第5話:湊川(正成)
――建武三年(一三三六年)五月二十五日、湊川。
義貞の軍が東へ退いていくのを、正成は、横目で見ていた。
恨みは、なかった。義貞は、正しい。海沿いの軍が背後を衝かれれば、退くよりほかない。退いて、軍を保つ。それが、生きて次の戦をする者の、務めだ。
退け、と心の中で、正成は義貞に告げた。退いて、生きよ。お前は、まだ、戦える。
自分は、もう、戦えない。
正成の七百騎は、湊川の岸で、完全に孤立した。前から、横から、後ろから、足利の大軍が、波のように押し寄せてくる。数えるのは、もう、やめた。数える意味が、なかった。
正成は、馬上で、太刀を抜いた。
「かかれ」
短く、それだけ言った。
七百騎が、十万の中へ、突っ込んだ。
戦いは、長かった。
正成は、突撃を繰り返した。一度斬り込んでは退き、立て直しては、また斬り込む。大軍の中に、楔を打ち込むように。一度、二度、三度――突撃のたびに、味方の数が、削られていった。七百が、五百になり、三百になり、それでも、楠木の軍は、崩れなかった。
なぜ、崩れないのか。
寄せ手の足利の兵が、後に、不思議がったという。あれほど少ない兵が、囲まれ、削られ、それでも、逃げる者が、一人も出なかった。隊列を乱して逃げ散れば、いくらかは生き延びられたものを、楠木の兵は、ただ、主とともに、斬り込んでは退き、退いては斬り込んだ。
半日が、過ぎた。
六時間、十六度――と、後の軍記は伝える。数の誇張は、あっただろう。でも、正成の軍が、半日のあいだ、十万の大軍の中で、突撃を繰り返し続けたことは、まぎれもない事実だった。
やがて、正成の手勢は、数十騎になった。
馬も、失った。傷だらけの体で、正成は、弟の正季とともに、湊川のほとりの、小さな民家へ入った。
家の中は、薄暗かった。
板戸の隙間から差す光に、埃と、血の匂いが、混じって漂っていた。外では、まだ、わずかに残った郎党が、戸口を塞いで、戦っている。ときの声と、刃の打ち合う音が、すぐそこで、しかし急に遠く、聞こえた。その音が止んだとき、二人の番が来る。それまでが、兄弟に残された、最後の時間だった。
正成と正季は、薄暗がりの中で、互いの体を、見た。二人とも、もう、立っているのが、不思議なほどの傷を負っていた。鎧の隙間という隙間が、黒く濡れていた。
正季が、笑った。
「兄者。最期に、願いがある」
「何だ」
「七生(しちしょう=七度の生まれ変わり)まで、人間に生まれ変わって、朝敵を滅ぼしたい。それが、願いだ」
朝敵(=朝廷の敵)を滅ぼす――尊氏を、足利を、討つ。七度、生まれ変わってでも。
正成は、その言葉を聞いて、笑った。
血にまみれた顔で、弟と、向かい合って、笑った。
「同じ思いよ。……七生、生まれ変わって、共に、同じ志を遂げよう」
兄弟は、刺し違えた。
河内の悪党あがりの男の、それが、最期だった。
正成は、勝てぬ戦で死んだ。勝てぬと知って、出て、退かずに、死んだ。
それを、理想のための死と呼ぶか、ただの強情と呼ぶか。後の世は前者を選び、武士の理想と讃え、忠臣の鑑と崇め、大楠公と呼ぶことになる。でも、亡骸をあらためる者の眼に映るのは、傷だらけの、河内の悪党あがりの男の骸だけだった。この男が何のために死んだのか、骸は語らない。分かるのはただ、間違うていると思う主君のために、最後まで退かなかった、という一事だけだった。
数日後、正成の首は、丁重にあらためられ、河内へ送り返された。
送り返すよう命じたのは、敵将の足利尊氏だった。
尊氏は、首を返すよう命じたきり、長く、何も言わなかった。何を思ったかは、誰も知らない。ただ、首を粗末に晒さず、遺族のもとへ返した――そのことだけが、残った。
あの男の死を、帝は死地への駒として送り、義貞はともに戦い、尊氏は敵として討った。その三人のうち、首を返した男だけが、何かを、言葉にせずに分かっているように見えた。土地のために主を選び、損得で旗を替える――尊氏自身が作っていくことになるその武士の世に、損得を超えて決めた一点に死ぬ男が、もう現れないことを。
近習には、尊氏のその沈黙が、そう告げているように思われた。
京では、後醍醐が、比叡の山へ退いていた。
正成が「最初にそうせよ」と説いた、まさにその比叡へ。ただし今度は、戦法としてではなく、ただの敗走として。
正成が申し上げた策は、退けられた末に、最も惨めな形で、正しさを証明していた。
雨が、湊川の岸を、洗っていた。
血も、骸も、やがて、その雨が、流していくのだろう。
第二章 湊川——楠木正成の死に方 ――完。




