第7話:崩れる音
――永禄三年(一五六〇年)五月以降、駿河。
報せが、駿府に、届いた。
御屋形様、討死。
その一言が、信じられなかった。二万五千で、出陣したのだ。相手は、尾張のうつけ、数千。それが、半日で、当主が、討たれた。駿府の人々は、報せの意味を、しばらく、受け取れなかった。
でも、それは、事実だった。
そして、事実だと、わかったとき。
築き上げたものが、音を立てて、崩れ始めた。
まず、崩れたのは、人の、心だった。
海道一の弓取り、という名が、今川を、支えていた。誰もが、今川は、強い、今川は、滅びぬ、と信じていた。その信が、当主の死で、一夜にして、消えた。今川は、強くない。今川は、滅びる。そう思った瞬間から、家臣たちの、足元が、ぐらつき始めた。
三河の、国人たちが、動いた。
今川に従っていた三河の武士たちは、今川の威が、消えたのを見て、離れ始めた。長く、今川の人質として、その大国の内側を見てきた、松平元康――竹千代も、動いた。
元康は、岡崎へ、帰った。
桶狭間の混乱の中、元康は、兵を退き、先祖の城・岡崎へ、入った。今川が、放棄した形になった城へ。そして、今川の人質という、長い束縛から、自らを、解き放った。元康は、もう、今川には、戻らなかった。
まず織田の人質となり、次に今川の人質となった少年は。
その二つの大国を、内側から、見尽くした少年は。
今、どちらにも属さない、一人の領主として、岡崎の地に、立った。義元が、もし、桶狭間で、勝っていたら――この男は、生涯、今川の一武将で終わったかもしれない。義元の死が、この男を、解き放った。海道一の弓取りが倒れたその日が、後に天下を継ぐ男の、本当の、始まりだった。
今川領では、城が、次々に、織田や、岡崎に戻った元康へと、離れていった。数年ののちには、盟を結んだはずの武田までが、駿河へ、攻め込んでくる。あれほど豊かだった三国が、当主一人の死を境に、堰を切ったように、崩れていく。
その崩壊の中で、一人、踏みとどまった男が、いた。
岡部元信である。
元信は、尾張の鳴海城を、守っていた。本陣が崩れ、当主が討たれ、味方が逃げ散る中で、元信は、城を、開け渡さなかった。織田に囲まれても、なお、守り続けた。そして、城を明け渡す条件として、元信が、求めたものは――主君・義元の、首だった。
討たれた主君の首を、敵から、返してもらう。
その首と引き換えに、城を、明け渡す。
信長は、これを、認めた。義元の首は、元信に、返された。元信は、その首を、抱いて、城を出た。落ちていく今川の中で、最後まで、武士の意地を、通した男だった。海道一の弓取りの、最後の輝きは、当主自身の武でも、二万五千の兵でもなく、その首を抱いて城を出た、一人の家臣の、忠義の中に、あった。
義元の跡を、子の氏真が、継いだ。
でも、父の遺した大国を、氏真は、保てなかった。三国は、武田と徳川に、削られ、奪われ、今川の家は、戦国大名としては、やがて滅びていく。海道一の弓取りの家は、当主の一度の敗死を境に、坂を、転げ落ちていった。
武士の世に、いつまでも続く家は、ない。
あれほどの家格も、あれほどの富も、あれほどの兵も、あれほどの雅も、たった半日の、一つの賭けの前に、崩れ去る。優れていても、滅びる。いや、優れていたからこそ、その崩壊は、これほど、大きな音を立てた。
義政が、答えられなかった問いに、道三は、実力だ、と答えた。
その実力の世は、最も優れた名門すら、一日で、呑み込んだ。
残るのは、家ではない。
次の、実力者だけだ。
桶狭間の丘には、その次の実力者の、馬蹄の跡だけが、残っていた。中央が、これほど激しく揺れているあいだも、東海道のはるか西、九州の果てでは、また別の理屈で、土地に根を張り続ける武士たちが、いた。
武士の世は、まだ、その姿を、定めていなかった。
第三章 海道一の弓取り——今川義元 ――完。




