14、不穏の前触れ
毎週日曜日投稿作品です。
約1時間前
亮介はかつてない程静かな環境下で仕事を行えたことで、いつもの半分の時間で仕事を完遂してしまった。
これほど仕事が捗ったことはないと、改めて杏樹の存在をひしひしと感じ仕事中に何度もスマホ画面に映る写真を見てしまったのは致し方無かった。
今日は半休を使う予定で12時退勤にしていたが、始業をいつもより早めたことと捗ったことで2時間程で予定していた仕事が終わった。
代表と副代表からすでに話は通っていたのか上司のシン・ウォンソク課長。昨日マンションで杏樹も挨拶した上司に、出来上がった書類を提出すると「もう上がっていいよ」と笑顔付きの日本語で言われた。
一礼して退勤前に一度圭吾さんのところに行って挨拶してからすぐにマンションに戻ると、スーツを脱ぎ今日杏樹が着て学校に行った衣装を思い出しながら、ファミリークローゼットに足を向けた。
一果の思惑に乗る形にはなるが異性関係に関しては物事がスムーズに運んでいることに感化されその波に乗ってみようと遊び心が芽生えた。
と、言うのも今日杏樹が着ていた服は一果が置いて行った物だが、亮介は妹がその服に袖を通したのを1度も見たことがなかった。
おそらく杏樹が来ることを見越して置いて行ったものだろうと踏んだ。
その証拠に昨日のセーター同様に、今朝彼女が着ていた服に似通った上着を一果からもらった記憶があった亮介は、ファミリークローゼットに足を踏み入れ、衣装をかき分ければ「やっぱりあった」と、ハンガーにかかった一着の上着を取り出した。
彼女が着ていた上着は白地の大柄のチェック柄だったが、こちらは黒地の小柄のチェック柄。
この上着と一緒に渡されたズボンを取り出せば乾いた笑いしか出なかった。
彼女はマーメイド型のスカートだったが、色がズボンの色と同じ物だった。
見比べてはいないがグレー色と言うだけ十分意図は通じる。
まさに上級者向けのペアルックだ。
やれやれ誰の入れ知恵なのか。
一果の考えることではないことから誰かの意見を取り入れたのかもしれない。
案外おしゃれな母あたりからの助言かもしれないなと考えながら亮介は急いで着替えた。
その後、車で大学へ向かい朝同様に裏手の駐車場へ行こうと大学前の大通りを通って正門を差し掛かった時、信号に引っ掛かった。
車を停車させた瞬間、閑静な住宅街の中にある大学にしてはやけに騒がしい雑音が耳に入り、亮介は何気に正門の方へ視線を向けた。
正門から校舎まで続く歩行者専用の大幅な通路。両サイドに並木道が併設されたその通路の途中に大学の初代学長の銅像がおかれているのだが、その銅像の前で大学生らしき男が何人かの教職員に先を遮られ侵入を拒まれ言い合いをしている光景が目に入って来た。
今まであんな場面を目にしたことがない亮介は何事だ?と感じたが、信号が変わったので車を走らせ先を急いだ。
朝停めた駐車場から草むらの中にある隠し通路を通って教授のいる研究室に行けば、まだ見知った学生がちらほらいた。
亮介が大学4年生だった頃に入学してきた学生達だが彼らもすでに大学院2年生。
お互い歳を取ったと考え深くなりながら入室すれば、教授に温かく迎えて入れてもらった。
「三田くん!何か月ぶりだろうね。久しぶり!」
研究室内で資料片手に他の生徒と談笑していた教授が笑顔で出迎えてくれた。
「レセプション以来ですね。お世話になります」
「そんなことより聞いたよ〜。婚約おめでとう!」
超絶笑顔のその顔に"面白い"と言う文字が見えた亮介は呆れた。
・・・・この人は、全く。
何故、事を大きくする。と思いながら話の流れで返答しておく。
「ありがとうございます」
唯一の救いは日本語での会話で周りの生徒は何を話しているのかわかっていないことだ。
だが腐ってもこの州大学の大学院生。婚約という単語を聞いて目を見張った人物が数名いた。
バイリンガルがいてもおかしくない偏差値の学校故にこの後、騒がれそうだと覚悟した。
「例の彼女もう授業終わってるはずだから迎えに行ってあげたらいいよ」
「そうですか。しかしこの時間彼女がどこの教室にいるかわかりませんよね」
スマホがきちんと機能していれば連絡し合って待ち合わせればよかったが、今朝電源を切ってからは不通状態にある。
そこに気がついた教授も左の手のひらの上に右手の縦拳をポンっと下ろし口を開いた。
「そっか、彼女のスマホ今電源落としてるんだっけ。それならSam!Samuel!」
教授が呼んだ相手のサミュエルは亮介が最も可愛がっていた後輩で、見知った学生の1人だった。
