第3話:駿府の雅
――天文二十三年(一五五四年)、駿河・駿府。
駿府は、東海の小京都と、呼ばれた。
応仁の乱で、京が焼けたとき、多くの公家が、戦火を逃れて、地方へ下った。その下った先の一つが、富み栄える今川の、駿府だった。和歌の家、蹴鞠の家、儀式や作法に通じた家。彼らは、駿府に、京の雅を、運んできた。
今川の館では、蹴鞠が、行われた。
連歌の会が、催された。和歌が詠まれ、茶が点てられ、寺では、学僧が、経を講じた。義元自身、和歌をよくし、書を能くし、京の作法に、通じていた。雅な男だった。
でも、義元の雅は、軟弱では、なかった。
義元は、雅を、解しながら、その同じ手で、軍を、指揮した。花倉で兄を討ち、三河で織田と戦い、二万五千を動かす男が、夜は、公家と歌を、詠み交わす。武と雅の、両方を、一身に修める。それこそが、名門の当主の、あるべき姿だと、義元は、信じていた。
武一辺倒の、田舎大名とは、違う。
成り上がりの、無骨者とも、違う。
家格と、実力と、教養。その三つを、すべて備えてこそ、武士の家の、頂点に立つ者だ。義元は、そう、自負していた。駿府の雅は、その自負の、目に見える形だった。
その駿府で、人質の竹千代は、育っていた。
虐げられては、いなかった。今川は、この三河の少年を、粗末には、扱わなかった。雪斎みずから、竹千代に、学問を授けたとも、いう。竹千代は、駿府で、武士の作法を学び、書を読み、今川という大国の、内側を、つぶさに見た。
竹千代は、見ていた。
今川の、家格の重みを。法による、領国の治め方を。公家との、付き合い方を。大軍を動かす、采配を。そして、その豊かさと、強さを。少年は、織田の尾張で、新しい武の、荒々しい速さを見た。今、今川の駿府で、古い名門の、完成された強さを、見ている。二つの世界を、内側から見た少年は、何も言わず、ただ、学んでいた。待つことを、覚えていた。
天文二十三年、駿府に、武田と、北条の使者が、来た。
甲斐の武田晴信。相模の北条氏康。今川義元。この、東国の三つの大勢力が、互いに、争うことをやめ、同盟を結ぶ――甲相駿三国同盟である。善徳寺で、会盟が、なされたと伝わる。
三国は、婚姻で、結ばれた。
義元の子に、北条の娘を。武田の子に、今川の娘を。北条の子に、武田の娘を。三つの家が、血で、輪をなして、結ばれた。背後を、固める。武田は信濃と上杉へ、北条は関東へ、今川は西へ――それぞれが、互いの背を気にせず、己の正面に、力を、注げるようになる。
この同盟で、誰が、最も大きな顔をしていたか。
義元だった。
家格において、今川は、武田にも北条にも、勝っていた。武田も新羅三郎以来の名門ではあったけれど、将軍を継ぎうる今川の血筋には、及ばない。北条にいたっては、わずか二代前に、早雲が一代で興した、新しい家にすぎない。家格でいえば、今川は、三国の盟主であった。義元は、東国で最も貴く、最も豊かな、大国の主として、その同盟の中心に、座っていた。
絶頂だった。
駿河・遠江・三河の三国。足利一門の家格。仮名目録の法。駿府の雅。二万五千の兵。そして、武田・北条と結んだ、揺るがぬ背後。義元は、海道一の弓取りとして、その生涯の、頂に、立っていた。
その頂で、ただ一つ、影が、差した。
翌年、太原雪斎が、死んだ。
寺の子を還俗させ、花倉で兵を指揮し、三河を切り取り、織田と戦い、竹千代を取り返し、三国同盟を結んだ――今川の絶頂の、その中身の多くを、作り上げてきた頭脳。義元の、師。雪斎が、世を去った。
義元は、嘆いた。でも、揺るがなかった。
雪斎は死んだ。でも、今川は、もう、揺るがないほどの、大国に、なっている。雪斎が遺した国は、これほどに、強い。義元は、そう思った。師なき後も、今川の威は、続く。続くはずだった。
誰も、気づかなかった。
雪斎という、ただ一人の頭脳が、欠けたことの、本当の重さに。
頂に立つ家から、最も賢い眼が、一つ、消えていた。




