第6話:正徳寺
――天文二十二年(一五五三年)、尾張・富田。
会見の話は、織田の側から、来た。
舅と婿が、一度、顔を合わせよう、と。場所は、美濃と尾張の境にほど近い、富田の正徳寺。道三は、これを、受けた。
受けて、道三は、一つ、企てた。
うつけの本性を、この眼で、暴いてやろう、と。道三は、会見の前、寺の近くの町家に、ひそかに身を隠し、街道を行く、信長の行列を、物陰から覗き見ることにした。正装で対面する前に、素のうつけの姿を、見ておく。商人が、相手の店構えを、抜き打ちで覗くように。
やがて、信長の行列が、やってきた。
道三は、物陰から、それを、見た。
まず、目を、疑った。
うわさ通りの、異形だった。髪を、茶筅に巻き立て、湯帷子(ゆかたびら=ひとえの着物)を、だらしなく着崩し、腰には、瓢箪を、いくつもぶら下げている。とても、一国の主の嫡子とは、見えぬ。これが、うつけか。道三の口元に、薄い、笑みが、浮かびかけた。やはり、たわけ者か、と。
でも。
その、うつけの背後に続く、行列を見て、道三の、笑みが、止まった。
兵が、いた。
数百の、足軽。その手にした槍が、揃って、長い。三間半――六メートル以上はあろうかという、長槍が、林のように、隙なく、立ち並んでいる。そして、その間に、鉄砲が、まじっていた。当時、まだ珍しい、火縄の筒が、相当の数。隊列は、乱れなく、静かで、よく、まとまっていた。
うつけの、なりをした男の、後ろに。
寸分の隙もない、新しい軍が、続いていた。
道三は、息を、呑んだ。
針の穴に、油を通す――その芸を、三十年やってきた道三には、わかった。あの長槍の長さも、鉄砲の数も、隊列の静けさも、すべて、計算されている。一つとして、たわけの思いつきではない。あれは、よく見て、よく考え、よく数えた者の、軍だ。
茶筅髪と瓢箪は、目くらましだった。
世間にうつけと侮らせ、その隙に、誰よりも冷たく、新しい武を、揃えていた。装っていたのだ、この男は。道三が帰蝶に語った、二通りのうつけの、後の方。うつけを、装う者。
会見の場に、道三が、入った。
そこに、信長は、すでに、いた。
道三を、待ち構えていたのは、先ほど街道で見た、異形の男ではなかった。きちんと髪を結い、折り目正しい肩衣・袴に身を包んだ、端正な若武者が、静かに、座っていた。湯帷子のうつけは、どこにもいない。
道三は、悟った。
この男は、街道で、わざと、うつけの姿を、晒したのだ。舅が、どこかで、自分を覗き見ていることくらい、見抜いていた。その上で、まず、うつけを見せ、然る後に、この正装の姿を、見せる。落差で、相手を、揺さぶる。会見は、もう、始まっていた。道三が、信長を試す前に、信長が、道三を、試していた。
二人は、向かい合った。
老いた蝮と、若いうつけ。下剋上で美濃を盗んだ男と、これから天下を盗むかもしれぬ男。
道三は、その若者の眼を、覗き込んだ。
澄んでいた。底が、見えなかった。あの、明智の若侍に感じたのと、同じ――いや、それより、はるかに深い、底の知れなさ。でも、光秀の底が、冷たく沈んでいくような深さだったのに対し、この男の底には、何か、燃えるものがあった。冷たく計算しながら、その奥で、何かが、煮えている。怖い、と道三は思った。でも、ただ怖いのでは、ない。この男の怖さは、もっと、得体が知れない。残忍にもなれば、奇妙にやさしくもなりそうな――一筋縄でいかない、底の見えない器。
道三は、その器に向かって、問うた。
その器を、試すように。あるいは、自分の一生の答えを、この若い器に、託すように。
「信長どの。武士とは、何だと思われる」
信長は、すぐには、答えなかった。
道三は、構わず、続けた。長い、長い、自問の果てに、たどり着いた、自分の答えを。
「武士とはな、信長よ。強い者よ。血筋でも家柄でも官位でもない。天下を動かせる者が武士よ。わしは油売りから美濃の主になった。それが答えじゃ」
信長は、その言葉を、黙って、聞いていた。
肯定も、否定も、しなかった。ただ、その眼が、わずかに、深くなった。道三の言葉を、自分の中の、何か、もっと大きなものと、引き比べているような――そういう、眼だった。
会見は、和やかに、終わった。
道三は、美濃へ、帰る道すがら、供の者に、ぽつりと、言った。
「無念なことよ。いずれ、わしの子らは、あのうつけの、門前に、馬を繋ぐことになろう」
供は、その言葉の意味を、計りかねた。
うつけの門前に、馬を繋ぐ。すなわち、家臣として、仕える。美濃の蝮の子らが、尾張のうつけの、家来になる。そんなことが、あるものか。
でも、道三には、見えていた。
針の穴に油を通す眼が、長槍の林と鉄砲の数の向こうに、見ていた。あの男は、自分が壊した古い世の、その先まで、行く。自分は、美濃一国を盗んだ。あの男は――天下を、注ぎ替える。
わしの油より、ずっと、大きなものを。
道三は、自分の一生の答え「実力者こそ武士」を、初めて、自分より大きな器に、手渡した。手渡して、満たされ、そして、わずかに、寂しかった。自分の時代が、もう、終わりかけていることを、その若い眼の中に、見たからである。




