第16話 最強の囚人
歪み、うねり、見たことのない奇妙な世界。ひとまず仮の世界と呼ぶことにしようか。
とても不気味だ。
妙に透きとおった海のような中を移動している。
(ここが仮の世界か)
こんな所に来たことがないのに、何故か来たことがあるような感覚がする。絶対行っていないはずなのに、行ったような感覚がある。
ぐにゃぐにゃと歪んだ世界を流されるままに移動していると、なにやら裂けている空間があるのが見える。それを見たフランソワ・ヴィドックはこっちを見て頷く。あの裂け目のようなところから出れるようだ。フランソワが、空間の裂け目に手を触れると、直視できないような光を浴びまた意識を失う。
「ウンェクゥフ!ヅゥキウヤエィス! 」
気がついた途端にマジでゲロマズな状況である。大きな門の前で新海清彦たちは、恐らくここの門兵と思われる人物に、槍やら剣やら向けられて怖気ずいている彼がいる。しかもここの人の言語はよくわからない。確実に日本語でも英語でもない。なんとか聞き取って文章にしてみたけどマジで意味わからない。
「キィスィル!」
(フランソワ!一体これはどういう……って何故かいない!仮想空間の途中ではぐれた?いやでも一緒に裂け目に入ったからそれはありえない。なんで、アリスと俺だけなんだ……)
おどおどしていると、ほかの兵士より強そうな装備をしている兵士が現れた。恐らく兵士長だろう。兵士長の隣には下っ端兵士がいて、その下っ端兵士と兵士長がなにやら話をしている。だいたい考えられるのが「牢屋に入れよう」とか「殺そう」とかそういう話をしているんだろう。何を喋ってるかわからないからただの推測でしかないが、その可能性が高い。
兵士長たちが話終えると、彼らは拘束され地下牢に入れられた。どうやら牢屋に入れる話だったらしい。
新海清彦と東条アリスは向かい合って仲良く牢屋入りした。本は持ったままなので一応これで抜けることは出来るけど東条やフランソワ・ヴィドックを置いていくことになるからまだ使えないだろう。
牢屋の中はろうそくの灯りだけで、目の前にアリスがいるのに孤独に感じるくらいに薄暗い。新海清彦と東条アリスの部屋の距離は、歩幅にして大幅1歩分と言ったところか。たったの1歩が何10mも離れているようにも思える。初めて牢屋に入れられて、これが牢屋に入れられる気分かと思う。手錠とかはされなかったので、部屋の中だけの自由は許されるようだ。
特にやることもないので本を開いて見てみる。すると彼の脳内に語りかけてくる声が聞こえた。
『セーブする?』
(なにこれ。俺はRPGの主人公ですかっての)
『するの? しないの?』
無駄に急かしてくる。この状況下で能天気に話しかけられると余計にイラつく。
『今しないと後で死んだ時に「あぁ〜セーブしとけばよかった〜」って後悔するぞ。いいの?』
(はいはい。します、しますよ)
『セーブ完了しました。』
なんだったのだろうか今のは。セーブっていうことは、もしかしてこの本に書いたのだろうか? そう思ってページをめくってみると、さっき仮想空間のために使ったページがなにやらよく分からない文字や記号とここの写真に書き変わっている。なるほど、この本はセーブ機能もあるのか。次に入る時はここからストーリが進む的なことか。もしくはヤバくなったらリセットしてセーブから再スタートすることもできるかもしれない。
知らない奴らに捕まっているのに、これから死ぬかもしれないのにも関わらず緊張感の欠片もない。なぜならいくらでも死ねるからだ。しかもセーブができるとわかったから尚更だ。
早く脱出しないとな、と考えていると目の前から何やら音が聞こえる。
ガン! ……ガガン! ……ガタン!
