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刀を持たない朝 ―武士とはなにか、七百年の物語―  作者: ソリトん
第三章 海道一の弓取り——今川義元

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第4話:西へ

 ――永禄三年(一五六〇年)五月、尾張へ。

 雪斎の死から、五年。

 義元は、西へ、兵を、向けることにした。

 狙いは、尾張だった。

 西の隣・尾張では、信秀が死に、その子・信長が、家督を継いでいた。うつけと評判の、若造である。家中はまとまらず、一族は争い、隙だらけに、見えた。尾張との境では、今川方の鳴海城・大高城が、織田に圧迫され、孤立しかけている。これを、救い、ついでに、尾張の喉元を、押さえる。

 京へ攻め上る、というのでは、なかった。

 京へ上って天下に号令する――などという、大それた話ではない。義元の狙いは、堅実だった。まず、国境の城を確保し、尾張の織田を、追い詰める。隣の弱った国を、一段ずつ、削り取っていく。名門の当主らしい、手堅い、地に足のついた戦の計りだった。

 兵は、二万五千と、号した。

 その大軍が、駿府を、発した。

 行列は、長かった。旗指物(はたさしもの)が、街道を埋め、槍の穂が、初夏の陽に光り、輿が、兵に守られて進む。義元は、輿に、乗っていた。名門の当主が、輿に乗って戦に臨むのは、その格を示す、当時の作法である。だらしないのでも、油断でもない。海道一の弓取りが、その威厳を整えて、西へ、進んでいた。

 義元には、勝算が、あった。

 いや、勝算という言葉すら、生ぬるい。負ける要素が、どこにも、見当たらなかった。

 二万五千と、織田の動かせる数千。兵力は、かけ離れている。今川には、家格があり、富があり、法があり、大軍がある。織田の若造には、まとまらない家中と、うつけの評判しか、ない。これで負けるなら、戦の道理が、ひっくり返る。義元は、理詰めで、考えて、理詰めで、勝つはずだった。

 出陣の前、義元は、家臣に、こう語ったという。


「武士の家とは、何だと思う」


 家臣は、答えに、窮した。義元は、続けた。


「家格だけでは、ただの飾りよ。実力だけでは、ただの成り上がり。家格と実力、その両方を備え、なお、雅を解する――それでこそ、武士の家の、真の姿だ。今川は、それを、すべて、備えておる。だから、今川は、滅びぬ。武士の家の、手本として、東海に、立ち続ける」


 それは、義元の、一生の自負だった。

 名門に生まれ、寺から還俗して家を継ぎ、三国を束ね、雅と武を修めた男の、たどり着いた答え。武士の家とは、家格と実力と教養の、すべてを備えた者。今川こそ、その完成形。

 その自負を、義元は、輿の中で、抱いていた。

 その同じ頃。

 尾張の、清洲の城では。

 織田信長が、今川の進軍の報を、受けていた。

 家臣たちは、青ざめていた。二万五千。籠城か、降伏か。話し合いは、まとまらない。信長は、その夜、ろくに軍議もせず、雑談をして、家臣を帰した。打つ手なし、と、誰もが、思った。

 夜明け前。

 信長は、突然、立ち上がった。

 そして、舞った。


「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」


 敦盛の、一節を舞い、舞い終えると、信長は、叫んだ。法螺(ほら)を吹け、具足をつけよ、と。立ったまま、湯漬けをかきこみ、馬に、飛び乗った。従う者は、わずか。主従数騎で、信長は、闇の中へ、駆け出した。

 熱田神宮へ。

 うつけの評判の底で、若い当主が、何を数えているのか。それを知る者は、まだ、一人も、いなかった。

 二万五千の海道一の弓取りと、数千のうつけ。

 二人が、生涯でただ一度、同じ場所に、近づこうとしていた。

 その場所の名を、桶狭間といった。


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