レイヌ様も一緒にお風呂入りましょうよ!
「お、お風呂だ……! ほんとに凄く良い感じの浴槽とシャワーだ……!」
あたしは神殿の一画に現れたバスルームと脱衣所を見て、ものすごく感動していた。なにせ、あの村において身体を洗うと言えば水浴びなのだ。ゲームの舞台である五千年後にはちゃんとした入浴の描写があったのに、だとか言っていても仕方がないので我慢はしていたけれど、やっぱりかなりのストレスだった。
それが、ついに前世以来のお風呂である。興奮しないというのが無理な話だ。できるならミナちゃんにもこのお風呂を体験してほしい……! って言っても、多分無理だろうなぁ。レイヌ様のミナちゃんへの警戒っぷりからして、絶対に許してくれないだろう。
「ふむ……湯での行水をする施設か。機能は概ね再現できているはずだが、これで問題はないか?」
そして当のレイヌ様は、真剣な顔でシャワーや浴槽なんかを点検していた。その横顔が珍しいうえに格好よくて、思わずどきりとしてしまう。
「はい! ほんともう、ありがとうございます!」
「春乃が喜ぶのであれば、良い」
あたしが与えてもらったものに対して全然釣り合っていない感謝の言葉を口にすると、レイヌ様は心から嬉しそうに微笑んだ。慈愛に満ちたその表情の破壊力もまた凄くて、ついついぼけーっと見蕩れてしまう。
「春乃? それで、早速使うのか?」
「あ、いや、えっと……!」
見蕩れていたところ急に聞かれて、答えに詰まる。改めてお風呂場を見てみると、シャンプーやリンス、ボディーソープまで再現されていて、いやほんと、早速入りたいくらいなんだけど……やっぱりちょっと、罪悪感がある。
本当に今更なのは置いておいて、あたしだけこんな良い目を見ちゃっていいんだろうかという、ちょっとした罪悪感。
「あの、本当に一応、念のために聞くんですけど、だれか招待して使わせてあげる、というのは……」
「ならぬ」
「ですよね~」
はっきりとNOを表明するレイヌ様。まぁ、これは分かってたことだ。レイヌ様は多分、そもそもこの場所にあたし以外を入れることに否定的だろうし。あれ? じゃあおんなじお風呂を外に創ってもらえばいいのでは……という思考を先読みされたのか、レイヌ様が口を開く。
「外に同じ施設を、というのもならぬ。人間にとって、与えすぎは毒だ。我の施しを前提にすれば、いずれ人間は自力で前に進む方法を忘れたうえに、つけあがる」
レイヌ様はなんでもできる。というのは散々思い知ったわけだけど、村の人たちへの恩恵は豊穣とか狩りの成功とか、そういうものだけに留めている。そのわけはレイヌ様のこういう考え方に基づいているみたい……なんだけど、そうなると当然一つの疑問が浮かんでくる。
「……あの、あたしは?」
「春乃は特別だ。我のものなのだからな」
「なるほど~」
つまり、人間には飴と鞭を使い分けるけど、ペットのあたしには飴だけ与えるタイプなのだ、レイヌ様は。それはまぁ、そもそもレイヌ様に甘やかしてほしいって言ったのはあたしなので、レイヌ様はあたしの望みに答えてるだけではあるんだけど。
ともかく、ミナちゃんや他の人にお風呂を体験させてあげるのは無理みたいだ。レイヌ様のご意思なので、それなら仕方ない。
でも……でも、正直言うと、お風呂で感動する他人が見たい! このお風呂ができたのは断じてあたしの功績ではないけど、一人の日本人として入浴文化に感動する人の反応を見たい! だってそういうの定番じゃん! 折角のチャンスなのに、もったいな……あ。
「そうだ! レイヌ様も一緒に入りましょう!」
そうだ。一緒に入ってくれそうな人、一番近くにいたんだった。あまりにも名案だったので自信満々に提案してみたところ、対するレイヌ様は真顔で。
「いや、我は汚れぬから必要ないのだが」
「……あ」
たしかに、レイヌ様は長年何もない神殿で過ごしているというのにいつも不自然なくらいには清潔だし、スルグ様だって汚れとは無縁だった。神様ってそういうものらしい。いや、諦めるな春乃! 必要ないってだけで、レイヌ様は嫌とは言っていない!
