ずっと、ずっと大好きです(ミナ視点)
月の光とは違う、温かみを帯びた光が空から降り注ぐ。
そんな光景を、私は……いえ、私たちの村の人々の多くは初めて目にしました。
おじいさまは、それを『太陽』だと言いました。光の領域において、地上を常に照らしてくれる存在だと。
それが、なぜこの闇の領域に。その疑問の答えは、誰も持ってはいませんでした。
段々と、混乱と不安が伝播していく中で、その方は現れました。
「みんな、無事かい!?」
スルグ様。レイヌ様と対をなす、光の領域の男神。私たちの村でも慕われているスルグ様の登場によって、安心感が広がっていく。
初めて見るような焦った顔で、スルグ様は説明します。
「レイヌの加護がこの土地から消えて、私の領域がここまで浸食してきているんだ。正直、私にも何が起こるか予測ができない。だから、ひとまずみんなは私と共に避難を……」
一度、スルグ様と共に光の領域まで避難する。
そんなスルグ様の言葉に、口を挟む人はいなかった。
私以外は。
「お待ちください、スルグ様! 春乃さんがまだ……」
「っ……ミナ君……」
私が春乃さんの名前を出すと、スルグ様の顔が明らかに曇った。
そこに嫌な何かを感じた私は、思わずスルグ様に詰め寄った。
「何か……何かあったんですか!? 春乃さんに……!」
苦々しい顔を消して、声を張るスルグ様。
「ハルノは……闇の巫女は、今も一人でレイヌを鎮めている! 巫女の役目を全うしているんだ!」
それは、私に向けた返答ではなかった。
効果は覿面で、すっかり村の人気者になった春乃さんの不在を不安視する声は、春乃さんを信じようといったものに変わっていく。
「スルグ様……嘘、なんですよね……それ」
「……」
小声で問うと、俯き目を閉じるスルグ様。
事実上の肯定に、私の拳を握る力が段々と強まっていく。
「答えてください。春乃さんは今……!」
「彼女は……今もレイヌのもとで戦っている……」
「戦っているって、どういう……!」
「すまない、ミナ君。本当にすまないが……それを伝えても、キミにできることはないんだ……」
「っ……!」
足下が崩れるような感覚だった。この無力感を、私は何度も味わっている。
また……また私は、春乃さんに何も……何もしてあげられない。
「私も、ハルノが心配だ。キミたちの安全を確保できたら、すぐに彼女の元へ向かう。だから、今はしたがって欲しい」
「……わかり、ました……」
そうして、私たちはスルグ様に導かれて、光の領域との境界近く、向こう側を見下ろせる崖までやってきた。
とんぼ返りするスルグ様を見送った私の心の中は春乃さんでいっぱいだった。初めての『街』に興奮するみんなの輪にも、混ざれそうにない。
「ミナちゃん、巫女様が心配?」
その声に振り返ると、仲良くしている同年代の子が、心配そうに私を見つめていた。
「……当然です」
その問いに、私は溢れ出る色々な想いを省略して答えた。他にも、私を心配する人は何人かいたけど、ついつい対応が上の空になってしまう。仕方がないと、自分でも思う。
ただただ、春乃さんのことが心配だったから。また、レイヌ様に酷い目に遭わされているんだろうかとか、そんなことを考えてしばらく経った時。
それは、やってきた。
「あれって……」
日の光を背に受けながら、漆黒の翼をはためかせる人影。
上空の彼女を指さして、口々に綺麗、美しいという声。
そんなの当たり前だ。だって、だってあれは……!
