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刀を持たない朝 ―武士とはなにか、七百年の物語―  作者: ソリトん
第一章 挙兵——石橋山の雨

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第4話:しとどの窟

 ――治承四年(一一八〇年)八月二十四日、土肥の山中。

 岩屋の中は、雨の音が遠かった。

 しとどの窟(いわや)と土地の者が呼ぶ、山の中の岩の洞だ。頼朝のほかに、六人。土肥実平、岡崎義実、安達盛長――名のある者ばかりが、岩の陰に身を寄せ合って、息を殺していた。

 外では、大庭方の捜索の手が、山を洗っている。

 実平が囁いた。


「人数が多すぎまする。半分は、別の岩屋へ」


 頼朝は頷いた。生き延びる手立ては、それしかない。一か所にかたまっていれば、ひとまとめに捕らえられて終わる。散れば、誰かは残る。

 誰が残るかは、運だった。

 昼過ぎ、外の気配が変わった。

 草むらを分ける足音が、まっすぐこちらへ近づいてくる。一人ではない。実平が太刀の柄に手を掛け、岩陰の全員が石になった。

 洞の入口に、武者がひとり、立った。

 逆光で、顔は見えない。でも、向こうからは見えたはずだ。岩屋の奥の闇に、人がいる。それだけの数の息が、ひそんでいる。

 長い沈黙だった。

 武者は、動かなかった。太刀も抜かず、声も上げず、ただ立っていた。それから急に、くるりと背を向けると、外へ向かって大きな声を出した。


「ここにはおらぬ。蝙蝠(こうもり)ばかりじゃ。向こうの尾根を捜せ」


 足音が、遠ざかっていった。

 誰も、長いあいだ口をきかなかった。やがて実平が、うわごとのように言った。


「……今のは、梶原の」

「梶原景時(かじわらかげとき)。大庭の身内筋の男です」


 誰かが答えた。頼朝は岩の天井を見上げたまま、黙っていた。

 見られた。

 見られて――生かされた。

 なぜだろう。問うても答えの出ない問いが、暗い岩屋の中で、ぐるぐると回る。情けか。源氏への古い恩か。それとも――あの男も、損得を量ったのだろうか。三千の側にいながら、三百の側の重みを量るような、そんな損得を。

 もし、そうなら。

 もしそうなら、坂東の武士の半分は、腹の底では、まだどちらに付くか決めていない、ということになる。大庭の三千は、三千に見えて、本当は三千ではないのかもしれない。

 頼朝は、暗闇の中で目を開けていた。

 負けた夜の岩屋の中で、その目だけが、もう、次の手を数え始めていた。

 数日後、頼朝は実平の手引きで山を下り、真鶴(まなづる)の岬から小舟に乗った。

 行く先は、海の向こうの安房(あわ)だ。坂東の地続きの道は、もう、すべて大庭に塞がれている。それなら、海を回るしかない。安房には三浦の勢が落ち延びているはずだし、その先には、上総(かずさ)、下総(しもうさ)の大族がいる。

 舟は、雨上がりの海に出た。

 振り返ると、相模の山々が低く連なっていた。あの山のどこかに、まだ味方の骸が転がっている。

 頼朝は船底に座って、長いあいだ、その山々を見ていた。


「……必ず、戻る」


 誰に言うともなく、それだけ言った。


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