「え~っと、でもほら! あたしはレイヌ様と一緒に入りたいので!」
渾身の一手……おねだり! 必要だからではなく、あたしがレイヌ様と一緒に過ごしたいというわがままの一環であると主張する。これならきっと、優しいレイヌ様は。
「……そう、か。そういうことであるならば……」
二つ返事で、承諾してくれたのだった。
☆
……失敗だったかもしれない。
あたしはレイヌ様にひっそりとお風呂文化自慢をすることしか頭になかった。だけど当然、あたしの提案はこういう状況を引き起こすものなわけで。
「そのぉ……レイヌ様? あんまり見られるとその、恥ずかしいんですけど……」
「だが、春乃。我は春乃のことを少しでも長く視界に収めていたい。ダメ、か?」
裸の付き合い……にすらなっていない、脱衣所で服を脱ぐ段階であたしは尻込みしてしまっていた。レイヌ様が、ずーっとこっちを見てくるものだから。
「ダメではぁ……ないんですけどぉ……」
レイヌ様の前で服を脱ぎ、裸体を晒す。そうしなければお風呂には入れないし、レイヌ様を誘ったのはあたしだ。ここで躊躇していても仕方がない。……ので、なんとか一瞬でもッレイヌ様の視線を逸らす……!
「あの、ほら、レイヌ様も脱がないとじゃないですか。だから、あたしは向こうで……」
「む、そうだったな」
そう言って、レイヌ様は軽く手首を振る。すると、装束が黒い靄へと変わって、やがてレイヌ様の中に取り込まれていく。そうして、レイヌ様は恥じらいもなく一瞬で裸になってしまった。
──細い。
人によっては、病的に映ってしまうほどにレイヌ様の身体は細かった。女性らしい曲線はほとんどなく、骨と皮ばかりとすら言えるような細いからだ。
けれど、それでも美しいと思った。何人も寄せ付けないような神性と孤独さを帯びたレイヌ様があたしの手の届く場所にいて、その肌を曝け出していることに胸の中にほのかな熱が募っていくようだった。
「春乃?」
「あぁいやえっと、ジロジロみてごめんなさい! えとえと、綺麗です!」
見惚れていたところに声をかけられ、我に返る。慌てて謝罪と感想を口にすると、レイヌ様は少しだけ目を見開いた後、なぜか小さく笑った。
「……ふふっ、変わり者め。我など、春乃には及ばぬ」
そんなわけないじゃん……! あたし、ごく普通の平均体型なんですけど……!? なんでそんなにハードル上げてくるんですかレイヌ様!
「いやその、レイヌ様? そんなに期待されても……そこまで身体に自信がないと言いますか……」
あたしの言葉にレイヌ様は一瞬目を丸くすると、優しい笑みを浮かべた。
「そうか……どうすれば自信をもってくれる? 我が、思い浮かぶ限り春乃の身体の愛しいところを語ればよいのか?」
「い、愛しい……!? そ、そういう問題じゃなくてですね……」
顔が熱い。ただちょっと恥ずかしいというのと、あたしが脱ぐことに対してレイヌ様がなにか強く期待しているように感じられて、それで躊躇していたらどんどん話が変な方向に向かってしまっていた。
「……春乃」
「は、はい!?」
時間が経つほど脱ぎにくくなっていき、いたたまれなさでもじもじしていると、レイヌ様に名前を呼ばれた。うわずった声で応えて顔を上げると、レイヌ様の表情が目に入る。その瞬間、あたしは自分の失態に気づいた。
「我に肌を晒すのは、嫌か……?」
「ち、ちがっ……」
……最悪だ。誤解させてしまった。嫌なわけじゃない。後に引けなくなってから、どんどん恥ずかしさが膨れ上がってきただけなんだ。あたしが慌ててそう弁明しようとすると、レイヌ様は表情をふっと緩めて微笑んだ。……その瞳に、寂しさを残しながら。
「春乃、おまえに我を傷つけるつもりがないのは分かっている。我も、おまえが嫌ならば無理にとは言わぬ。だが……もし、春乃が我の前で肌を晒せる。我の前で無防備になれる。春乃がそれを示してくれたのならば、我は嬉しい」
「……!」
それは……つまり。レイヌ様はあたしの裸に興味津々だったわけじゃなく。……いや、そういう神様じゃないっていうのは分かってたけど。レイヌ様は、あたしがレイヌ様の前で自ら無防備になるという形で、信頼を示して欲しかったんだ。それなのに、不安になってしまっているはずなのに、レイヌ様は無理強いはしないと言ってくれている。
やっぱり、優しい。あたしは何をしてたんだ。応えなきゃ、レイヌ様の気持ちに。
えぇい、なんだ! 女同士でお風呂入るだけだし! それくらい、変に意識することでもないやい!
