第9章 新しい都市伝説(2)
ヤサが満足に動けるようになって、俺は片手で目元を隠したヤサのもう片方の手を引いて階段を上がっていた。後から調べたけど、やはりヤサの都市伝説のことを知る人も、文献も、ネットのページすら存在していなかった。ヤサの伝説は本当になくなっていたのだ。
「あの時……白い光に包まれて、僕の体が離れていく時もこうやって手を引いてくれたよね」
俺は足を止めた。
「当たり前だよ。絶対に離さないって、一緒にタソガレ島を出るんだって、約束したじゃないか」
ヤサは嬉しそうに笑った。
「まだ見てないよな? さ、開けるよ。準備は?」
その言葉に、ヤサは弾けるような笑顔で言った。
「ばっちり!」
屋上の扉を勢いよく開け放った。頭上に広がるのは雲ひとつない、澄み渡った青い空。
ヤサは目を丸くして空に魅入ると、そのまま手すりまで信じられない様な顔で歩き、目に涙を浮かべた。
「なんて、綺麗なんだろう」
赤黒い空しか自分の目で見たことがなかったヤサは、ありがとう、としばらくの間ずっと繰り返していた。俺もこんなに綺麗な空を初めて見る。おかしいな。ずっとこの世界で生きてきたはずなのに。青く、遥か彼方まで広がっていて、自分がちっぽけに見えてしまうほどの広い空。俺は一体今まで何を見てきたんだろう。そう思ってしまう。
「俺の方こそありがとう。大切な気持ちを思い出させてくれて……」
綺麗だと思う気持ち、前向きな気持ち、今感じている、晴れ渡るような気持ちも、もう何年も前に忘れてしまったものだったから。
「ヤサ、でもこの世界は君が思ってるほど素晴らしいものじゃないよ」
と、一応言っておく。いじめも、暴力も、この綺麗な空の下で起こっていることなのだ。そんな発言にもヤサは、にっこりと笑った。
「分かってるよ。裕の腕の傷を見たらね」
俺の腕に刻まれた苦しみの日々が変わったわけじゃない。明日から待っているのは恐ろしいいじめと最下層のスクールカーストでの戦いの日々なのだから。
「それでも、僕がいれば少しは変わるでしょ。もう裕は1人じゃないんだからさ」
今まで綺麗事だと思ってただろうという言葉も、今の俺にはすんなり納得できるものがあった。
「そうだよな」
ヤサは空を眺めていた視線を俺に向けた。
「綺麗な物も、汚い物も、一緒に見よう」
どれだけ苦しい日々が待っていたとしても、たった1人仲間がいるというだけで世界が違って見えた。そうだ。今度こそ変われるかもしれない。いや、変わるんだ。俺の隣にはヤサがいる。
ひとしきり空を楽しんでから、ヤサは俺の方を向いた。
「ねぇ、祐。僕が言ったこと覚えてる?」
俺はうなずいた。タソガレ島から出られたら、変われたら友達になって欲しいって。もちろん、覚えてる。忘れるわけがないじゃないか、そんなに大切な約束を。
「じゃあ、祐、友達に――」
「でも、それはもう無理だよ」
笑顔で言うと、ヤサが目を見開いた。
「だって、俺達、兄弟みたいだからさ。友達じゃなくて、家族になっちゃったわけだし」
そう言うと、ヤサはまた笑った。
「そっか、そうだよね」
寂しさなんて微塵もないとびきりの笑顔。きっと反論するだろうからヤサには言わないけど、きっと今俺の方が幸せだ。生まれて初めて、自分の意思で未来を掴み取ったのだ。この経験があれば、ヤサがいれば、なんでも出来るような気がするんだ。きっとそれはヤサも同じだろう。これから一緒に見に行こう。綺麗な物も、汚いものも、この世界にあるまだ見ていない多くのものを。命があること、時間があること、世界があること、俺達は他の人達が知らないことを知っているから、きっと他の人の何倍も感動できるに違いない。たった1人仲間がいることでこんなにも世界は変わるのだ。
そんな時、後ろにいた女子高生が話している内容が頭に入ってきた。
「タソガレ島って知ってる?」
「なにそれ」
「なんかね、霧と一緒に現れる幻の島らしくて、欲しいものがなんでも揃ってるんだって」
「いーなー。行ってみたいな」
それを聞いて、俺達は同時に声を張り上げた。
「絶対行っちゃダメ!」
女子高生はビクッと肩を震わせ、頭おかしい人を見る目で俺達を見てから去っていった。そんなお互いの反応に笑えて、俺達はまた同時に笑い出した。俺は変わろうと思う。ヤサと一緒にこのかけがえのない日々を生きていこうと思う。辛いことも、悲しいことも、2人一緒なら、なんでも乗り越えられる気がする。ヤサが困った時は、俺が駆けつける。俺が困った時は……そんなこと、考える意味がないか。生きていこうこの世界で。前を向いて、明日も、明後日も、これからどんな苦しい日々が待っていたとしてもずっと。だって俺もヤサも、もう1人じゃないんだから。
タソガレ島は楽園なんかじゃない。ただ、そこから出た都市伝説は、どうやら都市伝説じゃなくなるらしい。そんな都市伝説が俺達の間でできた。
(完)
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