第1話:申次の男
――長享元年(一四八七年)、京。
応仁の乱が終わって、十年が過ぎていた。
焼けた都は、まだ、半ばが灰のままだった。焼け跡に、雑草が茂り、その間に、人々が、粗末な小屋を建てて住んでいた。かつて義満が飾った壮麗の京は、もう、どこにもなかった。それでも、室町の御所には、将軍がいた。幕府は、あった。少なくとも、形だけは。
伊勢新九郎盛時は、その幕府に仕える、申次衆の一人だった。
申次衆――将軍家への取次を司る役だ。諸国の大名の使者を将軍に取り次ぎ、献上の品を改め、儀式の作法を整え、書状の文言を吟味する。幕府という仕組みの、神経のような役だった。盛時は、それを、そつなくこなした。名門・伊勢氏の出である。礼法も、作法も、文筆も、身についていた。絵に描いたような、有能な幕臣だった。
その盛時の眼に、幕府は、すでに死んで見えていた。
将軍家では、相変わらず、跡目をめぐる暗い争いが続いていた。管領家は、二つに割れて、互いに足を引っ張り合っていた。諸国の守護は、京の命令など、もう聞かなかった。命令を出しても、従う者がいない。従わせる力が、ない。残っているのは、儀式の作法だけだった。
誰それの席次が上か下か。
献上の太刀の包み方が、昔からの例に合っているか。
将軍の御前で、誰が、どの畳に座るか。
そういうことだけを、人々は、血相を変えて争っていた。中身が空になった器の、縁の飾りだけを、磨き続けているようなものだった。盛時は、その作法を、誰よりも正確に、こなした。こなしながら、これは何の役にも立たない、と、心の底で思っていた。
応仁の乱は、何も解決しなかった。
ただ、京を焼き、権威を灰にし、そして、諸国に、一つのことを教えただけだった。もう、京を見ていても、仕方がない、と。守護たちは、国へ帰った。帰った国で、留守を守っていた家臣に、土地を喰われていた。下の者が、上の者を、食い破り始めていた。
盛時は、それを、仕組みの中心から、つぶさに見ていた。
どこそこの守護代が、主家を追い出した。どこそこの国人が、隣の荘園を呑み込んだ。そういう報せが、申次の盛時のもとへ、日々、流れ込んでくる。幕府は、そのどれにも、手を打てなかった。ただ、書状の上で、嘆くだけだった。盛時は、その書状を、整えた。整えながら、思った。
この器は、もう、使えない。
同じ時代に、東山では、将軍だった義政が、政から逃げて、美の中に籠もっていた。京のどこかでは、名もなき足軽あがりの男たちが、焼け跡で、奪うことを覚えていた。逃げる者がいて、奪う者がいた。そして盛時は、逃げも奪いもせず、ただ、死んだ器の神経として、働き続けていた。
その盛時に、駿河から、報せが来た。
盛時の姉・北川殿は、駿河の守護・今川義忠に嫁いでいた。その義忠が、もう、十年余り前に、国境の合戦で、討死していた。残された嫡子・龍王丸は、まだ幼かった。その隙に、一族の小鹿範満が、家督の代行と称して、駿河に居座り続けていた。代行は、いつまでも、代行のままだった。龍王丸が育っても、範満は、家を返す気がなかった。
北川殿は、子の家を、奪われかけていた。
盛時は、書状を読み終えて、しばらく、動かなかった。
京の幕府で、死んだ器の縁を磨き続けるか。駿河へ下り、姉の子のために、現実の刃を抜くか。盛時は、もう三十を越えていた。当時の感覚では、人生の半ばを、とうに過ぎている。遅すぎる、と、誰もが思う齢だった。
盛時は、申次の役を、辞した。
京を、捨てたのである。
器の縁を磨く仕事を捨てて、空になった器の、外へ出た。盛時の本当の人生は、人がもう終わりを考える齢になって、ようやく、始まろうとしていた。




