第3話:花の御所
――応安元年(一三六八年)、京。
その泥沼に、十一歳の将軍が立った。
足利義満。尊氏の孫である。
応安元年、義満は三代将軍の座に就いた。十一の子どもだ。政を執れるはずもない。実際に幕府を回したのは、管領(かんれい=将軍を助ける幕府の最高職)・細川頼之だった。
頼之は、武士らしい武士だった。
飾り気がなく、生真面目で、戦も政も、筋を通してこなした。乱れた幕府の財政を立て直し、揺らぐ秩序を支え、少年将軍を、我が子のように守り育てた。力で押す荒くれが多い武家の中で、頼之は、稀に見る実直の人だった。
その頼之の膝の上で、義満は育った。
育ちながら、少年は、見ていた。
大人たちが、刀と告げ口で殺し合うのを。昨日の味方が今日の敵になるのを。忠義という言葉が、誰の口でも、てんでに別の意味で使われるのを。武士の世とは、こういうものか――少年の眼は、それを、冷たく映していた。
義満の内には、いつしか、武士の血の世界への、薄い嫌悪が育っていた。
刀で物事を決める世界。力が正義で、裏切りが世渡りで、決着のつかない世界。祖父はその世界の頂きに立ったが、頂きに立ってなお、何ひとつ終わらせられなかった。武力では、時代は閉じられない。少年は、それを、誰に教わるでもなく、見抜いていた。
ならば、何で閉じるのか。
大人になるにつれ、義満は、その答えを掴んでいった。
権威だ。
武士が誰も持っていないもの。刀では決して手に入らないもの。京の朝廷が、千年かけて積み上げてきた、目に見えぬ位の階段。あれを手にした者が、刀を抜かずに、すべての武士を従わせる。
義満は、公家になることにした。
武家の頭領でありながら、公家の作法を、貪るように身につけた。装束の着こなし、歩み方、和歌の詠み方、儀礼の細部。公家たちが、生まれてから死ぬまでかけて覚える決まりごとを、義満は、武器として習い覚えていった。
その習い覚えは、体を、痛めつけた。
ある夜、義満は、装束の袖を、幾度も、捌き損ねていた。公家の袖は、長い。腕を上げるにも、下ろすにも、決まった通り道がある。武家の稽古で覚えた腕は、その道を、知らなかった。袖が、鳴った。
教える老いた公家が、目を伏せた。伏せたその顔に、笑いを噛み殺した形が、あった。
義満は、それを、見た。
もう一度、と義満は言った。もう一度。もう一度。灯が短くなるまで、少年は、同じ腕を、同じ高さに、上げ下ろしし続けた。汗が、襟に落ちた。武家の子が、汗をかいて覚えているのは、弓でも、馬でもなく、袖の捌き方だった。
やがて、袖は、鳴らなくなった。
鳴らなくなった夜、義満は、初めて、笑ったという。何が可笑しいのか、傍らの者には、分からなかった。
京の公家たちは、はじめ、武家の若造の物真似を嗤った。でも、義満の作法が、本物の公家を凌ぐ域に達したとき、嗤いは、怯えに変わった。
官位の階段を、義満は駆け上がった。
権大納言、内大臣、左大臣。武士でありながら、公家の最高位へ、一段ずつ。一段昇るごとに、刀を抜かずに、京の朝廷が、義満の手の内に入っていった。
応安からちょうど十年。
義満は、京の北小路室町に、壮大な邸を構えた。
花の御所と、人は呼んだ。四季の花を集めた庭、磨き抜かれた建物。そこは、武家の館ではなかった。寝殿があり、池があり、雅な気配が敷き詰められていた。そして、その花の御所に、義満は、帝を迎えた。
帝が、武家の頭領の邸に、わざわざお出ましになる。
千年の都で、誰も見たことのない光景だった。本来、臣下が帝のもとへ参るものだ。それが、逆になった。帝のほうが、義満の邸へ、足を運んだ。
義満は、簾の内に座る帝を、下から見上げていた。
見上げながら、思っていた。あと、もう少しだ。この階段を昇りきれば、わしは、武士でも公家でもない、何か別のものになる。誰も超えられなかった動乱を、刀を一度も抜かずに、終わらせる男に。
頼之は、その義満の横顔を、少し離れたところから見ていた。
育てた将軍が、いつのまにか、自分の知らない高みへ昇っていた。武士を、武士のまま強くするのではない。武士であることを、脱いでいく。それが、本当に、正しい道なのか。
一度だけ、頼之は、それを、口にしたことがある。装束の合わせを直させている義満の背に、控えたまま、こう言った。
「上様。……公家の作法は、上様のお召し物にございます。脱げば、下に、武家の御体がおありでしょうか」
義満は、振り向かなかった。
「頼之。脱いだ下に、何もなければ、それはそれで、よい」
それきりだった。頼之は、それ以上、言えなかった。
頼之の胸に、名づけられない不安が、よぎった。
でも、それを言葉にする前に、頼之自身が、政争に敗れて、一度、京を追われることになる。実直の人が去り、義満は、いよいよ一人で、その階段を昇っていった。




