秘密をお話しします!
あの決意から、数日遅れて。
部屋の細部にこだわって、レイヌ様に本棚や観葉植物を出してもらったり、それでセンスを褒めてもらったり。
レイヌ様に元の世界のことを聞かれて質問に答えたり、難しいことを聞かれて答えに困ったり。
なんとかレイヌ様を説得して、一緒にお風呂は三日に一回という約束を取り付けて心の平穏を確保したりした、後のこと。
ある日の夜に、また二人で眠ろうとベッドに入ったタイミングであたしは話を切り出した。
「レイヌ様、お話があります」
「なんだ?」
あたしの雰囲気が変わったことを認めたレイヌ様が、真剣な表情であたしを見つめかえす。
「あたし、レイヌ様に隠していることがあって」
「……言ってみろ」
レイヌ様の声に、わずかな緊張が滲む。あたしは深呼吸をして、言葉を紡ぐ。
「あたし、この世界に来るより前にレイヌ様のことを知っていました」
「……どういうことだ?」
「それがですね……えっと、まずゲームという文化がありまして……」
言ってみて、あたしは言葉に詰まる。レイヌ様にあたしの話を理解してもらうには、まずゲームという概念を理解してもらうところから始めなければならないのでは……? レイヌ様は物分かりの良い方だと思うけど、あたしにうまく説明できるんだろうか……?
そんなあたしを見かねたのか、レイヌ様は口を開いた。
「……説明が難しいのであれば、我が直接春乃の記憶から……」
「いえ! ちゃんとあたしの口から説明したいんです!」
「そうか。分かった」
たしかに、レイヌ様であればいつものようにあたしに触れて記憶を探ることで、もっと正確にあたしの伝えたいことを理解することができるのかもしれない。だけど、あたしは敢えてその案を却下した。その方法で、一気に全部がレイヌ様に伝わってしまうよりも、あたしがこうして言葉で伝えることで段階を踏んでもらいたいと、そう思ったから。
とはいえ、うーん……どう言おうかな……。
「えーとですね、あたしの元いた世界では、たくさんの物語がありました」
別にゲームという媒体を省略しても問題ないのではという閃きに従ってそう前置きすると、レイヌ様は黙って頷く。
「その中の一つが、『コントラスト』と言って……とてもざっくり言うと主人公の女の子が色んな男性と恋をする、そんな物語なのですが……まず、問題はその物語の舞台なんです」
「舞台?」
「『コントラスト』で描かれた世界には、空に浮かぶ二つの月が象徴になっていました」
「……!」
そう、これはあたしたちが今いる世界と共通する特徴。あたしがこことゲームを結びつけた最初のきっかけ。
「それだけじゃありません。その物語では、レイヌ様やスルグ様のことも語られていました。……五千年前の、神話として」
「……その物語とやらが、今より五千年の後を描いたものである、と」
あたしが言わんとしている結論に自ずと辿り着いたレイヌ様が、そう口にする。改めて聞くと、突拍子もない話だ。あたしはゲームの中に自分が、という展開に親しみがあったから割と簡単に受け入れているけど、レイヌ様からすれば信じられなくて当たり前の話だ。
「……信じられないですよね」
「春乃が嘘を言っているとは思わぬ。同時に、その結論を今すぐに受け入れることはできぬ。他に、なにか根拠はあるのか?」
「レイヌ様……」
レイヌ様は、あたしの荒唐無稽な話を冷静に受け止めて、続きを促してくれた。あたしの話をちゃんと聞いてくれるけど、盲目的でもない。やっぱり、レイヌ様は誠実で優しい方だ。
「はい。その物語は、主人公が亡霊となったスルグ様に力を与えられるところから始まるんです」
「スルグめが、亡霊に……」
レイヌ様の声に、わずかな動揺が滲む。
「そして、レイヌ様は……」
思い返して、不意に胸が苦しくなる。
今にして思えば、ゲームでのレイヌ様はあたしの好きな彼女とは似ても似つかない。魔物を生み出す元凶として、世界に呪いを振り撒く存在。黒幕を操るラスボスとして、最後には倒される運命。ゲームの中のスルグ様も、もう眠らせてやるしかないという風なことを言っていた気がする。
「春乃。我は……なんだ」
「それは……」
