第2話:容れられぬ策
――建武三年(一三三六年)四〜五月、京。
正成は、京へ上り、帝の御前に出た。
申し上げたい策が、あった。
絵図を数え尽くした末の、ただ一つの活路である。正成は、平伏したまま、それを述べた。
「尊氏の軍は、九州の勢を吸い、瀬戸内を上ってまいります。その数、すでに我が方の及ぶところではございませぬ。正面から当たれば、京は、保てませぬ」
御簾の奥で、後醍醐は、黙って聞いていた。
「されば――畏れながら、帝には、しばし京をお退きいただきたく存じます。比叡のお山へ。京は、一度、尊氏にくれてやるのです」
御前が、ざわついた。
帝に、都を捨てよと言う。武士の分際で。
「尊氏の大軍が京に入れば、その兵糧(ひょうろう=食料)は、たちまち尽きまする。大軍とは、養うに難きもの。京に釘付けにし、食料を運ぶ道を断ち、河内・摂津より我らが背後を衝けば、瀬戸内を上ってきた疲れ切った軍は、内から崩れまする。一度都を捨てることが、尊氏を滅ぼす、ただ一つの道にございます」
それは、正成が、千早の城で実証した戦法だった。
大軍は、強い。でも、大軍は、重い。重いものは、補給の線が伸びれば、自分の重さで倒れる。正成は、わずかな兵で大軍を翻弄する術を、誰よりも知っていた。その術を、今、天下の規模で使おうとしていた。
軍略としては、隙がなかった。
退けたのは、軍略ではない。考え方の根本が、違ったのだ。
「ならぬ」
と、声を上げたのは、公家の坊門清忠だった。
「帝が、賊を恐れて都を退かれるなど、前代未聞。一年のうちに二度も帝が京を落ちられては、朝廷の威信は地に墜ちる。御稜威の前に、賊は自ずから滅びるもの。小手先の兵略で都を捨てよとは、武士の思い上がりも甚だしい」
御稜威。帝の、神聖な威光。
公家の考えでは、それがすべてだった。帝は、土地の損得で動くものではない。兵糧の計算で都を捨てるものではない。帝は、ただそこにあるだけで天下を従える、神聖な存在でなければならなかった。
正成の考え――補給、地形、人の心――は、その神聖さの前では、卑しい商人の計算に過ぎなかった。
後醍醐は、坊門の言を容れた。
正成に下ったのは、京を退くことではなく、出撃の命だった。兵庫へ下り、湊川に布陣して、義貞とともに、上ってくる尊氏の大軍を、正面から迎え撃て――と。
それは、正成が「保てませぬ」と言った、まさにその正面決戦だった。
御前を下がる正成の背を、誰も呼び止めなかった。
正成は、恨まなかった。
恨む、という感情が、正成の中には、湧かなかった。帝は、帝の考えで動いている。公家は、公家の考えで動いている。それが間違っているとは、正成は思わなかった。ただ、自分の考えとは、違っただけだ。違う考えの主君に、自分は、仕えると決めた。決めたのは、自分だ。
その夜、河内へ帰る道で、正成は、不思議なほど澄んだ心持ちでいた。
勝てぬ戦に、出る。
申し上げた策は退けられ、活路は閉ざされた。残されたのは、負けると分かった戦場へ、命じられるまま赴くことだけだ。
絶望ではなかった。
それは、絵図を数え終えた者の、静かな決算だった。勝ち負けの桁は、もう動かない。動かせるのは、ただ一つ。自分が、どこで、どう死ぬか。それだけが、最後に、正成の手に残されていた。
河内へ帰り着く前に、正成は、馬を一度、桜井の方へ向けた。
兵庫へ下る前に、しておかなければならないことが、あった。




