第2話:火薬の家
――寛正五年〜応仁元年(一四六四〜六七年)、京。
義政には、子がなかった。
正しくは、生まれても、育たなかった。世継ぎのないまま、義政は三十路に近づいていた。このままでは、足利の将軍家が、絶える。
義政は、決めた。
弟を、跡継ぎにしよう。
弟の義視は、出家して、寺に入っていた。武家の跡目争いを避けるため、次男以下を仏門に入れるのは、世の習いである。その義視を、義政は、還俗(げんぞく=僧をやめて俗世に戻ること)させた。仏門から呼び戻し、髪を伸ばさせ、武士に戻し、次の将軍と定めた。万一、自分に子が生まれても、家督は義視に譲る――義政は、そう約束し、重臣の細川勝元を、義視の後ろ盾につけた。
義視は、迷った末に、その重い役を、引き受けた。
還俗するということは、仏門の安らかさを捨て、武家の権力争いの渦の中へ、身を投じるということだ。でも、兄が、子は生まれても家督は譲ると、はっきり約束した。ならば――義視は、覚悟を決めた。
その翌年。
義政の正室・日野富子が、男子を産んだ。
義尚である。
火薬に、火が点いた。
富子は、聡明な女だった。日野の家は、代々、足利の正室を出してきた公家である。その家の誇りと、銭を回す才覚と、何より、我が子への執念を、富子は持っていた。
政から逃げる夫に代わって、傾いた幕府の財布を回していたのは、富子だった。大名に銭を貸し、関を設けて銭を集め、空の蔵をやりくりした。後の世は、富子を、銭に汚い悪女とそしる。でも、夫が庭に石を据えているあいだ、家を潰さずに保たせていたのは、この女の算盤だった。
その富子に、実の子が生まれた。望むものは、ただ一つだった。
この子を、次の将軍に。
でも、跡継ぎは、すでに義視と定まっている。約束は、交わされている。富子は、その約束を、覆そうとした。我が子・義尚の後ろ盾に、義視の後ろ盾である細川勝元に対抗できる、もう一人の大守護を引き入れた。山名宗全である。
義視は、足元が抜けていくのを感じた。
仏門の安らかさを捨てて、還俗したのだ。兄の約束を、信じたからだ。その約束が、今、覆されようとしている。用済みになれば、こんどは邪魔者として、消されるかもしれない。一度還俗した身は、もう、寺へは戻れない。進むも退くも、地獄だった。梯子を外された男の恐怖が、義視を、日に日に、追い詰めていった。
ここに、争いの図式が、できあがった。
義視と、細川勝元。
義尚と、日野富子と、山名宗全。
将軍の跡目をめぐって、二人の大守護が、左右に分かれた。でも、火薬は、それだけではなかった。同じ頃、畠山の家でも、斯波の家でも、家督をめぐる争いが起きていた。誰を当主とするか――その争いに、勝元と宗全が、それぞれ別の側を支援した。守護たちの私の争いが、勝元と宗全という二つの極へ、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、集まっていった。
義政は、その火薬の家の真ん中に、座っていた。
座って、どちらにも、決められなかった。
義視を取れば、富子と宗全が怒る。義尚を取れば、勝元が怒る。畠山のどちらを認めても、片方が乱を起こす。義政が一つ決めるたびに、決めた側でない者が、刀の柄に手をかけた。だから義政は、決めなかった。あるいは、決めても、すぐに覆した。今日の命令が、明日には、別の命令に書き換えられた。
将軍の優柔不断が、火薬を、さらに乾かした。
応仁元年の正月、ついに、火花が散った。
畠山の家督を争う二人――政長と義就が、京の御霊の杜で、刃を交えた。御霊合戦である。勝元はこのとき動かず、宗全が義就に加担して、政長を破った。小さな、その場かぎりの戦だった。でも、それは、堰を切る最初の一滴だった。
義政は、その報せを、御所で聞いた。
止めよ、とは言わなかった。言っても、止まらないことを、知っていた。義政は、ただ、宴を続けた。御霊で武士が斬り合っている同じ夜、将軍の御所では、酒が酌まれ、舞が舞われていた。逃避ではなかった、と言えば嘘になる。でも、義政には、それしか、できることが、なかった。
火薬は、もう、家じゅうに、満ちていた。
あとは、誰かが、もっと大きな火を、近づけるだけだった。