「そうですね。あたし、なんか深く考え過ぎちゃってました。レイヌ様の前で無防備に、なんて余裕です! そもそも、よく考えたら村ではミナちゃんに……あ」
「……なんだと?」
……やってしまった。ピシリと空気が凍ったのが嫌でも分かる。穏やかだったレイヌ様の機嫌が急転直下で悪化していく。
「……春乃。おまえ、ミナの前でも……」
「いやその、村に来た最初の頃に、水浴びの方法を教えてもらったときに……」
不可抗力、ではあった。右も左も分からないで水浴びできずに過ごすなんてありえなかったし、やり方を教えてもらうにはミナちゃんが最適だった。そもそも、ミナちゃんは妹みたいなもので、やましいことでは全くない……というのでレイヌ様が納得しないであろうことは、さすがにもう分かる。
というか、レイヌ様知らなかったんだ……レイヌ様、神様の眼で村の出来事は大体分かるはずなんだけど、あたしがここに来た最初の頃はあたしに注目していなかったってことなのかな。
「春乃。脱げ」
「ひゃ、ひゃい!」
強い語気。優しいレイヌ様はどこへやら、それは完全に命令だった。逆らうわけもなく、あたしはそそくさと服を脱ぐ。腕で恥ずかしいところを隠すあたしを、レイヌ様は見下ろす。
何をされるんだろうか。ま、まさかお仕置き……!? などと考えていたら、不意に冷たいような、温かいような、それでいて心地の良い感覚が全身を覆った。
「温かいな、春乃は」
「レイヌ、様……」
抱きしめられているのだ、あたしは。レイヌ様に。そのことに気づいて、あたしはレイヌ様の背に手を回した。さえぎるものは何もなく、直接素肌が触れあう。まるでレイヌ様と一つになっているみたいだった。
「……これは、ミナともしたことがないだろう?」
「は、はい……」
当然、こんなの初めてだ。今までで一番レイヌ様を近くに感じる。レイヌ様の指があたしの肌を捉える感覚も、胸と胸が当たって形を変える感覚も、全部が心地よい。でも、さっきまでとは別種の恥ずかしさでどうにかなりそうで。自分でも分かるくらいに顔が熱くて、レイヌ様の方からこっちの顔が見えないことが幸いだ。……と、思っていたのに。
「さて、春乃」
「ちょ、ちょわっ!? あ、あんまり見ないでください……」
不意にレイヌ様が腕の力を緩め、少し離れてあたしと目と目を合わせようと動いた。真っ赤になった顔を見られたくなくて、反射的に目を逸らす。だけどレイヌ様はそんなのお構いなしに、とんでもないことを言いだした。
「自信をつけねばならないのだったな」
「……へ?」
自信……? あ、もしかしてさっきの……あたしが自分の身体に自信がないって話をしてるのかな……? なんて思い当たった次の瞬間、レイヌ様はあたしの手をとって頬にあてがった。右手がレイヌ様のほっぺと手に挟まれて、なんだかとんでもなくいけないことをしているような……いやもうしてるようなものなんだけど、とにかくそんな実感が湧いてきて、うるさいくらいのドキドキが止んでくれない。
「我は……ハッキリ言って、ヒトの身体の善し悪しなど、感覚的には理解しておらぬ」
「は、はい……?」
えっと、神様だから人間の美的感覚をそのまま持っているわけじゃない、ってことだよね……? いきなりそう宣言された意味を考えていると、レイヌ様はあたしの手を指で撫でながら口を開く。
「だから、他の人間がどう思うかなど我には分からぬ。だが、そんなものは関係がないのだ。春乃。我にとって、おまえのすべてが愛おしく、誰より愛すべき存在であることこそが肝要なのだ」
「ふぇぇっ……!?」
こっ、ここ告白ですかレイヌ様……!? レイヌ様に告白じみたことを言われたのは初めてじゃない気がするけど、何度言われても慣れる気がしない。
「おまえの身体もそうだ。我にとっては、これが最も愛らしい肉体なのだ。例えば、そうだな……」
レイヌ様の視線が、ゆっくりとあたしの身体を撫でるように動いていく。
「春乃の髪は……我の領域を覆う夜空の闇によく似ているな」
「ふ、フツーの黒だと思いますけど……」
「よく似合っていて、運命的なものを感じてしまうな」
「よ、夜空とのコントラストって意味では、レイヌ様の方が……」
って、なんだこのやりとり!? 褒め合いが始まっちゃったんですけど!? 無理だ……レイヌ様はあんまり気恥ずかしさとか感じないみたいだし、こうなったらあたしに勝ち目はない……! 恥ずかし刑に処される……!
