あ、あたしがレイヌ様を洗うんですか?
「それでその、ここで身体を洗うんですが……」
「我には不要だな」
「ですよね~」
いざ一緒にお風呂場に入ったのはいいけど、レイヌ様は汚れないのだ。本来ならお風呂に入る必要なんてない。
「っていうか、レイヌ様。汚れないってどういう仕組みなんですか? ホコリとかついたらどうなっちゃうんですか?」
「分解して糧にする。我は常にそうしているから、汚れることはない」
「なるほど~……っと、じゃなくてですね!」
なんて便利で羨ましい体質……というのは置いておいて。たとえ汚れないんだとしても、今日はシャワーを体験してもらうんだ。
「レイヌ様にとっては無駄かもしれませんけど、今日ぐらいはここで身体を洗ってもらいますよ!」
「無駄……というのは違うぞ、春乃」
「あれ、そうなんですか?」
無駄ではないってことは、シャンプーの艶々効果はレイヌ様の御髪にも効果があったり? なんて考えていると、レイヌ様は不意にあたしの手を握ってきた。
「うむ。春乃との時間に、無駄なものなどあるものか」
「あ、そ、そういう……」
ずっと思ってたけど、嫉妬モードじゃない時のレイヌ様、甘々すぎる……! あたし、ずっと一緒にいるって約束したくらいで……あぁいや、正確にはずっと寄生させてくださいってお願いしただけの身なのに……うっ、自分で言ってて情けなくなってきた。とにかく、こんなに愛されちゃっていいんだろうか。お返しにレイヌ様とずっと一緒にいることしかできませんが!
「じゃ、じゃあレイヌ様! こちらにおかけください!」
「あぁ」
レイヌ様が出してくれたなんか良い感じのバスチェアに、レイヌ様を誘導する。考えれば考えるほどあたしが得意げになるポイントなんて一切ない気がしてくるけど、今はとことんまで図太くもてなす側の気分で行くんだ……!
「それじゃあ、まずはシャンプーですね」
バスチェアに座ったレイヌ様の背後に回り、あたしはシャンプーボトルを手に取る。プッシュすると、見慣れた白い液体が手のひらに広がった。
「これを髪につけて、泡立てて洗うんです」
「ふむ……」
なんて、得意げに説明しながらシャンプー手に馴染ませたところで、あたしは動きを止めてしまった。
待って……? あたしが、洗う……? 目の前には、レイヌ様の銀灰色の髪。腰まで流れる、美しい髪。それを、あたしが……?
「……春乃? どうかしたのか?」
「あ、いえ……その」
いや、いいんだろうか。冷静に考えて、本来レイヌ様は洗髪の必要がない。だったら今から行う行為は、純度百パーセントであたしの欲望のためだということになってしまうんじゃないか……? 神様の髪を私欲でお触りするのはいけないことなんじゃないか!?
「おい、春乃?」
「え、えっとその、なんというか……畏れ多いなって思ってしまいまして……」
「畏れ多い?」
畏れ多い。言い方を変えたらそういうことになる。だけど、言葉として口に出してみて、自分がいかに今更なことを考えているのかがすぐに分かった。
「ふふっ、とても我に向かってできることはなにもないが守って欲しい、などと言った者の言葉とは思えぬな」
「……その通りでございます……」
本当に今更遠慮してもしょうがなくはあるんだけど、なんというかちょっとそれとこれとは話が変わってくるというか。いやらしい気持ちが介在するのが問題というか。いやあたしはそんな邪な気持ちでレイヌ様をお風呂に誘ったわけじゃないんだけど……! と、ぐるぐる思考を巡らせていると、レイヌ様が口を開く。
「春乃。おまえは我の巫女だろう? ならば、我の望みを、もっと春乃を近くに感じたいという願いを叶えるべく努めるべきだ。違うか?」
「違わないです……」
ま、またこの神様は恥ずかしいことを平然と……ほんと、今はレイヌ様が背中を向けていて本当に良かった。照れた顔はあんまり見られたくない。
「じゃ、じゃあ、遠慮なく洗わせていただきますね?」
「あぁ」
「本当に、あたしなんかがレイヌ様の髪に触れてすいて感触を確かめちゃっても良いんですね?」
「我は春乃がいい」
言ったよね……? 許可、とったよね。震える手で、レイヌ様の髪に触れる。サラサラで、本当に綺麗な髪だ。汚れないから当然なんだろうけど、それでもこんな髪質を維持できるなんて羨ましい。
シャンプーを馴染ませていくと、ふわふわの泡が立ち始める。あたしは指の腹で優しくレイヌ様の頭皮をマッサージするように洗っていく。他人の髪を洗ったことなんてないのに、気分はプロフェッショナルだ。決してレイヌ様に触れている手の感触に夢中になっているわけじゃないよ!
