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刀を持たない朝 ―武士とはなにか、七百年の物語―  作者: ソリトん
第四章 金閣——足利義満、武士が公家を超えた日

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第7話:上皇に最も近き男

 ――応永十五年(一四〇八年)、京・北山。

 その死は、突然だった。

 応永十五年の春、義満は、病に倒れた。あれほど壮健だった男が、わずか数日で、危篤に陥った。そして、あっけなく、世を去った。五十一歳だった。

 刀の一閃でもなく、戦場の流れ矢でもなく、ただの病で。武士が始めた六十年の動乱を閉じ、公家の頂きを極め、明から王と呼ばれた男が、北山の華やかさの中で、布団の上で、息を引き取った。

 義満を支えた者たちは、もう、多くが、いなかった。

 管領・細川頼之は、すでに世を去っていた。少年将軍を我が子のように育てた実直の人は、義満が王へと昇りつめていくのを、最後まで案じながら、先に逝った。義満の変わりようを最初に憂えた眼は、その変わりようの極みを、見ずに済んだ。

 残されたのは、義満が築き上げた、巨大な権威だけだった。

 その権威の前で、朝廷は、ある裁定を、議した。

 太上天皇(だいじょうてんのう)。

 退位した帝に贈られる、上皇の称号である。それを、死んだ義満に、贈ろうというのだった。

 義満は、帝ではなかった。一度も、即位していない。にもかかわらず、朝廷は、その死後に、上皇の号を贈ろうとした。それほどまでに、義満は、王に近かった。生きているうちに昇りつめた高みは、死後、ついに、帝の領域にまで、手が届こうとしていた。

 武士でも、公家でもない。

 王に、最も近づいた男。

 でも、その称号は、贈られなかった。

 辞退したのは、義満の跡を継いだ、子の義持だった。管領の斯波義将らと相談し、義持は、父への太上天皇の号を、固く辞退した。父が築いた明との交わりも、義持は、やがて断つことになる。日本国王の称号も、返上する。海の向こうの王に頭を下げるなど、武家の恥だ――子は、父の極めた高みを、自ら、降りていった。

 父が生涯をかけて昇った階段を、子が、降りる。

 それは、義満の作り上げたものが、義満一代限りの、砂の上の楼であったことを、示していた。動乱を閉じたのは、義満の力ではあった。でも、その力は、義満という一人の天才の、その人だけの力だった。仕組みとして残るものは、薄かった。将軍が傑物であれば、幕府は輝く。平凡であれば、たちまち揺らぐ。義満は、自分という巨大な個で、すべてを束ねた。束ねた糸は、その個が消えれば、解ける。

 北山殿の金は、なお、輝いていた。

 でも、その輝きの中を歩く者たちは、もう、義満ほどの確信を、持っていなかった。

 世阿弥は、義満の死後も、舞い続けた。

 でも、後ろ盾を失った芸人の道は、険しかった。義満ほど自分を愛してくれる権力者は、二度と現れなかった。世阿弥は、晩年、不遇の中で、芸の極意を、書きに書いた。花とは何か。幽玄とは何か。成りきるとは、どういうことか。

 書きながら、世阿弥は、時おり、義満のことを、思い出した。

 あの御方は、武士だったのか。

 問うてみて、答えは、出なかった。武家の頭領として生まれ、公家になり、仏に近づき、王と呼ばれた。そのどれでもあって、どれでもなかった。義満は、生涯、その問いを、自分に向けなかった。武士とは何か――祖父・尊氏が問わずに天下を取り、義満もまた、問わずに頂きを極めた。

 問わなかったから、極められた。

 でも、問わなかったものは、いつか、誰かが、問い直さなければならない。

 義満は、武士であることを脱ぎ捨てることで、武士の世の頂きに立った。武士が公家を超えた、まさにその日に、武士は、武士でなくなり始めた。戦わぬ世で、雅にまみれ、自分が何者か、分からなくなっていく武士たち。その濁りの種を、義満は、あの華やかさの中に、蒔いていた。

 義満が蒔いた種が芽を吹くのは、この金の輝きが、誰の記憶からも薄れたあとのことだった。

 今はただ、北山の金が、池の面に映り、その儚い輝きの中で、武士という言葉が、誰にも気づかれないまま、少しずつ溶けていた。





第四章 金閣——足利義満、武士が公家を超えた日 ――完。


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