言葉にできずに黙ってしまったあたしを、レイヌ様は辛抱強く待ってくれた。
そこからあたしは、時間をかけて言葉を選んで、未来でのレイヌ様のことを伝えた。辿々しくなってしまったあたしの説明を、レイヌ様は気を悪くすることなく聞いてくれた。
そしてレイヌ様は、語り終えた後に一言。
「一つ聞く。その物語の中に、春乃はいたのか?」
「それは……もちろん影も形もありませんでしたけど」
「ならば、もう我とそのレイヌは別物だ。関係がない」
「……!」
言われてみて、ハッとした。
たしかに、今のレイヌ様があんな風に成り果ててしまうとは思えないし、なによりあたしがさせない。もう、ゲームでの未来には繋がることはないと、あたしも思う。
そして……レイヌ様の方も同じように、あたしの存在が決定的な違いであると考えていることが分かって、無性に嬉しくなる。
「はい! あたしがいる限り、レイヌ様をそんな目には遭わせません! あ、でも……」
感極まって思わず調子の良いことを言ってしまったけど、そこで最大の問題に思い当たる。
「どうした?」
「えーっと……よく考えたらあたし、どうして物語の中でレイヌ様がああなってしまったのか詳しく知らなくて……だから、万が一の事態がないとも……」
どうしてレイヌ様がラスボスに成り果てたのか、それはゲームでは語られていなかった。そもそも、今あたしの目の前にいるレイヌ様の本来の姿も『コントラスト』の設定資料集におまけのように描かれていただけで、その過去の詳細が明らかになっているわけではないのだ。だから、あたしではどうしようもない事態や思惑が原因という可能性もあるわけで。
そうだったらどうすれば……未知の敵とかが原因だったらあたしにできることとかないのでは……? なんて心配をしていると、レイヌ様が口を開く。
「……春乃。もう一度言うが、もう気にする必要はない。実のところ、おまえの話を聞いて思い当たる部分があった。なにがあれば我が《《そう》》なるのか、想像はつく。その上で、春乃がいさえすれば我が同じ道を辿ることはない。約束しよう」
「そう、なんですか?」
想像がつく出来事ってなんだろうか。とても気になったけれども、レイヌ様の表情からそれ以上は聞かないでほしいという意思が感じられて、あたしは踏み込まなかった。
「それより、だ。春乃、もっと愉快な話をしてくれ。我も、その未来の物語とやらには少し興味がある」
「あ、本当ですか?」
オタク魂の悪いところというか。
今日は好きな作品の話をしちゃっていいんですか!? なんて欲求が先走って、あたしは配慮というものを忘れてしまっていた。
「あのですね、『コントラスト』はですね、主人公が光の男神に選ばれた少女で、貴族の学校に通うことになるんです。そこで色んな男性キャラクターと出会って……」
あたしは興奮気味に、ゲームのストーリーを語り始める。レイヌ様は静かに聞いてくれていて、時折質問を挟んでくる。それが心地よくて、あたしはどんどんと口が回っていく。それが良くなかった。
「──中でも、あたしの推しは公爵令息のアルフォード様で、陰のある優しさって言うんですかね。そういう魅力に弱くって……」
「…………は?」
空気が突然変わったのを身体が感じたのか、ひゅっ、と喉から音がした。
あたしが自分で切り出した話を中々進められなくても、レイヌ様が変わり果てるなんて荒唐無稽で無礼な未来を語っても全く怒らなかったレイヌ様が、今のあたしの一言だけで、完全に冷静さを失っていた。
「誰だ、それは」
「え、えっと……攻略対象の、アルフォード様で……」
「その者が、春乃にとってなんなのだと聞いている」
レイヌ様の声が、低く、冷たい。その瞳には、ここ数日ではすっかり鳴りを潜めていた感情が渦巻いていた。
「お、推し、ですね……」
「推し、だと? それはなんだ」
「えっと、一言で説明するのは難しく、その、好きなキャラクターというか……」
「す、き……」
レイヌ様の顔が、みるみる険しくなっていく。
「いや、あのですね、あくまで架空のキャラクターとしてというか、画面の中で一人愛でる対象を定めるとしたらの話で……」