その間、レイヌ様はされるがままで何も言わない。もしかして気に入らなかったかな、とちょっとだけ不安になってちらりと顔を覗き込もうとしたその瞬間、小さく声が聞こえた。
「……心地良いな」
気遣いではなく、本当に心から零れてきたような素直な感想に、あたしは嬉しくなる。
「本当ですか? よかったぁ……」
「あぁ。春乃に触れられるというだけで十分だが……この、頭を撫でられているような感覚も、悪くない」
レイヌ様の声は、いつもより柔らかい。まるで安心しきっているような、初めて会ったときの印象からは想像できなかった響きだ。
レイヌ様はあたしがレイヌ様の前で無防備になれることを実感できたら嬉しいと言っていたけど、今ならその気持ちがすごくよく分かる。今、レイヌ様にとってあたしが安全圏であることが実感できて、とても幸せだ。
「それじゃあ、流しますね」
シャワーヘッドを手に取り、お湯の温度を確認する。レイヌ様の創ったシャワーは完璧で、すぐに丁度良い温度のお湯が出てくる。あ、でも……レイヌ様にとっての丁度良い温度って、あたしたちと同じなのかな……?
「あの、温度はこれで大丈夫ですか?」
「問題はない。と言っても、我にとって問題のある温度などないに等しいがな」
「え、どういうことですか?」
「我にも温度を測定する機能はあるが、それは快不快とは結びついていないのだ。故に、人間のように体温より少し温かい湯に浸かって気持ちよいという感覚は理解できないかもしれぬ。すまないな」
「謝ることじゃないですよ!」
熱いものを温度が高いと認識することはできるけど、それであっつ! とかあったか~い! みたいにはならないってことだよね。お風呂の楽しみを共有できないのはちょっと残念だけど……それなのにあたしに付き合ってくれるレイヌ様の優しさが、同じくらい嬉しい。
「ただ……春乃の体温は別だ。春乃を感じられるその温かさだけは、我に至福を与えてくれる」
「あ、ありがとう、ございます……」
ま、またすっごい恥ずかしいことを……嬉しいですけどね、とても! ただ、それでいちいち照れていたらキリがない。なるべく心を落ち着けて、あたしは丁寧にレイヌ様の髪を流していく。泡が流れ落ちていくと、濡れた銀灰色の髪がより一層艶やかに輝いて見えた。
「次はリンスですね。これを使えば髪は更にサラサラツヤツヤに……って、レイヌ様の髪は最初から十分お美しいんですが……」
リンスを髪に馴染ませながら、あたしは思わず本音を漏らす。ここから更にリンスをつけて果たして意味があるのか……いやいや、最強が進化して超最強になる可能性も……とか考えていると、レイヌ様がくすりと笑った。
「それでも、春乃がしてくれるのであれば意味がある」
「レイヌ様……」
レイヌ様が、ゆっくりと振り返る。濡れた髪がやけに色っぽく見えるし、穏やかな表情も相まっていけない特別感を抱いてしまう。
「それに、春乃の手が我に触れる時間が、少しでも長くなるのであれば……我はそれを望む」
心臓が跳ねる。目と目を合わせながらそんなこと言うなんて、反則だと思う。あたしの手なんて、ただの一般女子高生の手なのに。それを、こんなにも求めてくれるなんて……そんなの、レイヌ様くらいだ。
「っ……! そ、そーですか……!」
仰せの通り、あたしは時間をかけてまた一からレイヌ様の髪を洗っていく。なるべく心を無にしながら。一瞬のような気も、とても長かったような気もする時間の後、あたしはリンスも無事に流し終える。
その後、無心になったまま長年の手癖でボディソープをタオルに含ませて泡立てる。
「じゃ、じゃあ次は身体を……身体を!?」
びっくりした。自分の言葉にびっくりしたし、当然こうなる流れだったのにそれを予期できなかった自分にもびっくりした。
レイヌ様の背中。白い、本当に白い肌。陶磁器のようで、触れたら壊れてしまいそうなほど繊細に見えるそれに、あたしが触れる……? それはダメじゃないか……? いや何回同じ葛藤をするのかって話だけど、髪と素肌はちょっと次元が違うんじゃないのか……?
「春乃。まさか、二度も同じことを言う必要はあるまい?」
「え、あ、は、はい!?」
あたしの手が止まっていたからか、先にレイヌ様に釘を刺されてしまう。もう遠慮するような仲じゃないし、むしろレイヌ様はそれを望んでる。それは分かってるんだ。でもぉ……! これはどちらかというと、あたしの気持ちの問題であってぇ……!
「あの! 身体の方は! あたしが気にすると言いますか……その、さすがにラインを越えていると言いますか、レイヌ様をえっちな目で見てしまうあたしを抑えられないと言いますか……あっ」
ななな、何を言った!? あたし何を言った!? えっ……えっちな目!? 口に出した!? バカ! やば、レイヌ様もぽかんとしちゃってるじゃん! なんか沈黙が流れちゃってるじゃん! どうすんの!
「は、春乃……今、なんと……」
「な、えっと、なんでしょうね……何を言ってしまったんでしょうね……あはは……」
「春乃。今一度、はっきりと言ってくれ。今、なんと言った?」
「え、身体の方はあたしが気にする……」
「次だ」
「ラインを、越えてる……」
「その次」
「………………レイヌ様を、えっ……えっちな目で、見ました……」
なんだこれは。ここ、いつのまにか取調室になってた……? それならしょうがないか、レイヌ様に尋問されたら、みんな自供しちゃうよね……ここからシームレスに裁判所に移動して、あたしはレイヌ様の判決を待つ身になるんだぁ……。
「そう、か……春乃が、我を……」
頭の中の連想ゲームみたいな現実逃避は、そんな呟きを聞いて吹き飛んだ。少しだけ赤くなった顔、逸らされた目線、聞いたことのない声色。照れているレイヌ様は、それくらい破壊力が強かったのだ。




