至れり尽くせりすぎじゃないですか?
神殿への長い階段を上りながら、あたしは心の準備をする。
レイヌ様、めちゃくちゃ不機嫌だろうなぁ。ミナちゃんと何度も抱き合っちゃったし、村長さんや村人たちとも長々話しちゃったし。約束したばかりなのに、早速レイヌ様を不安にさせてしまった。いやだって、まさかレイヌ様の嫉妬の判定ラインがあんなに低いとは……まぁ予想はできたことか。うん、悪いのはあたしだ。
「でも結局、やることは一つなんだけどね」
階段を上りきって、何もない神殿の下層に立つ。いつものように呼びかけようとした瞬間、声をかける間もなく視界が切り替わって神殿上層に引き上げられた。
そうして目の前に現れたレイヌ様の表情は……怒りというよりも、不安と寂しさが入り混じった、傷ついた子供のような表情だった。
「……遅い」
ぽつりと、そんな言葉が落ちる。ごめんなさいと、そう口にしようとして……やめた。言葉は後回しだ。まず態度で示すべきだと思ったし、それ以上にあたしがそうしたいと思ったから。
「レイヌ様!」
あたしは迷わずレイヌ様に駆け寄って、その冷たい身体をぎゅっと抱きしめた。
「っ……!?」
レイヌ様の身体が一瞬強張る。だけど、あたしは離さない。むしろ更に強く抱きしめる。
「春乃……」
「ただいま、ですね。声は届いてましたけど、あたしも寂しかったですよ、レイヌ様」
「っ!」
レイヌ様のそんな顔を見たら、抱きしめたくなってしまうから。あたしは敢えてレイヌ様がご立腹なことには触れずに、ただただありのままの気持ちをぶつけた。
「……我も……春乃が……いや!」
レイヌ様の手が、あたしの背中に触れるのを一瞬だけ感じたけれど、すぐにその手は引っ込められてしまう。これくらいじゃ素直になってくれないみたいだけど、その一瞬でレイヌ様の本心が垣間見えた気がして嬉しくなってしまった。
「こっ、こんなことで我が納得すると思うな! 我は怒っている!」
「不安にさせてしまいましたか?」
「……」
無言の肯定。ムスッとした顔のレイヌ様はヘソを曲げてしまっているみたいで、簡単に許すつもりはないみたいだった。
「もう、レイヌ様。言ったじゃないですか」
「……何のことだ」
「レイヌ様が不安になるなら安心できるくらいにあたしを縛って良い、って」
レイヌ様の耳元で、あたしは改めて自分の覚悟を口にする。あたしは本気だ。本気で、レイヌ様の支えになりたいと思ったから。
「できるはずです。レイヌ様のお力なら。あたしをレイヌ様しか見れない状態に変えちゃうとか。レイヌ様は優しいから、他の人にはこういうことできないかもしれませんけど、あたしにならいいんです」
「春乃、そこまで……」
「まぁ、ほんとは怖いんですけど……約束ですからね!」
本心で自分の胸の内を伝えると、レイヌ様の瞳が大きく揺れた。
「……もうよい。春乃の気持ちは伝わった」
「そうですか?」
「だが、二つ言っておく。あまり自らの心を軽く扱うな。我のため、というのは分かるが……これはおまえを信じ切れぬ我の問題だ。そこまで甘やかされるほど落ちぶれてはおらぬ」
簡単にあたしの全部を好きに扱って良いとか言わないで欲しいと、レイヌ様は言いたいみたいだった。とは言っても、あたしのアピールポイントがその覚悟くらいなんだけど……や、その考えをレイヌ様はやめてほしいって言ってるんだろうから、改めなくちゃ。
「二つに、我とて本当は春乃の交友関係をあまり縛りたくないが……ミナにだけは気をつけろ」
「あぁ……たしかにミナちゃんは思ったよりも結構あたしのことを慕っててくれたみたいですけど、レイヌ様が心配するようなことは……」
「ある。仮にも生け贄となる予定だった者だ、ミナの生い立ちや人となりは承知している。その上で断言するが、あれは本気で春乃を狙っている」
そう言って、レイヌ様はようやくあたしを抱き返してくれた。まるであたしを逃がすまいとしているみたいに、その力は強い。
「わっ」
「……初めてだったのだ。あれにとって、おまえのように何気なく接してくれる者は。以来、あれは今までにない顔をするようになったし、それがおまえを強く求める理由になるのも……理解できる」
「そう……なんですかね?」
曲がりなりにも、村の全部を見守ってきたレイヌ様だ。レイヌ様が語るミナちゃん像は、あたしの印象よりも正確だと思う。だけど、そうだとしてもミナちゃんはまだまだこれからだ。これから友達を作って、これから村に馴染んでいける子だ。だからその、あたしが特別でいられるのも時間の問題だろう。うっ……自分で言ってて寂しい。
「だが……それでも、それでも我は春乃を独占したい。どれだけミナに理由があろうと、渡したくはない。おまえが他の者に笑いかけることすら、許したくない」
「……嬉しいです。そんなに想っていただけて」
ほんとに。あたしは要するになんでもするから養ってみたいなことを言っただけなのに、こんなに独占欲を向けてもらえるなんて不思議なくらいだ。……それくらい、レイヌ様にとって近くにいてくれる存在が貴重、ってことなのかな。