「おまえにとって、それは我も同じではないのか?」
「え……」
「春乃の元いた世界において、我は物語の中の存在だったのだろう? ならば、我とその公爵令息とやら、何が違う?」
「そ、それは……」
言われてみれば、たしかに。あたしにとってはレイヌ様もアルフォードも、同じゲームの中の登場人物だった。だから、画面の中の存在みたいな言い方は確かに良くなかったのかもしれない。でも今は、あたしは目の前にいるレイヌ様を知って、そうしてちゃんと好きになったわけで、伝えるべきはそっちの方で……と、あたしは必死に考えをまとめようとする。
だけど、レイヌ様にとってそれは沈黙でしかなくて。
「ではその者が現れれば鞍替えか?」
「ち、違います! そんなわけ……!」
「春乃は……我のものだと言ったではないか。我だけを見ると、そう約束したのではないか」
「や、約束は守ってます! 今はレイヌ様一筋ですって!」
「嘘、だったのか?」
「嘘じゃないですって!」
あたしは必死に否定するけど、レイヌ様の表情は曇ったまま。あたしの言葉は届いていない。その瞳には、深い不安と怒りが混ざっていた。気づけば、あたしはベッドに押し倒されていた。
「春乃……」
レイヌ様はあたしの上に馬乗りになると、濁った目であたしを見下ろす。やがてゆっくりとその手が近づいてきて、あたしの首に触れる。
「っ……!」
冷たい感触。そして、じわじわと強まる圧迫感。
「れ、レイヌ、様……?」
「我は……我を、置いていかないでくれ……春乃……っ」
「やめ、て……」
苦しい。このままじゃ……あたしは、死んじゃう。それなのに、命の危機だっていうのに。あたしの頭に真っ先に浮かんだ事柄は、別のことだった。我を失った、レイヌ様の顔。怖いとは思わなかった。その表情は、怒りというより、怯えているように見えたから。それが、なにより辛くて。どうにか癒してあげたくて。
あたしは夢中で手を伸ばして、レイヌ様の頬に手を当てた。
「っ……」
すると、驚いたのか我に返ったのか、首を絞めるレイヌ様の力が緩んだ。この機会を逃がすまいと、あたしは酸素を求める身体にごめんなさいをしつつ、必死に言葉を紡ぐ。
「あた、し……もっと、一緒に……だか、ら……レイヌ、様……死んじゃったら……レイヌ様と一緒に、いれなく、なっちゃう……それ、は……いやです」
「っ……!」
レイヌ様の手が、一瞬で離れる。
「春乃……春乃……っ! すまぬ、我は……!」
元に戻ってくれたレイヌ様が、震える声でそう呟く。その瞳には、打って変わって自己嫌悪と後悔が滲んでいた。
「レイヌ様、泣かないでください」
「だが……我のせいで、春乃が……」
「気にしてないです。あれくらいのことは……いや、困っちゃいますけど、でも、しょうがないことだとは思ってるので」
「しょうがない……?」
「はい」
だって、あたしはそういう立場にいる。望んでそうなった。
「レイヌ様。あたし、レイヌ様にたくさん良くしてもらいました。それは、あたしがレイヌ様の巫女《》だからです。だから、レイヌ様にならその……殺されても、なんにも文句が言えないのが、あたしですから」
「やめ……やめてくれ……春乃、そんなことは……」
「むしろ、謝るのはあたしの方です。不安にさせるようなこと言ってごめんなさい! あたしがちゃんとレイヌ様を一番に想ってるって、信じさせてあげられなかったのが悪いんです」
「ちがっ、違うんだ……春乃……」
俯くレイヌ様に立ち直って欲しくて、あたしはレイヌ様の手を取る。その手は、震えたまま。それは、彼女が今まさに不快自責の念に苛まれている証拠で……同時に、あたしを大切に想う証。嬉しい気持ちもあるけれど、やっぱり元のレイヌ様に戻って欲しい。
なんとかしてレイヌ様の感情を占める後悔を上書きしてあげたくて、考えて、考えて……あたしの頭に一つのアイデアが浮かんだ。これまで考えたこともなかったような、大胆な方法。しかし、あまりにも不敬なのでは……本当に今なのか……とか、そういった考えに後ろ髪を引かれる自分もいる。
でも、今のレイヌ様には、それくらいしないと伝わらない気がする。
あたしは深呼吸をして、意を決する。ええい、ままよ!
