第1話:花倉
――天文五年(一五三六年)、駿河。
その男は、はじめ、僧だった。
栴岳承芳という。駿河の名門・今川の、当主の子に生まれながら、四男五男の身であったため、幼くして寺に入れられ、経を学んだ。家を継ぐのは、長兄。承芳は、仏の道で、生きるはずだった。
その承芳に、学問を授けたのが、太原雪斎である。
雪斎もまた、僧だった。でも、ただの僧では、なかった。京で禅を修め、政も、兵も、外交も、その頭の中に、すべて収めている男だった。雪斎は、寺で、承芳に、経だけを教えたのではない。世の理を、人の動かし方を、国の治め方を、教えた。仏典の陰で、雪斎は、一人の国主を、育てていた。
天文五年、今川の家に、不幸が、続いた。
当主であった承芳の長兄・氏輝が、若くして、急死した。あとを継ぐべき次兄も、同じ日に、世を去ったという。今川の家督が、突然、宙に浮いた。
跡目を、争う者が、現れた。
承芳と、その庶兄――妾腹の兄である玄広恵探である。恵探の背後には、福島という、有力な一族がついていた。今川の家は、二つに、割れた。寺にいた承芳のもとへ、雪斎が、来た。
「還俗なされ」
雪斎は、静かに、言った。僧をやめ、俗世に戻れ、というのである。
「仏の道は、いつでも、戻れます。だが、今川の家は、今、あなたを、必要としている。経を捨て、家督を、お取りなさい。後ろは、それがしが、引き受けます」
承芳は、仏弟子の衣を、脱いだ。
名を、義元と、改めた。
そして、戦が、始まった。
家督をめぐる、兄弟の戦――花倉の乱である。
駿河は、二つに、割れた。
一方は、還俗した義元。その後ろには、師の雪斎と、もう一人、義元の母・寿桂尼が、いた。京の公家・中御門家から、先代・氏親に嫁いだ尼御台――尼となった奥方である。我が腹を痛めた義元に、家を継がせる。寿桂尼は、奥から、家臣の心を、義元のもとへと、束ねていった。
もう一方は、庶兄・玄広恵探。その背後には、恵探の母方である、福島の一族が、ついた。駿河に強い力を持つ福島は、自分たちの血を引く恵探を、当主に立て、今川の実権を、握ろうとしたのである。
名門の家督が、二つの血の、奪い合いに、なった。
雪斎は、ただ義元を、担いだだけでは、なかった。
みずから、僧の姿のまま、兵を、指揮した。経を学んだその頭で、軍を動かし、福島方の城を、一つずつ、攻め落としていく。恵探は、本拠の花倉城へと、追い詰められた。
花倉城が、落ちた。
恵探は、城を逃れ、なお落ち延びようとしたが、行き場を失い、ついに、自害して果てた。福島の一族も、討たれ、滅んだ。数か月に及んだ兄弟の戦は、義元の勝利に終わり、その敵は、根こそぎ、除かれた。
義元が、今川の、当主となった。
道三が、美濃で、油売りから国を盗もうとしていた、まさに同じ頃。
駿河では、寺の子が、兄弟を倒して、名門の家督を、手にしていた。
道三のそれは、下剋上だった。生まれの外から、力で、国を奪う。
義元のそれは、それとは、違った。でも、似てもいた。名門の家の中でさえ、もはや、生まれた順に家を継げる時代では、なくなっていた。家の中にすら、実力の理屈が、入り込んでいた。義元は、四男五男の身から、兄を倒して、当主になった。それは、家格の世界の内側で起きた、もう一つの実力主義だった。
義元の傍らには、いつも、雪斎が、いた。
主君と、軍師。当主と、その師。この二人が、これから二十年、今川を、東海道一の大国へと、押し上げていく。
寺の子は、国主になった。
その背を、育ての師が、支えていた。




