第2話:雪の北陸道
――建武三年(一三三六年)十月、京から越前へ。
新田義貞は、雪の中を、北へ向かっていた。
湊川で、義貞は生き残った。正成を見殺しにして、東へ退いた。あの日から、義貞の背には、見殺しにした男の重さが、ずっと載っていた。
退き口を確かめておけ、と正成は言った。
その言葉どおりに退いて、義貞は生きた。生きて、何をしている。京を保てず、比叡へ逃れ、今また、北陸の雪の中を、落ちていく。
義貞は、二人の皇子を、奉じていた。
後醍醐が吉野へ落ちる前、義貞に託した皇子である。恒良親王と、尊良親王。北陸へ下り、東国の宮方を呼び集め、京を奪い返す――そういう大義を、二人の幼い皇子とともに、義貞は背負わされていた。
背負わされた、というのが、正直なところだった。
後醍醐は、自分は神器を抱いて吉野へ消え、義貞には皇子を押しつけて、北陸へ追いやった。捨て駒に近い役回りだ。それでも、義貞は、断らなかった。断れば、楠木と同じ忠義を、自分は持たないことになる。
雪が、降り続いた。
北陸の冬は、坂東の比ではなかった。木ノ芽峠を越えるころには、軍はすでに、半ば凍えていた。膝までの雪を漕ぎ、谷風に叩かれ、人も馬も、進むだけで力を奪われた。動けなくなった兵が、雪の中に、一人、また一人と、置き去りにされた。振り返れば、白い道に、点々と、黒い塊が残っていた。それが、味方の骸だと分かるのに、義貞は、足を止められなかった。止まれば、全軍が凍る。
たどり着いた金ヶ崎の城は、海に突き出した、小さな城だった。
義貞は、ここに、皇子たちと立て籠もった。
冬を越せば、東国の味方が来る。そう信じて、籠城した。でも、来なかった。来たのは、足利方の大軍だった。城は、海と陸から囲まれ、食料の道を断たれた。
城の中で、兵が、餓えた。
馬を食い、草を食い、それも尽きた。年が明けても、援軍は来なかった。義貞は、城を出て、援軍を呼びに行くしかなくなった。皇子たちを城に残し、自らは囲みを破って、外へ。それが、皇子を守る、ただ一つの道だった。
その留守に、金ヶ崎は、落ちた。
建武四年三月。食料の尽きた城へ、足利方が総攻めをかけた。城を預かった義貞の嫡男・義顕は、もはやこれまでと、尊良親王とともに、自害した。皇子は、義貞の腕の中ではなく、燃える城の中で、若い命を絶った。そして、その傍らで、義貞の子もまた、腹を切った。もう一人の皇子、恒良親王は、捕らえられ、京へ送られた。
援軍を集めて駆け戻った義貞が見たのは、落城の煙だった。
義貞は、馬上で、長いあいだ、その煙を見ていた。
あの煙の下で、義顕が死んだ。父が援軍を呼びに出ている間に、城を枕に、皇子とともに。まだ二十にならぬ、嫡男だった。父の留守を、よく守ったと褒めてやることも、もうできない。
皇子を、死なせた。我が子も、死なせた。湊川では正成を見殺しにし、金ヶ崎では皇子と、嫡男を、いちどに失った。背負わされたものも、自分の血を分けたものも、義貞は、守りきれなかった。
戦下手、という世の評判が、これほど重く感じられたことはなかった。器量さえあれば、子を死なせずに済んだのではないか。その問いだけは、退かぬと決めた義貞の胸を、いつまでも、刺し続けた。
降れ、と内なる声がした。
もう、よいではないか。後醍醐は、お前を捨て駒にした。皇子は死んだ。大義は、半ば潰えた。ここで足利に降れば、命は助かる。源氏の名門として、新しい世で、それなりの座も得られよう。
義貞は、首を振った。
降れば――湊川で、自分の代わりに死んだ男に、顔向けができない。あの男は、間違うていると思う主君のために、退かずに死んだ。自分は、正しいと信じる主君のために、なぜ退ける。
義貞は、降らなかった。
雪の越前で、敗れ残った軍をまとめ直し、なおも、戦い続けることを、選んだ。
それが、損得に合わないことは、分かっていた。分かっていて、選んだ。
戦下手と、世は義貞を嗤う。
でも、この一事だけは――退かぬというこの一事だけは、誰にも、嗤わせはしなかった。