「レイヌ様」
「……なんだ?」
哀しげに顔を上げたレイヌ様を、あたしは隙ありとばかりに思い切り抱き寄せる。
「!?」
「し、失礼します……!」
そして、あたしは――レイヌ様の唇に、自分の唇を重ねた。
「んっ……!?」
レイヌ様の身体が、一瞬強張る。でも、あたしは離さない。目を閉じて、レイヌ様の感触を確かめる。
冷たくて、柔らかい唇。初めての感触に、心臓が爆発しそうなほど高鳴る。
世のカップルは、ここから舌を入れたりするって本当なんでしょうか……どれだけ強心臓なんだ……なんて見当違いな考えが浮かんでは消えても、まだ終わらない。
数秒が、永遠のように長く感じられた。
やがて、あたしは顔を離す。きっと今、あたしの顔は真っ赤になっていると想う。でも、レイヌ様の顔も、少しだけ赤くなっているように見えた。
「は、春乃……今のは……」
「き、キス、です……」
「……!」
レイヌ様の瞳が、大きく見開かれる。
「あたしの、初めてのキスです。レイヌ様にあげました」
「初めて……」
「はい。なのでその……せっかくのはじめてなので、泣かないで、嬉しそうにして欲しい……です……」
そこまでで、限界だった。あたしはあまりの恥ずかしさでレイヌ様から顔を逸らす。
あ、あたし何言っちゃってんだ……今の、まるで自分のファーストキスがとんでもなく価値のあるものみたいな言い草じゃん……痛い……あたしの客観視が自意識過剰だと叫んでいる……というか、今この場面で重要なのはあたしの方ではなくレイヌ様の唇が奪われてしまったことなのでは……? あわわ、謝罪か? 早く謝った方が良いのか……?
「あ、あのレイヌさ──」
「春乃~~っ!」
「わっ!?」
謝るよりも先に、あたしはレイヌ様に抱きしめられた。顔は見えないけれど、その声色にネガティブなものはもうない。どうやら、なんとかなったっぽいことが分かって一安心だ。
「春乃」
「はい?」
いやでも、それとキスの話は別だよね……やっぱりお詫びが必要なのでは……なんて懸念を吹き飛ばす、レイヌ様の言葉。
「もう一度したい」
「え……あ……」
気づけばあたしの顔はレイヌ様の正面に向けられ、先ほどとは逆にお美しい顔が今度はこっちに迫ってくる。その様は、また違ったドキドキを引き起こすもので。
「ちょ、ちょっと待ちません……? こ、心の準備が……」
「待てぬ」
そして今度は、レイヌ様からのキスだった。
さっきよりも長く、深く。優しい主人の一部に侵入を許すと同時に、レイヌ様の腕が、あたしを強く抱きしめる。
触れているのはほんのちょっとの表面積であるはずなのに、全部が一つになっているような感覚。さっきの初めてがかき消されてしまうほどに、簡単に蕩けてしまうあたしの身体が、すこし悔しい。
されるがままに、あたしは自分を差し出して……やがて唇が離れると、レイヌ様は満足そうに微笑んだ。
「とても……良いな。癖になってしまう」
「か、勘弁してくださいよぅ……」
顔を真っ赤にしながら、あたしは精一杯の抗議する。でも、レイヌ様はただ愛おしそうにあたしを撫でるだけで、聞き入れてはくれなさそうだった。
それから、あたしはこのまま……レイヌ様に正面から抱きつかれながら眠ることになったのであった。当然ながら、なかなか寝付けないのでしたとさ。




