第1話:九州の風
――建武三年(一三三六年)二月、京。
京は、二度、沸いた。
一度目は、正月。東国で兵を挙げた足利尊氏が、大軍を率いて京へ攻め上ったとき――ではない。その尊氏を、京方が追い払ったときだ。陸奥から駆けつけた北畠顕家の軍、新田義貞の軍、そして河内の楠木正成の軍。三つの軍が手を組み、京に入った尊氏を、わずかのうちに京から叩き出した。尊氏は、播磨へ、さらに西へと敗走した。
京は、勝利に酔った。
帝の御稜威(ごりょうい=天皇の威光)の前には、東国の逆賊も一蹴される。公家たちは、そう言い合って、祝いの杯を重ねた。
その京の浮かれの中で、ただ一人、楠木正成だけが、酔わなかった。
河内の館に戻った正成は、絵図を広げて、ひとり、数を数えていた。
尊氏は、西へ落ちた。でも、死んではいない。それが、正成には引っかかっていた。
武士というものを、正成は知り抜いていた。自分が、その武士だからだ。河内の山に拠る悪党あがり――荘園の決まりの外で、力と知恵だけで生きてきた男だ。家柄も、官位も、後ろ盾もない。あるのは、土地を読む眼と、人の心を読む眼だけだった。
その眼で、正成は、西国の地図を見ていた。
尊氏が落ちていく先には、何がある。土地に飢えた武士たちが、いる。新政の恩賞にありつけず、不満を抱えた西国の武士が、無数にいる。その者たちの前に、源氏の頭領が、旗一本掲げて現れたら――どうなる。
二度目に京が沸いたのは、その答えが返ってきたときだった。
三月、九州。
西へ西へと落ちた尊氏は、博多の近く、多々良浜で、迎え撃つ宮方の大軍とぶつかった。尊氏の手勢は、わずかだった。数の上では、勝負にならないはずだった。
尊氏が、勝った。
後になって、その戦を見た者から、正成のもとへも、断片が伝わってきた。
足利勢は、数百だったという。海を背にして、逃げ場を捨てた。宮方は数万で、砂丘の上から見下ろす形に布陣した。誰が見ても、半日で片がつくはずの絵だった。
風が、変わったのは、戦が始まってすぐだったという。
博多の海から吹き上げる風が、砂を巻いた。砂は、坂の上に立つ宮方の顔を、まともに叩いた。目を開けていられない。矢を番えても、狙いが定まらない。下から突き上げてくる足利勢の姿が、砂の幕の向こうで、ぼやけた。
尊氏は、その幕の中へ、自ら馬を入れたという。
そして、いつものように、笑っていたという。
数百が坂を駆け上がる。上から射かける矢が、外れる。外れた矢が、宮方の後ろの列に落ちる。前が押し戻され、後ろが崩れる。――そうなったとき、宮方の一角から、旗が下りた。
寝返りである。
一つ下りれば、隣も下りた。九州の武士たちは、旗の色で戦っていたのではなかった。勝つ側で戦っていた。だから、勝ちそうな方へ、戦のただ中で、足の向きを変えた。
半日で片がついた。ただし、宮方の方が、崩れた。
わずかな兵で、大軍を打ち破った。九州の武士たちが、勝つ尊氏のもとへ、雪崩を打って集まった。落ち武者だったはずの男が、ひと月のうちに、西国一の大軍の主になっていた。
その報が、京に届いた。
京は、こんども沸いた。でも、今度の沸き方は、浮かれではなかった。ざわめきであり、怯えだった。尊氏が、また来る。今度は、瀬戸内を埋め尽くす大軍を率いて、東へ――。
正成は、その報を、河内で聞いた。
驚かなかった。絵図の上で、もう何度も数えた通りのことが、起きただけだった。
武士は、土地をくれる主に集まる。帝は、武士に土地をくれない。尊氏は、土地をくれる。ただ、それだけのことだった。それだけのことで、勝敗は、もう、決まりかけていた。
正成は、絵図を巻いた。
数え終えた答えは、冷たかった。
――勝てぬ。
でも、と正成は思った。勝てぬと分かったときにこそ、武士には、考えねばならないことがある。
いかに勝つか、ではない。
どこで、死ぬか、だ。




