ゲームの知識を胸に、辺境領へ
画面いっぱいに、アルヴェリア王国の旗と新しい国旗が並んでいた。
その下で、王族や貴族、騎士たちが祝賀の式典を開いている。
『アルヴェリア王国は、レオンハルト大公の統治する北東辺境領を、独立した大公国として承認しました』
『両国は友好関係を維持し、相互防衛と交易に関する協定を締結。長きにわたる国境の争いにも、終止符が打たれました』
画面の中央で笑っているのは、第四王子だったレオンハルト。後ろには兄たちや姉、妹、婚約者のセシリア、政務を支えたエレノアの姿もある。
「……やっと、ここまで来たか」
思わず声が漏れた。
長年遊び続けてきた領地経営シミュレーション『王国の末王子と辺境開拓記』。その最高難度、大公国設立エンドに、ついに辿り着いたのだ。
開発も軍事も、周辺貴族との関係も、どれか一つ傾けば全部が崩れる。何度失敗したかわからない。
それでも今回は、反旗を翻して勝ち取るのではなく、王国と手を取り合って国を育てる道を選べた。それが、俺の見たかった結末だった。
「よし……!」
小さく拳を握る。これで、主要なエンディングはすべて見たことになる。
◇
俺は地元の中小企業に勤める会社員――というのは表の顔で、週末は現代に現れた『ダンジョン』に潜る底辺配信者だ。
今日も視聴者わずか3人の前で、最弱のゴブリンに追い回された。コメント欄には「才能なし」「配信やめちまえ」。腕に残った爪の引っかき傷が、まだ熱を持っている。
そんな俺にとって、唯一の癒やしがゲームと、飼っているウサギのフクと過ごす時間だった。
画面が切り替わり、お馴染みの選択肢が表示された。
『NEW GAME+ これまでのプレイデータを引き継いで、最初からゲームを開始しますか?』
「……もちろん、やるに決まっているだろう」
今度は違う育成方針を試したい。引き継ぎアイテムの一覧から、俺は三つを選んだ。兵法書、王立剣術指南書、領地経営の手引き。強力な武器より、今回は幅広い能力を伸ばしたい。
ふと時計を見ると、思ったよりずっと遅い時間だった。
「……しまった。明日も仕事だ」
ゲームは、起きてからにしよう。
「フク、そろそろ寝るぞ」
足元で丸くなっていた白いウサギが、耳をぴくりと動かして顔を上げた。耳の先と背中に、茶色い毛が少しだけ混じっている。もう何年も一緒に暮らしている、大切な家族だ。
抱き上げると、小さな体は驚くほど軽くて、そして温かかった。ふかふかの毛が腕に沈み込む。
「お前はいいな。明日も寝ていられて」
笑いながらケージに戻してやり、俺はパソコンの前の椅子に座り直した。画面には、第四王子レオンハルトが表示されている。
今度はどんな領地に育てようか。
「……少しだけ、目を閉じよう」
そのまま、深い眠りに落ちていった。
◇
まぶたの裏が、やけに明るい。
背中に、硬い椅子の感触がない。代わりに、ふかふかの寝具に沈み込んでいる。
目を開けると、見慣れない天井があった。彫刻の施された太い梁。窓から差し込む朝の光。
「……どこだ、ここ」
口をついて出た声が、自分のものではなかった。少し若くて、よく通る声だ。
上体を起こして手を見る。細く長い指。普段の自分の手と、まるで違う。
ベッドの脇には、銀縁の鏡が置かれていた。のぞき込んで、息を呑んだ。
映っていたのは、ゲームの中で何百回も見てきた顔だった。第四王子、レオンハルト。
「……嘘だろ」
頬をつねる。ちゃんと痛い。
血の気が引いた。俺は、俺のままなのか。それとも、今ここにいる「俺」が、元の俺を塗りつぶしているのか。
そのとき、記憶が流れ込んできた。兄たちに剣や政治を教わった子どもの頃の日々、王城の廊下の匂い。レオンハルトとして生きてきた記憶が、確かにここにある。
不思議と、恐怖は長く続かなかった。この身体の癖も、城での作法も、考えるより先に思い出せる。二人分の人生が静かに重なって、「俺」という一つの輪郭に落ち着いていく。
引き継ぎで選んだ三冊の中身も、読んだ覚えはないのに、知識だけが頭に刻まれていた。攻略Wikiのような細かい数字までは思い出せないが、何をすべきかの見当をつけるには十分だ。
それでも、胸の奥に引っかかるものが残った。