「ミナちゃぁぁぁん!」
「春乃さん……!?」
春乃さんだ。間違いなく、春乃さんが私の方へ向かってきている。神の遣いのような神々しさを帯びた春乃さんは、すぐそこに着地すると……その姿には似合わないくらい姿勢を崩した。
「はっ......はーっ......ふぅぅぅぅ......怖かった......!」
「大丈夫かい? ハルノ」
着地するや否や肩で息をする春乃さんを、遅れて着地したスルグ様が支える。
「眼が……空気で眼が痛かったです……」
「まぁ……それは慣れだね。初めての飛行にしては上出来だったよ」
そうして息を整えた春乃さんは、改めて私の方を向いた。
その姿はなんなのか、一体なにがあったのか、色んなことを聞きたかったのに、次の春乃さんの言葉で全部吹き飛んでしまった。
「ミナちゃん! あたし、レイヌ様と一緒に封印されることになっちゃった!」
「……え……?」
今、なんて。それは、どういう。
神の暴走の危険をなくすため、そして時代を神から人へ移すため、スルグ様は力を人へ引き渡し、レイヌ様と春乃さんはこの世界へ影響を及ぼさない場所へと離れる。そんな合意が、スルグ様とレイヌ様の間でなされたらしい。そのようなことを色々と説明されたけど、そのほとんどはどうでもいいことに思えた。だって、大事なことは一つしかない。
「じゃ、じゃあ春乃さんは……っ!」
「あたしも、レイヌ様と一緒に封印されることになって……」
「っ!」
申し訳なさそうに春乃さんは、一番否定してほしかったことを口にする。
「なんで……っ! 春乃さん、巻き込まれてばっかり! レイヌ様の事情なんて、春乃さんには関係ないはずなのに!」
「み、ミナちゃん……?」
「良いんですか!? 春乃さんはそれで……! だって、そしたらもう、春乃さんは私と.……」
「……お別れ、だね……」
お別れ。バツが悪そうな顔で、春乃さんはハッキリとそう言いきった。あぁ……やっぱり、そうなんだ。分かっていた。春乃さんはこういう時に嘘をつく人じゃないって、分かっていたのに。今だけは、違う言葉を聞きたかった。
「おかしい……おかしいですよ! 春乃さんは神様の事情に振り回されてばっかり……!」
「……でもね。レイヌ様にはあたしが必要なんだ」
「……~~っ!」
まただ。またそれだ。私の方が、先に会ったのに、春乃さんはレイヌ様のことばっかり。
「それなら……それなら! 私にだって、春乃さんが必要です! 春乃さんが、いてくれなきゃ……ぐすっ……」
思わず抱きついて、私は春乃さんの胸の中で涙をながす。子供、そのものだ。何もしてあげられないくせに甘えて、困らせて。でも、そんな私を春乃さんは撫でてくれた。それだけで、私の心は温まる。けれど。
「ミナちゃん。それは……今はもう、違うよね」
「っ!」
春乃さんは遠巻きに私たちを見る村の人たちに視線を向けた。
「友達……できたでしょ?」
「それは……!」
その通りだ。生け贄の役割を降りてから、私は普通の生活を送るようになった。そして春乃さんは五日に一度しか村に現れなくなった。それが、もう一年だ。自然と、話せる相手も増えていった。
笑い合える友達。面倒を見てくれるおじいさま以外の大人。私を気にかけてくれる、温かな居場所。
だけど、それは春乃さんの代わりになるようなものじゃない。そもそも全部春乃さんがくれたもので、春乃さんは……春乃さんだけは、特別なんだ。
それを言おうとして顔を上げたその時、春乃さんは漆黒の翼を広げた。そのあまりの美しさに、私は目を奪われる。
「それにね……もう、関係なくないんだ。あたし、レイヌ様に力を注がれて……もう、ほとんど神様みたいなものなんだって」
「──」
急に、春乃さんが遠いものに感じられて。すぐそこにいるのに、触れることもできるのに、まるで月や星を見上げているみたいに、遠い。
「あたしが残ったら、それはレイヌ様が残っているのとほとんど同じで、意味がないって。もう、神様と人は、一緒にいれないんだって」
「神、様……」
希望が断たれるかのような宣告。なのに……その春乃さんの姿に、私は納得してしまった。私とは、住む世界の違う神様。そういう存在に、春乃さんはなってしまったんだって。
「だから、やっぱりお別れ」
「は、い……」
震えた声を、なんとか絞り出すので精一杯だった。
「......ごめんね、ミナちゃん」
「え......?」
「本当は......もっと一緒にいたかった。ミナちゃんと過ごした時間、短かったけど......すごく、大切だったんだ」
春乃さんが、私の頭を撫でる。それだけで、春乃さんが家にいた頃の日々が蘇ってくるようだった。
「ミナちゃんは良い子だよ。優しくて、一生懸命で。だから......あたし、そんな子にこんなにも想われて、本当に幸せで、いやほんとに身に余るくらいに……って、えーっと、そうじゃなくて……そんなミナちゃんには、これからも幸せに生きていってほしい。そうなってくれたら、あたしはそれが何よりも嬉しいと思う」
