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刀を持たない朝 ―武士とはなにか、七百年の物語―  作者: ソリトん
第五章 銀閣と戦火——足利義政、答えられなかった将軍

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第1話:石の位置

 ――寛正二年(一四六一年)、京。

 その年、都では、人が、犬のように死んだ。

 寛正(かんしょう)の大飢饉である。前年からの日照りと長雨と疫病が重なり、諸国の民が、食を求めて京へ流れ込んだ。流れ込んで、そこで力尽きた。鴨川の河原に、骸が積み上がった。ある僧が数えたところでは、二月ばかりの間に、八万を超える死者が出たという。橋の下に、辻に、寺の門前に、痩せ衰えた骸が転がり、それを片づける者も追いつかなかった。

 その都の真ん中で、将軍は、庭を造っていた。

 足利義政。八代将軍。三代・義満の孫である。

 義政は、室町の御所で、庭師に、石の据え方を指図していた。

 その石は、もそっと右だ。半寸、右へ寄せよ。――苔の上に置かれた一つの石を、義政は、飽かず眺め、何度も置き直させた。半寸の違いが、庭の景色を、別のものにする。義政の眼には、それが、はっきりと見えた。

 石を据え終えると、義政は、満ち足りた気分になった。

 その満ち足りた気分の、すぐ外で、民が死んでいることを、義政が知らないわけではなかった。報せは届いていた。救いの手を、という声も、上がっていた。でも、義政が何かを命じても、それが、その通りに動いたためしが、なかった。

 将軍は、無力だった。

 守護たちは、将軍の命令を、聞くようで聞かない。幕府の決定は、会議の場で覆り、誰かの思惑で歪み、いつのまにか、別のものになって戻ってくる。財を出せと命じれば、蔵は空だと返される。兵を出せと命じれば、国元が乱れていると断られる。義政が確かに動かせるものは、この世に、ただ一つしかなかった。

 庭の、石の位置だけだった。

 だから義政は、石を据えた。石だけは、命じた通りに、そこに在った。半寸右へ、と言えば、半寸右へ動いた。覆らず、歪まず、裏切らない。義政にとって、庭は、唯一、自分の意志が通る国だった。

 ある日、後花園の帝から、義政のもとへ、漢詩が下された。

 飢えた民を詠み、奢る世を諫める詩だった。詩は、直接に義政を責めはしない。でも、その行間は、はっきりと言っていた。民が河原で死んでいるときに、将軍が花の御所を飾り、宴を張っているのは、何事か――と。

 義政は、その詩を読んで、しばらく、黙っていた。

 恥じる気持ちは、あった。でも、では何ができるのか、と思うと、手は動かなかった。命じても通らない命令を、また一つ、無駄に発するだけだ。義政は、詩を巻き戻し、文箱にしまった。そして、また、庭に出た。

 祖父のことを、義政は、ときどき思った。

 義満。金閣を建て、明から王と呼ばれ、帝の上に立とうとした祖父。あの人が将軍であった頃、武士たちは、将軍の前で頭を低くした。守護は従い、朝廷は呑み込まれ、天下は、祖父の意志ひとつで動いた。

 なぜ、祖父にはできて、自分にはできないのか。

 義政には、分からなかった。同じ足利の血だ。同じ将軍の座だ。なのに、祖父の言葉は世界を動かし、自分の言葉は、誰の耳も素通りしていく。違いは、何なのか。

 義政は、知らなかった。

 祖父が天下を動かせたのは、祖父という、一人の巨大な個の力だった。仕組みとして残ったものは、薄かった。傑物が座れば輝き、平凡な者が座れば、たちまち軋む。祖父は、自分という個で、すべてを束ねた。その個が消えれば、糸は解ける。義政は、解けた糸の上に、生まれてしまっただけだった。

 石を据える将軍の外で、都は、飢えていた。

 そして、飢えよりももっと大きな火薬が、将軍家の奥で、静かに、量を増していた。


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