第2話:富士の見える城
――長享元年(一四八七年)、駿河。
駿河に入った盛時は、まず、見た。
範満の側に、どれだけの兵がつくか。龍王丸の側に、どれだけの人望が残っているか。国人たちが、どちらに転ぶか。盛時は、申次衆として、人の心の動きと、力のありかを読むことに、慣れていた。駿河の地侍たちを、一人ずつ訪ね、酒を酌み、世間話をしながら、その底を、測っていった。
範満は、油断していた。
十年余り、代行として駿河を握ってきた範満には、京から下ってきた、龍王丸の伯父にあたるこの男が、ただの仲裁役にしか見えなかった。礼儀正しく、物腰柔らかく、争いを好まぬ風の、年かさの文人。範満は、盛時を、侮った。
その侮りが、命取りになった。
北川殿は、盛時とともにあった。
子の家を奪われかけた母は、ただ嘆いてはいなかった。誰が信のおける家臣か、誰が範満に通じているか、どの国人が龍王丸に恩を感じているか――駿河の内情を、北川殿は、誰よりも知っていた。盛時は、その姉の眼を、頼った。京から来たばかりの盛時に見えぬものを、駿河に生きてきた北川殿が、補った。姉と弟は、一つの企てを、共に練った。
「範満を、生かしておいては、龍王丸に家は戻りませぬ」
北川殿は、静かに、そう言った。情に流されない、肚の据わった声だった。盛時は、頷いた。
「分かっています。手は、こちらで」
ある夜、盛時は、兵を挙げた。
北川殿が集めた龍王丸方の国人と、盛時が見極めた地侍たち。その数は、多くなかった。でも、範満の油断を突いた一撃は、的確だった。盛時の兵は、範満の館を急襲し、これを討ち取った。長く駿河に居座った代行は、あっけなく、滅んだ。
龍王丸が、今川の家督を継いだ。
のちの、今川氏親である。
北川殿は、子の家を、取り戻した。盛時は、姉のために、そして、幼い甥のために、その刃を抜いた。それは、盛時が初めて、京の作法の外で、現実を、力で動かした瞬間だった。書状ではなく、礼法ではなく、兵で。死んだ器の神経であった男が、生きた力を、初めて、自分の手で握った。
その礼として、盛時は、城を一つ、与えられた。
駿河と伊豆の境、興国寺城。富士の見える、小さな城だった。
盛時は、その城に立って、北の空を、眺めた。
富士が、見えた。雪をいただいた、巨きな山が、晴れた空に、くっきりと立っていた。盛時は、その山を、長いこと、見ていた。京では、見られぬ山だった。京の作法の中では、決して、辿りつけなかった眺めだった。
三十を過ぎて、盛時は、ようやく、自分の城を持った。
小さな城だった。富士の裾の、わずかな所領を持つだけの、一国の主には遠い、一介の城主に過ぎない。でも、盛時には、分かっていた。京の死んだ器の中で、有能な歯車であり続けるよりも、この小さな城の、生きた主であるほうが、ずっと、確かなものだ、と。
遅すぎる出発だった。
でも、出発であることに、変わりはなかった。富士を見上げる盛時の眼の底に、まだ言葉にならない、一つの問いが、芽生えていた。
国とは、何だ。
公方のものか。守護のものか。家格のある者が、上から預かり、下に分け与える――そういう、鎌倉以来の仕組みの中にだけ、国は、あるのか。
盛時には、まだ、その答えは、なかった。
でも、富士の見える城で、その問いだけは、確かに、芽吹いていた。