あの当時ここに出入りしていた学生で大学院生として残っているのは彼を含めて3名のようだ。
呼ばれたサムは嬉しそうに亮介に近寄り挨拶をして来た。
軽く握手を交わす中、教授はサムに自身の彼女が今どこにいるか調べるように言うと、そんな彼に付いて行くと良いと助言をくれた後に、教授は他の生徒に呼ばれて研究室奥へと消えて行った。
サムは亮介に何故ここにいるのか、自身の彼女の居場所を頼りに何をするのかと聞かれたが、面倒なのでそこに私の婚約者がいるとだけ教えると大変驚かれた。
年齢的に婚約者がここの教員くらいに思ったのか、サムは憶測して相手は誰だと色々と名前が飛び交ったが誰1人として分からなかった。
すでに3限目が始まっている時間にも関わらず、各教室の開いた窓から亮介の姿を見られたのか時折黄色い悲鳴が聞こえた。
学生の頃からよくあった事なので無視してサムに案内された教室に辿り着き、無事杏樹と対面し今に至る。
抱きつき魔を抱き抱えたまま教授のいる研究室に行こうとこの建物の出入り口へ向かえば、杏樹からは不平不満が溢れる。
人の背中に手を回して筋肉を確かめるような仕草にくすぐったさに引き剥がしたが、異性の体に触れるなど、もう少し危機感を持て!と兄目線で見てしまう。
「俺の体に触れるのはいいが、変態ぽかったぞ」
くすぐったさを思い出しそう言えば、そんなわけない!と騒いでいたが、本当だ。
「そんなに筋肉がいいのか?」
「え、ないよりはいいでしょう」
杏樹も自分がここまで筋肉好きだとは思わなかった。自身とは違う弾力にうっとりする。
「私も鍛えたらあれくらい付かないかな?」
縦抱きされたまま、握り拳を作って言う杏樹に亮介は似合わないと首を小さく振った。
「やめとけ」
「何でさー。女性でもムキムキな人いるでしょう」
2人の移動手段にすれ違う学生から目を丸くして見られていたが、2人はそもそもそういう目線にはなれていたためスルーしてそのまま移動して行く。
「ボディビルダーな。そう言う人は食べるものを節制してるぞ。大会前になると筋肉にいいものしか食さない。アンには無理な話だろう」
一日付き合っていたら嫌でも分かる。彼女の食への探究心は人一倍だ。食べる量も執着心も。
そんな彼女は特にお菓子やスイーツに目がない。そんな子が決まったものだけしか食べれないなど拷問もいいところだろう。
今いた建物の出入り口から外に出ると学校の広大な庭と適度に視線を遮る立ち並木が目の前に広がる。
教授のいる研究室のある建物の方へと足を向ける最中にも正門の方角がいまだに騒がしいが杏樹は気にもとめていないようだ。
それどころか節制が必要と聞いてテンションが下がったらしい。
「・・・・あそこまで鍛える気はないよ。多少の話で・・・・」
と言い訳を続けた。
子供のような彼女に亮介は思わず立ち止まって見上げた。
「触りたければ触ってもいいが、さっきは本当にくすぐったかったんだ。だから触り方を変えてくれ」
邪な感情を持っていない杏樹にだから言えることであって、他の女には口が裂けても言わないことを口走り亮介自身、内心驚いた。
だが杏樹はどこか大人に成り切れていない子供を連想させることが多く、亮介の中では幼子と対面している感覚があった。
事実杏樹の次の言葉が妙齢の女性にしては明け透けなもので、先が思いやられた。
「そうしたら堂々と触っていいの?」
危なっかしい。俺だからいいが、他の男なら勘違いして暴走してもおかしくは発言だ。
彼女の中で俺の位置付けが一果と同じ所にあるからこその言動なんだろうが、外では控えるように行っておいた方がいいな。
「・・・・人のいないところならいいぞ」
「本当!」
そんな2人の後ろからニュッと金髪がお目見えし横から半眼で2人は見つめられた。
「ソトでナンのハナシシテる?イヤラシイねフタリトモ」
な!
2人絶句する中、ジェシカはさらに言葉を落とした。
「アンジュ、アナタ、ヘンタイダッタね」
人聞きの悪い!
「サッキ、リョウスケのカラダにダキツイタトキのテ、イヤラシカッタね」
「ほらみろ」
ジェシカに便乗して言う亮介にそんなんじゃないもんと肩を叩くが筋肉はびくともしない。
ちくしょう。
「二人とも酷い!」
そんな3人のやり取りを遠目から見ていた学生は杏樹の恋人が誰なのか十分に理解した瞬間だった。
そんな後ろを力なく歩きながらサムはいまだに、嘘だ、いつから?、俺だけ仲間はずれかよ。とぶつぶつ言いながら3人に着いて行った。
研究室の建物の前まで来るとサムはヘソを曲げたらしく
「All three are terrible!」
3人とも酷いよ!
