第5話:帝の名
――元弘三年(一三三三年)五〜六月、九州から京へ。
九州では、島津貞久が、いち早く宮方に転じていた。鎮西探題(ちんぜいたんだい=幕府の九州の出先)が博多で滅ぼされると、坂東以来この地に根を張ってきた島津の家は、ためらいなく新しい潮に乗った。奥州の伊達もまた、どちらにつくかを計りながら、京の風を窺っていた。中央が裏返るとき、果ての家々は、誰よりも素早く身を処す。それが、生き残るということだった。
六月、後醍醐は、京へ還った。
隠岐を脱してわずか数か月。流された帝が、武家の都を灰にして、千年の都へ凱旋した。沿道は、帝を一目見ようとする人で埋まった。輿の簾は、上げさせてあった。帝は、隠れない。囚われの日にも武士を見下ろしたあの眼が、今は、都人の頭上を、ゆっくりと渡っていった。
その帝の威光の前に、武士たちが、頭を垂れて並んでいた。
高氏は、その列の中にいた。
幕府を倒した第一の功臣として、後醍醐は高氏を厚く遇した。そして、自らの本名「尊治」の一字を与えた。
この日から、足利高氏は、足利尊氏となる。
帝の名の一字をいただいた武士。それは、この上ない栄誉だった。でも、尊氏は、その栄誉を受けながら、胸の奥で、かすかな違和感を覚えていた。
帝は、武士に、名を与える。土地ではなく、名を。
武士が欲しいものが何かを、あの異形の帝は、分かっておられないのかもしれない――。
その違和感を、尊氏は、まだ言葉にできずにいた。




