第4話:合一
――明徳三年(一三九二年)、京と吉野。
花の御所に帝を迎えてなお、義満には、片づいていないものが一つあった。
吉野である。
六十年前、後醍醐が神器を抱いて消えた、あの南の山。後醍醐はとうに死んだが、その血を継ぐ帝が、なお吉野の奥にあって、自らこそ正しい帝だと唱え続けていた。京には北朝の帝。吉野には南朝の帝。天に、二つの日が、昇ったままだった。
武力では、消せなかった。
南朝には、もう、まともな軍はない。正成も、顕家も、義貞も、とうに死んだ。にもかかわらず、吉野の灯は、消えなかった。攻めれば山へ逃げ、隙を見ては京を窺う。六十年、北朝の幕府は、その小さな灯を、武力で消そうとして、消せずにいた。
義満は、武力で消すことを、やめた。
言葉で、儀式で、閉じることにした。
義満は、吉野へ、使者を送った。条件を示した。神器を、京の北朝の帝へ譲り渡せ。そうすれば、南朝の血を絶やさぬ。これからは、北朝と南朝が、代わるがわる帝を出す。両統迭立――北と南が交代で帝を出すという、そういう約束だった。
吉野は、迷った。
武力は尽きている。戦い続けても、勝ち目はない。でも、神器を渡せば、後醍醐以来の大義を、自ら手放すことになる。六十年、山にこもって守り続けたものを、紙の約束一枚と引き換えに。
最後には、吉野は、折れた。
明徳三年、神器が、吉野から京へ還った。
南朝の帝が、京へ上り、北朝の帝へ、三種の神器を渡した。剣と、鏡と、勾玉。帝の証である。それが、武家の頭領・義満の取り計らいのもとで、静かに、引き渡された。
六十年の動乱が、終わった。
戦ではなく、儀式で。
京の人々は、神器を運ぶ行列を、沿道で見送った。仰々しい装束の列が、しずしずと進む。誰も、刀を抜いていない。血の一滴も、流れていない。あの、正成が湊川で十六度突撃し、義貞が泥田で流れ矢に貫かれ、東勝寺で八百人が腹を切った、その同じ動乱の終わりが、これだった。
行列を見ていた老いた武士が、ひとり、ぽつりと漏らした。
長く南朝に従って戦い、生き残った男だった。
「……これが、終わりか」
傍らの若い者が、何がでございますか、と問うた。老武士は、答えなかった。
ただ、胸の内で、数えていた。
桜井で子と別れた楠木殿。雪の北陸で皇子を死なせた新田殿。和泉の石津で散った北畠の若殿。あの人たちは、何のために死んだのか。正しい主君のため、勝てぬと知って死んだ。その死が積み重なった果ての終わりが、紙の約束と、行列と、譲られた神器か。
武士の血で割れた天が、公家の儀式で、一つに戻された。
老武士は、それを、喜べばよいのか、嘆けばよいのか、分からなかった。分からないまま、行列に向かって、深く頭を垂れた。垂れた頭の下で、目だけが、濡れていた。
義満は、合一を成し遂げて、満足していた。
誰にもできなかったことを、自分はやった。祖父・尊氏ですら閉じられなかった動乱を、刀を抜かずに閉じた。武力ではない。権威と、儀式と、言葉の力で。
約束は、守られなかった。
北朝と南朝が代わるがわる帝を出すという約束は、ほどなく破られ、帝は北朝の血で固定された。南朝に連なる者たちは、欺かれたと知って、後の世まで、燻り続けることになる。でも、義満は、気にも留めなかった。終わったものは、終わったのだ。約束の文言などより、神器が京にあるという事実のほうが、はるかに重い。
動乱を閉じた義満の威は、もはや、並ぶものがなかった。
東国に目を向ければ、関東には、鎌倉公方が置かれ、その傍らに、関東管領として、上杉の一族が控えていた。かつて尊氏に従って武家に転じた、あの公家あがりの家だ。上杉は、関東公方を補佐しながら、東国の地に、静かに、深く、根を張りつつあった。中央の威光が遠い東国で、いずれ重しとなる家だった。
今は、ただ、義満の時代だった。
武士が始めた六十年の戦を、武士であることをやめた男が、終わらせた。
その逆さまの意味を、義満自身は、考えなかった。考える必要が、どこにあったか。勝ったのは、自分なのだから。