――フクは、あの部屋でひとりで寝ている。
もし戻れなかったら。そう考えかけて、頭を振った。今は、目の前のことだ。
窓辺に立つと、王都の景色が広がっていた。石畳の大通りを荷馬車が行き交い、尖塔の旗が春の風にはためいている。画面の向こうにしかなかったはずの景色が、今は窓の外に実在していた。
考えがまとまらないうちに、扉の向こうから声がした。
「レオンハルト、準備はできたか?」
今日は、父王から任された北東辺境領へ出発する日だった。
◇
入ってきたのは、第二王子のアレクシスだった。王国軍の軍事司令官を務める兄は、気さくに俺の肩を叩く。
「せっかくの弟の門出だ。見送りの時間は空けてある」
「ありがとうございます、兄上。教えていただいた兵站の重要性も忘れません」
記憶をたどるまでもなく、言葉は自然に口をついて出た。兄に兵站を教わった日のことが、確かに自分の思い出としてそこにある。
「兵士を動かすだけでは戦えないからな。困ったことがあれば遠慮なく知らせろ」
笑って肩を叩いてくれる兄の顔を見ながら、俺は胸の奥で、ひとつの日付を数えていた。
半年後。ゲームでは、この兄が戦死するイベントが起きる。
今度こそ、防いでみせる。
父王の執務室では、父が短く告げた。
「辺境では周辺貴族との関係が重要になる。事情を理解して、落としどころを探しなさい。中央との連絡も疎かにしないように」
「はい。予算と人員を考えて、運用できる計画を立てます。帳簿を見ると眠そうな顔をしていた俺ですが、今度こそ頑張ります」
言ってから、これはレオンハルトの子どもの頃の失敗談だったと気づく。けれど、まるで自分の思い出のように、すんなりと口から出ていた。
父は小さく笑った。
「期待している」
廊下に出ると、妹のクララが俺の服の裾を引っ張った。目がきらきらしている。
「ねえ、向こうには美味しいお菓子がある?」
「どうだろう。行ってみないとわからないな」
「じゃあ、見つけたら送ってね! 約束だよ!」
差し出された小さな小指に、俺も指を絡めた。
「わかった。約束だ」
◇
数日かけて着いた北東辺境領の中心都市は、城壁の内側に商店が並んでいたが、閉ざされた店が多く、人通りも少なかった。
領主館で出迎えてくれたのは、金色の髪をまとめた騎士服姿の婚約者、セシリアだった。
「レオンハルト殿下。お待ちしておりました」
「久しぶりだね、セシリア」
続いて紹介されたのが、宰相家の令嬢で政務補佐官のエレノアだ。
「中央政府との連絡も、役割に含まれているのでしょうか?」
「その通りです。ローゼン辺境伯家との協力は不可欠ですが、中央との連携も維持していただきたく存じます」
セシリアの表情が、わずかに硬くなった。
「当然のことだと思います。ただ、現地で起きていることは正確に伝えてください。中央にとって耳の痛い話でも、隠さずに」
「……承知いたしました」
エレノアは意外そうに瞬きをして、一礼した。
立場は違うが、どちらもこの領地に必要な人材だ。
◇
翌朝、執務室には羊皮紙の巻物が山と積まれていた。セシリアとエレノアは、人口の記録を探して何度も巻物を広げ直しては、重さに苦労している。
その二人と人口の相談をしていると、扉が強く叩かれた。
「急ぎの報告です! 北東のオストドルフ村の周辺に、三日前から武装した一団が現れています。夜になると、穀物倉庫の周りをうろついているそうです」
セシリアが立ち上がりかけた。
「国境に近い村です。隣国の兵かもしれません。私の手勢ですぐに向かいます」
「待ってくれ。その一団の装備は?」
「鎧も武器もばらばらで、揃いの旗や紋章はなかったそうです」
「……おそらく野盗です。目的は食料でしょう」
「根拠をお聞かせください」
エレノアの問いに、俺は答えた。
「装備が統一されていないこと。村人ではなく倉庫だけを狙っていること。それに、あの村は人が減って、夜に見張りを立てる余裕もない。そういう場所は、食い詰めた連中に真っ先に目をつけられます。ただ、確証はありません」
野盗を放置して村を焼かれたことも、騎士団を出しすぎて国境を破られたことも、ゲームでは経験している。
