようだ。
「うーん流石の三田くんも彼女にはメロメロとは聞いていたがまさに・・・・」
あの三田亮介がこんな表情をするのは信じられんと代表が言えば秘書は恍惚とした表情で手を組んで天井を見上げていた。
「しかし亮介氏の横に並び立つために今も勉学に励まれているそうですから、そんないじらしい彼女を前にしたら亮介氏もメロメロになるでしょう」
「そうなのか?」
驚き秘書を仰ぎ見る代表に秘書は未だ天井を見上げ夢心地で話し続ける。
「もともと持って生まれたものもあるのでしょうが、彼女の場合は努力の賜物と真吾様も言っておられましたし、アメリカ行きも亮介氏を追いかけて来たのではと言われておりましたから本当健気ですよね〜」
え?真吾、そんなこと言ったの?
あいつ2枚舌で何勝手に吹聴してんだ!と慄いたが、目の前の2人は話に盛り上がっていて口を挟むことが出来なかった。
ああ、こうやって噂がどんどん広がっていくのか・・・・・。
次回の作品UPは一週間後です。
よろしくお願いします。




