第2話:足軽
――応仁元年〜二年(一四六七〜六八年)、京。
戦の作法が、消えていた。
捨丸は、知らなかった。でも、年嵩の足軽が、焚き火のそばで、語ることがあった。昔の戦は、こうではなかった、と。
昔は、武士が、名乗ったのだという。我こそは何の某、いざ尋常に勝負せよ――そう大声で名を名乗り、一騎ずつ、討ち合った。誰が誰の首を取ったか、はっきりさせるためだ。手柄が、土地になり、家になる。だから、名乗った。
今は、誰も、名乗らない。
名乗ったところで、足軽に首を取られるだけだ。足軽は、手柄など欲しくない。土地も、家も、もらえはしない。足軽が欲しいのは、その日の銭と、奪える米と、生き延びる明日だけだった。だから、名乗りを待たずに、横から突く。背中から刺す。火をかけて、逃げる者を、追って奪う。
武士の戦は、作法の戦だった。
足軽の戦は、作法のない戦だった。
その、作法のない暴力を、束ねる男がいた。
骨皮道賢。
もとは何者か、誰も知らなかった。盗賊あがりだとも、寺の下働きだったとも、いや、幕府に雇われた見張り役だったとも言われた。道賢は、京の足軽を、何百と束ねていた。焼け跡に押し入り、蔵を破り、刃向かう者を斬り、金目のものをさらっていく。その手際は、軍勢というより、組み立てられた盗賊だった。
捨丸は、道賢の下で、働いた。
奪うことに、慣れていった。最初は震えた手が、震えなくなった。焼けた家から、まだ温かい鍋を持ち出し、逃げ遅れた老人の懐を探り、抗う者を、突いた。それが、戦だった。少なくとも、捨丸が放り込まれた戦は、そういうものだった。
ある焼け跡で、捨丸は、立派な太刀を拾った。
武士のものだった。鞘に、家紋が入っていた。捨丸には、何の家紋か、読めなかった。でも、これを売れば、しばらく食える。捨丸は、その太刀を、懐に入れた。
武士は、その太刀を、家の誇りとして、何代も伝えてきたのだろう。名乗りを上げ、その太刀で、一騎討ちをしてきたのだろう。
今は、その太刀が、足軽の捨丸の手で、銭に換えられる。
武士の作法も、武士の誇りも、足軽の前では、ただの鉄と銭だった。
焚き火のそばで、捨丸は、ふと、年嵩の足軽に問うた。
「なあ、武士って、何だ」
「武士か。……土地を持って、馬に乗って、名乗って戦う者よ。おれたちとは、違うものさ」
年嵩の足軽は、火を見ながら、そう言った。捨丸は、もう一度、問うた。
「じゃあ、おれたちは、何だ」
年嵩の足軽は、答えなかった。
しばらくして、ぽつりと、言った。
「……さあな。武士の世が、壊れて、出てきたもの、かな。武士でもなけりゃ、百姓でもねえ。名もねえ。ただ、奪って、生きてる」
捨丸は、その言葉を、よく分からないまま、聞いていた。
ただ、一つだけ、分かった。自分たちのような者が、京じゅうに、何千といる。その何千が、武士の都を、焼き、奪い、崩している。武士が始めた戦の中で、武士でない者が、武士の世を、地べたから食い破っていた。
かつて、海の向こうから来た蒙古が、名乗りも一騎討ちもしない集団戦で、坂東武者の作法を、踏みにじったことがあったという。二百年近く前のことだ。あのときは、敵は、海の彼方から来た。
今は、その「作法を壊すもの」が、京の内側から、足軽という姿で、湧き出していた。