と先に建物の中に走って入ってしまった。
サムの行動に3人の思考は停止。亮介とジェシカの足も止まったが、偽装である以上、彼の処理をどうするか。
「あー・・・後のことジェシカ頼んでいい?」
「マルナゲかよ」
即答で突っ込まれ杏樹は焦って代替案を出した。
「そ、それなら教授に手伝ってもらうとか」
「やめとけ!余計ややこしくなる!」
亮介の必死の突っ込みに杏樹も言った側から自分でも不味いと思ったので眉を下げた。
「しかしいちいち説明するのは面倒だな」
「サム先輩だけならいいけど、他の研究室の人も聞いてきそうだもんね」
「マチガイナイでショウ」
何せ杏樹のお相手があの三田亮介なのだから。
「トコロでイツマデ、ソウヤッテル?オロサナイノ?」
ジェシカの杏樹を降ろせと言う突っ込みに亮介は無表情で何でもないように言った。
「筋トレに丁度いい」
はい?!と目を剥くジェシカに杏樹は3階まで歩かなくていいとラッキー、と笑った。
階段を上がりながら亮介はそんなことより説明が面倒だとため息を吐いたが、教授の研究室に入って3人はすぐに異変に気がついた。
そこにいた研究生(さっきより人数が増えている)達から杏樹と亮介に対し、やけにキラキラした表情を向けられ、亮介は踏み入れた足を一歩後退させながらブルブル震える杏樹を庇うように体を捻った。
その後ワッ!と室内が盛り上がったように誰もが話し始めったが、要約できない。
何をそんなに興奮しているのだ。戸惑う杏樹に亮介が口を突いた。
「多分・・・・教授が俺たちのことをある程度ここにいる者達に説明したんだろう」
ただ教授が、事実(設定)を伝えたとは思えない。
「え、面白おかしく?」
恐らく。抱き上げていた腕に少し力が加わったことで亮介が同意したことを感じ取った杏樹は・・・・考えるのを放棄した。
「説明が省けただけ良しとしよう」
「アンジュはアイカワラズ、マエムキね」
呆れ声にも近いジェシカの言葉に気にすることなく杏樹は笑って「褒め言葉として受け取ります」と両拳を胸の前握って言った。
まあ、そういう考えもあるか。と亮介もそのまま部屋の中央まで足を運び、違う意味で異変に気がついた。
窓辺に立ち少し遠くを見下ろしている教授の顔が強張っていることに亮介は驚いた。
あんな表情は今まで見たこともない。
「彼、しつこいね」
そう言った教授の言葉に、もしかしてと窓辺に近づこうと移動する亮介に教授は気配を察し振り返ると、ニッと笑うと指摘した。
「三田くんそのまま彼女を抱いてここに来るのは控えた方がいい。何せ奴さんにその姿を晒すことになるからね」
懸念が現実になった。
ストーカー騒ぎから始まった杏樹との縁だが、元を正せば教授の采配で縁付いたものだ。
今日俺がここに始めて足を踏み入れた時には教授が外を気にしている素振りはなかったのに、戻って来てからのあの警戒さ。
杏樹絡みであるならこのタイミングも頷ける。この人だけに。
杏樹をそっと下ろし、窓辺に行くとそこから正門前の銅像が見えた。
道中に見た若い男がいまだに侵入しようとしてるのか遠いこの建物にまで騒動が途切れ途切れだが聞こえて来る。
杏樹はというと亮介が離れた途端に他の研究員に取り囲まれ身動きが取れなくなっていた。
亮介はその様子を肩越しに見た後に
窓の外に顔を向け、騒動の方へ鋭い視線を送った。
「彼ですか」
例のストーカーは。
「そう。彼よっぽど暇なのかね四六時中あんなことしてるよ」
教授の言葉に亮介は隣にいる人にだけ聞こえる声で「〆か」と呟いた。
そんな亮介の肩に手を置き教授も小声で囁いた。
「それもいいけど、どうも背後がきな臭いんだよねぇ。その辺を今、会長経由で調べてもらってるからもうちょっと待ってよ。玲香氏の言葉にも何か引っかかるしね」
玲香。杏樹の叔母の言葉とはなんだ?
顔を教授の方に向ければ真剣な顔で正門の方をじっと見据えていた。
「1ヶ月前日本に帰る前に彼女1度ここに来てるんだ。自分が留守の間、娘を頼むってね」
姪ではなく、娘?
「1年前、加賀見さんが成人した日に彼女たっての希望で玲香氏と養子縁組を行なっているんだそうだ」
「・・・・そうでしたか」
その当人は研究室内で数名の研究員に囲まれ、こちらに来れないようであわあわしていた。
「そこまではよかったが、その後気になることを言っていた」
『加賀見に戻る事は不本意だけど、父さんとの約束もあるしね。一旦向こうに行って来る。それに気になる事もあるから、それを調べる意味でもこのタイミングは必然なのかもしれないわ。ただ、、、、その内容次第では下手をすると杏樹は、一生暗闇の中を彷徨うことになる』
次回の作品UPは一週間後です。
よろしくお願いします。