「そして、この瞳」
「ひ、瞳ですか……?」
レイヌ様の紫の瞳が、じっとあたしを見つめる。たまらず顔を逸らそうとするけれど、どこからともなく現れた黒い霧がそれを邪魔する。レイヌ様の力で首を固定されてしまったみたいだ。見た目は怖いけど、ひんやりして気持ちいいかも……なんて現実逃避していないと、近すぎるレイヌ様の瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「春乃の眼は、我が久しく忘れていた温かな色をしている。春乃が我を見てくれるたびに、この瞳の中に我が映る。それが……たまらなく、嬉しい」
「そんなに特別な眼はしていないと認識していたのですが……!?」
「では、改めるのだ。おまえの瞳は、この世で唯一我を捉えることのできる特別な瞳なのだと」
「レイヌ様……」
「それで、おまえの肌だが……」
「まだ終わってなかったんですかぁ!?」
もうとっくにあたしは限界だっていうのに、レイヌ様の指があたしの頬から首筋へ、そして肩へと滑っていく。
「我とは違い、血が通っている温かさがある。触れるたびに、鼓動が伝わってくる。春乃が生きている、この手の届く場所にいてくれている。それを実感できる」
「に、人間はみんなそうだと思うんですけど!」
「身体の線も……我にはない、柔らかな曲線を描いている。抱きしめると、その柔らかさが我を包んでくれる。まるで、我を受け入れてくれているようで……」
「そりゃ、レイヌ様のことは全部受け入れていますけども……」
ぎゅ、と。またもレイヌ様はあたしを強く抱きしめる。まるであたしの存在を確かめるかのような触れ方をするレイヌ様は……なんというか、いつもより可愛く見えて、少しだけ恥ずかしさを忘れて抱き返す。
「……ありがとうございます。レイヌ様のおかげで、ちょっとは自信つきました」
「いや、まだ終わっておらぬ」
「えぇっ!?」
レイヌ様はそう言ってハグを解くと、あたしの手を取った。そして、手と手を濃厚に絡ませながら、恍惚とした瞳をあたしに向ける。
「この手は……我に触れてくれる手だ。我を抱きしめてくれる手だ。我が孤独であった時間の中で、初めて温もりを与えてくれた手だ」
「れ、レイヌ様っ」
「そして……」
レイヌ様が、あたしの額に自分の額を押し当てる。必然的にレイヌ様のお顔がキス寸前くらいの距離にきて、畏れ多さと美しさの板挟みになってしまう。
「何より、この春乃のすべてが……我のために、側にいてくれている。それだけで、我にとっては何にも代え難い価値があるのだ」
「も、もう十分です! 自信つきました! めっちゃつきました!」
あたしは顔を真っ赤にしてレイヌ様の腕から脱出すると、爆発したみたいに両手を振った。これ以上続けられたら、本当にどうにかなってしまいそうだ。
「ささ、もう入りましょう! 脱ぎっぱなしだとあたし冷えちゃいます!」
「あぁ、そうだな」
あたしは逃げるように逃げ場のない浴室へと向かい、その後を満足そうな顔をしたレイヌ様がついてくるのだった。




