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刀を持たない朝 ―武士とはなにか、七百年の物語―  作者: ソリトん
第四章 金閣——足利義満、武士が公家を超えた日

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第5話:演出の武力

 ――明徳元年〜応永六年(一三九〇〜九九年)、京・和泉国堺。

 動乱を閉じる前から、そして閉じたあとも、義満には、邪魔なものが残り続けていた。

 強すぎる守護である。

 諸国の守護大名の中には、一国どころか、十か国近くを束ねる者がいた。山名の一族は、その勢いから、六分の一殿と呼ばれた。日の本六十余州の、六分の一を、一門で握る。将軍といえど、容易に手出しのできない力だった。

 義満は、その力を、削りにかかった。

 ただし、正面から戦を仕掛けはしない。一門の内輪に楔を打ち、跡継ぎの争いを煽り、挑発し、相手が焦れて兵を挙げるよう、仕向ける。挙げさせてから、朝敵の名を着せて、討つ。

 明徳の乱で、山名氏清が滅んだ。

 義満の挑発に乗せられ、兵を挙げた氏清は、京で迎え撃たれ、討ち取られた。六分の一殿は、一度の乱で、見る影もなく削られた。氏清は、戦場では、勇敢に戦った。武士として、見事に死んだ。でも、その武勇は、もはや、何の役にも立たなかった。義満は、戦場で氏清に勝ったのではない。戦場へ誘い込む盤面で、すでに勝っていた。

 武力が、戦うためのものでなくなっていた。

 それは、見せつけるためのものになっていた。逆らえば、こうなる――その一事を、諸国の守護に教え込むための、演出の道具に。

 応永六年、こんどは、大内義弘(おおうちよしひろ)が立った。

 大内は、西国の大守護だ。周防、長門をはじめ、六か国を束ね、瀬戸内の海と、朝鮮との交易を握る。その富は、京の公家たちが舌を巻くほどだった。義弘は、明徳の乱でも、応永の合一でも、義満のために働いた。働いて、功を立てた。

 その義弘に、義満は、冷たかった。

 功に報いるどころか、義満は、大内の力を疎んじ、削ろうとした。新たな負担を課し、京へ来いと命じ、隙あらば、山名と同じ罠にかけようとした。

 義弘は、悟った。

 このままでは、自分も、氏清と同じ末路をたどる。働いても、報われない。それどころか、強いというだけで、滅ぼされる。ならば――。

 義弘は、堺に拠って、兵を挙げた。

 和泉国堺。瀬戸内の海に開いた、富み栄えた港町だ。義弘は、ここに城を構え、海の向こうから食料と武器を運び込み、籠城の構えを取った。京の義満に、真っ向から、武で立ち向かおうというのだ。

 義弘の考え方は、古い武士のものだった。

 武士は、戦って示す。理不尽な目に遭えば、刀で応える。働きに報いない主など、主ではない。ならば、討つ。氏清が滅んだのを見ていながら、それでも義弘が立ったのは、彼が、最後まで、戦う武士だったからだ。

 義満は、堺を、囲んだ。

 幕府の大軍が、町ごと、義弘を包んだ。海を断ち、陸を固め、火を放った。

 堺の合戦は、むごたらしかった。

 富み栄えた港町が、炎に包まれた。蔵が焼け、船が焼け、町人が逃げ惑った。義弘は、燃える町の中で、最後まで戦った。手勢は次々に討たれ、それでも、降らなかった。降れば、武士として戦った意味が、消える。

 燃える櫓(やぐら)の上で、義弘は、寄せ手に向かって、声を張ったと伝わる。


「将軍家は、わしの働きに、領地ではなく罠で報いられた」


 炎が、その横顔を照らした。


「ならば、武士の報い方を、見せてやる。戦って死ぬ。それだけのことよ」


 大内義弘は、堺の炎の中で、討死した。

 戦う武士の、戦う武士らしい最期だった。

 でも、その死は、何も生まなかった。義弘が命を懸けて示したものを、義満は、ただの反逆として処理した。乱は鎮まり、大内の力は削られ、諸国の守護は、また一つ、義満の前で、頭を低くした。

 戦って示す、という武士の理屈が、敗れた。

 演出のための武力に。

 堺の焼け跡を、誰かが見て、呟いたという。あれだけの武勇が、あれだけの富が、何のためにあったのか。義弘殿は、武士として、何ひとつ間違っていなかった。間違っていなかったのに、滅びた。

 義満は、堺の報を、花の御所で聞いた。

 眉ひとつ、動かさなかった。

 強い者が滅び、弱い者が頭を垂れる。それが、義満の作りたい世だった。武士が、武士の力で物を言う時代は、終わらせる。これからは、義満の権威の前で、誰もが、ただ頭を低くする。氏清も、義弘も、その世を作るための、削り屑に過ぎなかった。

 九州の果てでは、また別の風が吹いていた。

 幕府は、九州を抑えるため、今川了俊という有能な役人を、探題(たんだい=その地方を治める幕府の長官)として送り込んでいた。了俊は、長年、南朝方の強い九州を、巧みに従えていった。でも、その了俊ですら、南九州の島津には、手を焼いた。手なずけ、頼り、利用し、やがて互いに離れていく。中央から遠い島津の家は、探題の威にも、将軍の威にも、容易には屈しなかった。

 京で、武士が、義満の前に頭を垂れているとき。

 九州の南の果てでは、島津が、中央の威の届かぬところで、自分たちの理屈で、土地を握り続けていた。義満の演出の武力は、京の周りでは、よく利いた。でも、果ての果てまでは、届かなかった。

 その、届かなさが、いずれ何を意味するのか。

 今の京の壮麗の中では、誰も、考えなかった。


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