第4話:湊川(義貞)
――建武三年(一三三六年)五月二十五日、摂津国湊川。
新田義貞は、海を見ていた。
湊川の河口、和田岬のあたりである。西から攻め上ってくる尊氏を、東の京を背にして迎え撃つ布陣だった。義貞の軍は、海沿いの和田岬に。その内陸側、一段下がった湊川の西に、楠木正成の軍がいる。両軍合わせて、二万に満たない。
義貞が気にかけていたのは、自軍の東――京へ続く後方の浜だった。生田の森のあたりまで、守りは薄い。もし敵が海から回り込んで、あの東の浜に兵を上げれば、義貞の軍は、前の敵と後ろの敵に挟まれる。でも、まさか、と義貞は思っていた。大軍を船から浜へ上げるなんて、容易なことではない。
沖を、見た。
水平線が、黒かった。
雲ではない。船だ。足利尊氏の水軍が、瀬戸内を埋め尽くして、東へ、東へと進んでくる。陸の上にも、足利直義の率いる大軍が、西から押し寄せている。海と陸あわせて、その数、十万とも称する――数えるのも、馬鹿馬鹿しいほどの差だった。
義貞は、唇を噛んだ。
義貞には、引け目があった。
同じ源氏の名門でありながら、鎌倉を落とした手柄がありながら、世間は、義貞を「戦下手」と見ていた。尊氏に比べて、器が小さい、と。新政の恩賞でも、尊氏ほどには重んじられなかった。その鬱屈が、義貞の胸には、いつもあった。
だからこそ、この戦で、と思っていた。
ここで尊氏を破れば、汚名はそそげる。源氏の頭領は、尊氏ではなく、この義貞だと、天下に示せる。
でも、海の黒さを見て、義貞は、その望みが、潰えたことを知った。
勝てぬ。
隣の楠木が、とうに同じ結論に達していることも、義貞は知っていた。布陣の前夜、正成と、短く言葉を交わした。正成は、多くを語らなかった。ただ、こう言った。
「貴殿は、海沿いにおられる。船が着けば、真っ先に衝かれる。退き口だけは、確かめておかれよ」
退き口。退く道。負けると分かっている者の、言葉だった。
義貞は、内心、むっとした。戦う前から、退く道を確かめておけ、とは。でも、正成の眼に、侮りはなかった。あるのは、ただ、戦場を知り抜いた者の、冷静な助言だけだった。
その助言の意味を、義貞は、戦が始まって、思い知った。
夜明けとともに、尊氏の水軍が、動いた。
義貞の予想を超えて、船団は、湊川の正面ではなく、東へ――義貞の軍の、さらに背後の浜へ、回り込んだ。和田岬の東、生田の森のあたりに、続々と兵を上陸させ始めたのである。
背後を、衝かれる。
義貞の軍は、前の直義の大軍と、後ろの上陸軍に、挟まれかけた。
崩れるのは、速かった。
海沿いの軍は、陸沿いの軍より、退き場がない。背に海を負えば、逃げ場は、限られる。義貞は、軍を立て直そうとしたが、上陸軍の素早い動きの前に、守りの線は、次々に断ち切られた。
退くしか、なかった。
義貞は、軍をまとめ、東へ――京の方角へ、退いた。正成の助言どおり、退き口だけは、確かめてあった。おかげで、軍の多くを、失わずに済んだ。
でも、退きながら、義貞は、後ろを振り返って、青ざめた。
自分が退いたことで、隣の楠木の軍が、剥き出しになっていた。
義貞の軍と直義の大軍の間に挟まって戦っていた正成の七百騎が、義貞の後退で、横腹をすっかり晒したのだ。そこへ、上陸した足利の大軍が、殺到していた。
正成は、退かなかった。
退けば、生きられたかもしれない。義貞とともに、東へ落ちれば。でも、正成の軍は、湊川の岸を、動かなかった。
義貞は、馬を停め、引き返そうとした。楠木を、見殺しにはできない。
でも、できなかった。引き返せば、自分の軍ごと、呑まれる。それに――遠目に見えた正成の旗の動きは、もはや、助けを求めてはいなかった。あれは、その場に、留まると決めた者の、旗だった。
義貞は、奥歯を噛んで、東へ馬を進めた。
あの男は、最初から、ここで死ぬつもりだったのだ。
退き口を確かめておけ、と言ったのは、自分のためではなかった。義貞を――生きて次の戦をする者を、生かすための、言葉だった。
義貞の頬を、海風が叩いた。
その風に乗って、背後から、ときの声が聞こえた。七百騎が、十万に、斬り込んでいく声だった。




