第3話:伊豆討入り
――明応二年(一四九三年)、伊豆。
京で、政変が起きた。
管領・細川政元が、将軍・足利義材を廃し、別の者を、将軍の座に据えた。明応の政変である。中央の正しい血筋が、力ずくで、すげ替えられた。将軍は、もはや、神聖な唯一の血筋ではなくなった。管領の意のままに、挿げ替えられる、駒の一つになった。
この政変は、京だけの話では、なかった。
興国寺城の盛時のもとへ、京の動きが、伝わってくる。盛時は、申次衆だった男である。中央の動きを読むことにかけては、地方の誰よりも、長けていた。盛時は、京の政変が、自分の隣国――伊豆に、どう及んでくるかを、即座に、読んだ。
伊豆には、堀越公方がいた。
堀越公方・足利政知は、かつて、鎌倉公方の対抗として、幕府が伊豆に置いた、関東を治めるための出先である。その政知は、すでに死に、跡を継ぐべき家は、むごたらしい内輪もめに陥っていた。子の茶々丸が、継母と、異母弟を殺して、家督を奪っていた。血で血を洗う、高貴な血筋の崩壊だった。
そして、茶々丸が殺したその異母弟は、京で挿げ替えられた将軍の血筋に、繋がっていた。
盛時は、見た。
京の新しい権力にとって、茶々丸は、討たれるべき敵だった。中央の政変と、伊豆の国盗りが、一本の線で、繋がった。盛時が伊豆へ討ち入ることは、ただの私的な侵略では、ない。中央の政変に呼応した、後から認められる正当な討伐となりうる。盛時は、その一点を、見逃さなかった。申次衆として、中央の理屈を知り尽くした男だけが、読める好機だった。
明応二年、盛時は、兵を率いて、伊豆へ討ち入った。
堀越御所を、奇襲した。
茶々丸の側は、混乱していた。継母と弟を殺した公方に、人望は、なかった。家臣の多くは、すでに、茶々丸を見限っていた。盛時の兵は、御所を破り、茶々丸を、追った。
でも、伊豆は、一夜では、落ちなかった。
茶々丸は、御所を追われても、なお、抵抗した。伊豆の山に逃れ、味方を募り、各地で、盛時の兵に、抗い続けた。盛時は、城を一つ落とすごとに、村を一つ手懐けるごとに、じわじわと、伊豆を、削っていった。茶々丸が、ついに敗れ、伊豆が完全に盛時のものになるまでには、その後、数年の歳月を、要した。
それは、刀の征服だった。
鎌倉以来、関東の地は、公方や守護の「家格」が支配してきた。誰が、どの血筋に生まれたか。誰が、幕府から、どの国の守護に任じられたか。その家格の理屈が、土地の主を、決めてきた。
盛時には、その家格が、なかった。
伊勢氏は、名門ではあった。でも、関東に、領国を持つ家格では、なかった。盛時は、家格ではなく、実力で、伊豆の主になった。鎌倉以来、初めて、家格を持たない者が、実力だけで、一国の主に立った。
のちに、人は、この男を、北条早雲と呼んだ。
でも、それは、後世の呼び名だ。盛時自身は、生涯、伊勢の姓を名乗った。「北条」を称したのは、子の氏綱からであり、「早雲庵宗瑞」は、出家してからの号に過ぎない。もっとも、この頃には、盛時もすでに髪を下ろしていた。堀越御所を破ったこの男を、人はただ、伊勢の宗瑞、と呼んだ。
宗瑞は、伊豆を、刀で取った。
でも、宗瑞の本当の新しさは、刀ではなかった。刀で国を取る者なら、この乱世に、掃いて捨てるほどいた。宗瑞が、ほかの誰とも違ったのは、刀のあとに、宗瑞が、何をしたか、だった。




