第2話:濁りの果て
――文和元年〜貞治年間(一三五〇〜六〇年代)、京。
残ったのは、泥沼だった。
誰が敵で、誰が味方か、一年ごとに、入れ替わった。南朝につき、北朝に戻り、また南朝につく。武士たちは、忠義の旗を、季節の衣のように、着替えた。観応の擾乱(かんのうのじょうらん=足利家の内輪もめの大乱)と呼ばれるこの内輪もめは、足利の天下を、外からの敵ではなく、内側から、深く、抉った。
尊氏は、その濁りの中で、老いていった。
晩年、背に、悪い腫れ物を病んだ。床に就いても、見舞いに来る者には、いつものように、まず笑ってみせた。配るものは、もう、あまり残っていなかった。それでも、枕元を訪れた者に、脇息を、硯箱を、手当たり次第に与えたがって、近習を困らせた。死の床で、この男が何を思うたかは、伝わらない。
延文三年、足利尊氏は、死んだ。五十四だった。
弟を消し、執事を失い、天下を割ったまま、覇者は、問いに答えぬまま、世を去った。跡を継いだ子・義詮の代も、京と吉野は、割れたままだった。動乱は、もう、誰にも終わらせ方の分からぬ泥沼に、なっていた。戦って勝っても、決着がつかない。勝った側から、また裏切りが出る。
三十年近く――後醍醐が笠置に旗を揚げてから、武士たちは、出口のない戦を、戦い続けていた。そして、終わりは、まだ、誰にも見えていなかった。
武家の世は、外敵に滅ぼされたのではなかった。
自分で、自分の屋台骨を、軋ませ続けた。忠義という一本の糸が、無数の選択へとほどけた世界では、天下を取った勝者すら、自分自身を引き裂かずには、いられなかった。それが、忠義の分裂という時代の、行き着いた果てだった。
その出口のない泥沼に、やがて、一人の少年が、立つことになる。
刀ではないやり方で、この果ての見えない動乱を、終わらせようとする男が――尊氏の孫が。