「春乃、さん......」
涙が止まらない。春乃さんの言葉が優しいから、余計に辛い。
「まぁ、今のミナちゃんなら、もうあたしがいなくても大丈夫! レイヌ様よりずっとしっかりしてるんだから!」
「そんな......大丈夫なんか......じゃ、ないです......」
何か言いたいこと、言わなきゃいけないことが山ほどあるはずなのに。ありがとう、も。さようなら、も。全部、胸の奥で絡まって、うまく言葉にならない。
「……もう、いいかな? ハルノ」
言葉が、出てこなかった。
「……あー、はい、スルグ様」
「では、みんな。これから、みんなには私の領域の民と同じように、力を与えようと思う」
私が何も言えないまま、スルグ様は話を進めていく。曰く、光の領域の人間は魔法という力を与えられていると。すべての力を人間に譲渡するにあたって、まず力を持たない私たちに優先して力を分け与えると。
「そ、それなら!」
話の途中で、私は叫んだ。この場の全員の視線が私に集中する。
「私は……春乃さんの力が良いです! 分けてください!」
「えぇっ!? あたし!?」
予想もしていなかったであろう言葉に困惑する春乃さんに、私はまくし立てる。どうしても欲しかったんだ。何か、春乃さんとの絆の証が。確かに形として残る、春乃さんを感じられる何かが。
「春乃さん、神様みたいなものだって言いましたよね! だったら、できるはずです!」
「でき……るんですか!? スルグ様!?」
「私がサポートすれば、不可能ではないはずだね」
「お願いします!」
スルグ様にお墨付きをもらい、私は改めて頼み込む。見上げた先の春乃さんの瞳は、未だに揺れていた。
「え、で、でも……あたしがレイヌ様にされたときは、ものすごく苦しかったんだけど……」
「~~~っ!? じゃあ私も! 春乃さんが耐えたもの、私も……!」
「いやいやいやいや!」
許せない。春乃さんを自分と同じ存在にするために、そんなに苦しめたなんて。もう無理なのだとしても、意味がないのだとしても、その苦しみを分けて欲しいと思う。少しでも、春乃さんと同じものを背負いたい。
「……ミナ君。限界を超えた力の譲渡には想像を絶する苦痛が伴う。だが、その限界の瀬戸際までであれば……」
「お願いします!」
そうして、村のみんなはスルグ様の力を。私だけはレイヌ様の、ではなく春乃さんから力を受け取ることになった。
春乃さんに手を握ってもらって、全身で春乃さんを感じた。後ろにはスルグ様が立って、私の身体に異常が起きないよう安全を保証していただけるらしい。
温かい。春乃さんの温もり。この感覚を、ずっと忘れたくない。
けれど、そこから冷たい闇の力が流れ込んできて、私の身体が悲鳴を上げる。痛い。苦しい。思わず、春乃さんの手を放してしまいそうになる。耐えられなくなったら声に出して合図する、そういう約束だったけど、私は限界まで我慢した。
きっと、春乃さんが耐えたものに比べたら大したことはない。それに……自分から春乃さんの手を放すなんてことを、したくなかった。
「ミナちゃん。……もう、終わり」
でも、合図を出していないのに、苦しみは突然終わった。春乃さんの方から手を放したのだ。
「春乃さん……なんで」
「分かるよ。無茶、してたでしょ? 額に汗かいてるし。だからここまで」
「全部……お見通し、なんですね」
私は涙を浮かべながら、春乃さんを見上げた。
「でも、これで……春乃さんと、繋がっていられます……」
「うん。ずっと一緒だ」
身体に、力を感じる。元はあのレイヌ様のものだったとしても、これは春乃さんから貰ったもの。これがある限り、私は春乃さんを忘れない。忘れられない。
余韻に浸る間もなく、スルグ様は一瞬で力の分配を終わらせてしまって。
春乃さんは、もう行ってしまう。
翼を広げて宙に浮いた春乃さんが、私に向かって手を振る。
「ミナちゃん! 元気でね!」
「春乃さん……!」
言いたいことが、この時になってようやく、滑るように喉から出る。
「私、ずっと……ずっと忘れません! 春乃さんのこと、ずっと……ずっと大好きです!」
私も必死に手を振った。村の人たちも、手を振っている。
飛び去っていく春乃さんはとても綺麗で、きっとここにいる全員の記憶に残っただろうけど、一番強く心に刻まれたのは、私のはずだ。
そんな時、視界の真ん中で何かが舞う。黒い羽根。きっと春乃さんが落としていったそれを拾い上げて、私は握りしめた。
やがて春乃さんの背が見えなくなると、私は人生で一番の涙を流した。
握った手の中の羽根から、不思議と温かい何かを感じて、それが確かに、春乃さんの一部なんだと私は理解した。なんとなく、この宝物があれば、一人で歩いていける気がしたのだった。