鉄格子を叩く音だろうか、しかもなにやら猛獣の呻き声のような音も聞こえる。もしかして、と言っても一つしかないが……
東条アリスが活動を開始した。
不安と安堵が混ざりあって不思議な感覚におちいる。まずは状況確認をしてみよう。
東条は新海と同じく鉄格子の中にいる。いとも簡単には破ることの出来ない頑丈なものだろう。そして、今しがた見張りの兵士達が3人駆けつけた。彼女を静かにさせるためだろう。しかも兵士の1人はマスケットを持っている。到底、彼女には叶うはずがないだろう。暗闇でもわかるほど東条の目はぎらりと光っていた。
兵士の1人が何かを叫んでいる。
「ズフラ! ズフラ!」
アリスが暴れるから「うるさい!」みたいな事でも言っているのだろうか。それでも彼女の状態は変わらない。棒を持った兵士が鉄格子を棒で叩いて彼女に威嚇している。
すると、棒で叩いている兵士に気づいた彼女が瞬く間に兵士の首をつかむ。
「オッ!オゴッ……!ォアァァアア!」
「スヲケモンノウ!」
首を掴まれている兵士に驚いて他の兵士もあたふたする。マスケットを持った兵士はすぐさま東条が兵士を掴んでいる左手の手首に狙いをつけ、引き金を引いた。
流石の彼女でもゼロ距離射撃は避けることは出来なく、手首に傷を負ってしまう。
「─────ッッッ!!!」
彼女は腕の痛みに悶えている。すると次の瞬間、彼女は女子高校生の声とは思えないドスの効いた低い声で咆哮する。まるでドラゴンとか超大型の獣レベルだ。
グオオオオオォォォォォ!!!
至近距離で聞いているため、とても鼓膜が破れそうな程にうるさい。しかも、彼女の様子も変だ。黒目の部分は赤く光り、口にはライオンの牙のようなものが生え、そして彼女自身の体全体に赤黒いオーラのようなものがまとっている。
その気迫は全てを滅ぼすかのようだった。
既に完治した彼女の左手は、首を掴まれた兵士の鎧と共にいとも簡単に胸を貫き、的確に心臓を捉えた。証拠に彼女の左手には兵士の心臓が鎮座している。辺りには血が飛散しており、アリスにも返り血がびっしりと付いている。
兵士達が慄いている間にアリスは鉄格子をぐにゃりと曲げて牢屋の外に出る。そして、恐怖で動けなくなった兵士をひしと見ている。
東条アリスは妙に落ち着いていた。
ゆっくりと兵士に近づく。兵士達は震え動けぬ足を酷使しながら後退りをする。恐ろしすぎて涙すら流す余裕も兵士達にはない。
兵士達の背中に壁がついてしまう。もう逃げることは出来ない。
彼女はマスケットを持った兵士に右手で首をつかみ、喉を噛みちぎる。兵士は断末魔の叫びと共に恐怖からの緊張が解けたのか、もしくは死亡して筋肉が機能しなくなったのか、失禁している。
辺りには血の臭いと糞尿の臭いでかなりの激臭がする。それに見るに耐えない光景で、不快どころではない。
ゾンビのように兵士達をぐちゃぐちゃとゆっくり食べていく東条アリス。既に人ではなくなっている。いつの間にか3人の兵士は全滅しているようだ。
彼女は一通りのことをやり終えたらフラフラと立ち上がり、足元がおぼつかない状態でこっちへ向かってくる。既に疲れているのか、さっきまでの覇気とかオーラが無くなっている。遂には新海の牢屋の前で倒れてしまった。
おぞましい光景を見て気を失いかけ、少しぼうっとしていた。新海清彦は今、独り牢屋の中にいる。見張りの兵士が全滅したためここから出るのは何日後になるのやら……。人の気配は全くないし、辺りは腐乱しているし、ずっとここに一人でいるのは心がまいってしまう。本を使って出るにしても、例のセーブポイントからなので結局は何も出来ずにこうなってしまう。
要するに新海清彦は詰んでいる。
いや、正確には「ほとんど」詰んでいる。なんせここでずっと待っていれば、異変を察知した他の兵士が来るはずなので、もしかしたら出れるかもしれない。もし出れなくても死体処理くらいはしてくれるはずだ。
他の兵士が来るまで、ずっと我慢するしかない。
長い長い地獄の始まりだ。