そうしてあたしとレイヌ様はしばらく抱き合っていたけど、やがてレイヌ様は愛おしそうにあたしの頭を優しく撫でた後、不意にあたしの身体を持ち上げて立ち上がった。
「ちょっ……!? レイヌ様!?」
こんな微塵も筋肉とかなさそうな腕でどうやって……という疑問は神様だからですぐに納得していると、レイヌ様は言った。
「さて、春乃。これから部屋の整備をするぞ」
「え……? あぁ……」
そういえば、あたしは今日からここで暮らすという話だったけど、この神殿の上層。レイヌ様が暮らしているこの場所は本当に何もない。人間が生活するために必要なものが何一つ揃っていない。レイヌ様はそれでも何の問題もないのかもしれないけど、あたしは無理だ。
「今からこの場所をおまえの好きなように変える。必要なものを思い浮かべろ」
「あ、はい」
なるほど。前に調味料を出してくれた時と同じで、あたしが思い浮かべたものを出して部屋を整えてくれるのかぁ。なんて考えていると、不意にレイヌ様の顔が近づいてきて、ついに額と額がくっついた。
「ふぇっ!?」
「どうした? 早く好きなものを思い浮かべろ」
「そう言われましても!」
落ち着け、落ち着くんだ春乃……! えぇっと、暮らすのに必要なもの……ベッド、机、椅子に……あとは……。
「あっ」
次に思い浮かんだのは、ここでの生活で散々ありがたみを思い知った偉大なる電化製品たち。冷蔵庫、洗濯機、エアコン、照明、電子レンジ。ここにあっても役に立たなさそうなものが、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
やがてレイヌ様の顔が離れた、その次の瞬間。目の前の空間に闇が集まり、形を成していく。そうして現れたのは、見慣れた形の冷蔵庫だった。
「お、おぉ〜……?」
あたしが使っていたものとほぼ同じ、真っ白な二ドアの冷蔵庫。それが神殿の床にどっしりと鎮座している。現実離れ……というかあまりにミスマッチな光景に、思わず声が出てしまう。
「……人間が、こんなものを作れるところまで行くとは驚きだな」
それを出したレイヌ様本人も、興味深そうに冷蔵庫を見つめていた。その表情には、純粋な驚きと感心が滲んでいる。
「あ、でも電気とかないですよね……あっても動かないんじゃ……」
当然ながら電気なんて通っていない。このままで動くわけもなく……まさか、発電所も出してもらわなきゃいけなかったり……? とあたしが震えていると、レイヌ様が口を開く。
「そのようだな。このままでは動かぬが……」
レイヌ様はそう言いながら、冷蔵庫に近づいた。そして、その表面にそっと手を当てる。
「……設計思想は理解した」
「え?」
レイヌ様の手から、闇のオーラが冷蔵庫に流れ込んでいく。すると、モーター音が響き始め、冷蔵庫が動き始める。
「え、えぇっ!? どうやって……?」
「我の力で同じ働きをするように造り変えた。これで、問題はないはずだ」
さらりと言ってのけるレイヌ様は、まさに神様だった。かっこいい。
「この調子で行くぞ」
「え、あ、はい!」
それからレイヌ様は次々とあたしのイメージを読み取り、神殿上層に家具や家電を創り出していった。あたしが思い浮かべるものが、全て形になっていき、家具、インテリアどころか、キッチン、お風呂、トイレも現代仕様で完備されていく。
「いやあの……至れり尽くせりすぎじゃないです? ほ、本当に代償とかないんですよね?」
あまりの厚遇ぶりに、思わず不安になってしまう。こんなに何でも叶えてもらって、本当に良いんだろうか。
「気にするな。我の春乃の為なら、些細なことだ。それに……」
「それに……?」
「その……おまえを故郷に帰してやることはできぬ。だから部屋の気分だけでも、と思ってな……」
「レイヌ様……!」
そこまで考えてくれるなんて、レイヌ様は本当に優しい。それに、『我の春乃』って……改めて聞くと、なんかかなり照れくさい。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えちゃいますね」
「あぁ、遠慮することはない」
そうして、あたしは思いつく限りの快適な生活用品を思い浮かべた。レイヌ様は全てを創り出してくれて、それらを神殿上層に配置していく。
気がつけば、殺風景だった神殿上層は、まるでどこかの高級マンションの一室みたいになっていて、元の世界のあたしの部屋よりも、ずっと快適そうな空間に変貌していた。
「これで良いのか?」
「は、はい! ありがとうございます!」
レイヌ様は満足げに頷いて、創り出したベッドにあたしを下ろすと、穏やかな笑みをあたしに向けてくれた。
……レイヌ様は、本当に優しい。今このタイミングで思うのは、なんか物で釣られたみたいになってしまうかもしれないけれど、あたしは心からレイヌ様の巫女になれて良かったと、そう思うのだった。