「セシリア、少数の騎士で向かってくれ。ただし国境の砦には近づかないでほしい。相手が隣国の兵なら、こちらから動いたと受け取られかねない。エレノアさんは、砦への連絡と領都の備蓄の確認を」
「承知しました」
二人が動き出すと、エレノアが足を止めて振り返った。
「……殿下は、ずいぶん判断がお早いのですね」
「兄たちが、いろいろな資料を用意してくれましたから」
半分は本当だ。残りの半分は、何度も失敗した経験のおかげだった。
けれど、それを口にするわけにはいかない。
「そうですか」
エレノアは穏やかに頷いた。ただ、その視線は、少しだけ長く俺に留まっていた。
宰相家の令嬢で、中央との連絡役でもある人だ。彼女の観察眼を、甘く見ない方がいいだろう。
◇
二日後の夕方、セシリアは泥のついた鎧のまま戻ってきた。縄で縛られた男たちが、後ろで騎士に引き立てられている。
「近隣の山で暮らす野盗でした。隣国の兵ではありません。倉庫の扉を壊そうとしていたところを制圧しました。騎士が一人、腕に浅い傷を負いましたが、手当ては済んでいます」
「ありがとう。その騎士にも礼を伝えてほしい。君が無事で何よりだ」
肩に手を置くと、セシリアは驚いたように俺を見上げて、それから誇らしそうに笑った。
「殿下が少数で、とおっしゃったおかげです。大勢で押しかければ、山へ逃げ込まれていたでしょう」
「運が良かっただけだよ」
エレノアによれば、砦に異変はなく、ローゼン辺境伯家が麦を荷馬車三台分融通してくれるという。
「人が減った村は、それだけで狙われる。治安が不安なままでは、移住者を呼んでも定着しない。人を呼ぶ前に、守る備えを整えよう」
「はい」
二人の返事が重なって、俺は思わず笑った。
「どうされましたか?」
「いや。頼もしい味方が二人もいるな、と思って」
セシリアは耳まで赤くして咳払いをし、エレノアは帳面で口元を隠した。
その瞬間、俺の頭の中に、ゲームのシステムUIに似た半透明のウィンドウが弾けた。
【初の領地防衛に成功:レベルが上がりました。現実世界の肉体へ同期します】
「……え?」
目の前の二人は気づいていない。夢か幻聴かと思ったが、その文字はすぐに消えてしまった。
◇
その日の夜、俺は自室の机に向かっていた。机の上には、街で買った蜂蜜入りの焼き菓子の包みがある。店の老婆が、嬉しそうに包んでくれたこの土地の名物だ。
「……約束どおり、見つけたぞ、クララ」
王都への報告の手紙とは別に、クララへの一通だけは、くだけた文面で書いた。焼き菓子の同封のことも、忘れずに。
ペンを置いた途端、強い眠気が襲ってきた。長旅と、ここ数日の緊張が一気に押し寄せてきたのだろう。俺は椅子の背にもたれて、目を閉じた。
その瞬間、まぶたの裏に、見慣れた天井が浮かんだ。
古い蛍光灯。散らかった机。パソコンの青白い光。
足元で、小さな白い影が、ぴくりと耳を動かした。
「……フク?」
景色は霧のように滲み、すぐに遠ざかる。
目を開けると、そこは現代の、自分の部屋だった。
足元で丸くなった白い毛玉が、ゆっくりとこちらを見上げる。恐る恐る伸ばした手の先で、ふかふかの背中が、確かに温かかった。
「ふぅ……戻ったか」
安堵の息が漏れる。ひとりにしてごめんな、と指先で耳の付け根を撫でた。
それから、壁の時計に目をやって、思わず声が出た。
針は、午前五時を少し過ぎたところを指している。向こうでは数日を過ごしたのに、こちらでは、眠っていた一晩しか経っていない。
体を起こそうとして、さらに異変に気づく。
いつもダンジョン帰りで鉛のように重かった身体が、驚くほど軽い。それどころか、昼間の配信中にゴブリンの爪で付けられた腕の引っかき傷が、跡形もなく消えていた。
慌てて洗面所に駆け込み、鏡を見る。
「……嘘だろ。誰だ、これ」
鏡に映っていたのは、少し前までのパッとしない、疲れ果てた自分の顔ではなかった。
肌のくすみは消え、目元は鋭く知性的に引き締まり、立ち姿にまで気品がある。異世界のレオンハルト王子の面影をそのまま写し取ったような、別人のような美形がそこにいた。
【現実世界への同期が完了しました】
頭の中で、またあの文字が明滅した。
このレベルアップの力があれば、あの惨めな配信だって、今度こそ――。
足元で、フクが不思議そうに俺を見上げていた。




