第2話:海の向こうから
――文永十一年(一二七四年)十月二十日、筑前国博多。
博多の浜に、九州の御家人たちが集まっていた。
大宰府の少弐の下知のもと、大友、菊池、原田、松浦――名のある家々の旗が並び、その列の端に、季長と五騎の郎党がいた。それでも、集まった兵は数千。沖を見た者は、みな黙った。
蒙古と高麗の軍船が、博多湾を埋めていた。数百艘。海を埋め尽くす異国の船というものを、九州の御家人たちは、初めて見た。
敵が、浜に上がってきた。
戦が始まって、武士たちは戸惑った。
戦の作法が、まるで違ったのだ。
坂東以来、武士の戦は、名乗りから始まる。我こそは何の某、いざ尋常に勝負せよ――大声で名を名乗り、一騎討ちで決着をつける。それが、武士の戦だった。
蒙古は、名乗らなかった。
武者が馬を進め、名を名乗ろうとした、その口上の途中で、矢の雨が降ってきた。短い弓から放たれる毒矢が、無数に。名乗りを上げた者から、死んでいった。狙って射るのではない。空を黒くして、まとめて降らせるのだ。人も馬も、名のある者もなき者も、区別なく射られた。
そして、てつはう、が来た。
鉄の玉が、雷のような音を立てて破裂し、火と煙を撒き散らした。音だけで、馬が狂った。棹立ちになり、乗り手を振り落とし、味方の列を蹴り割って逃げた。武士の馬は、矢音には慣れている。でも、あの音を知っている馬は、一頭もいなかった。
蒙古は、整然たる集団で動いた。
銅鑼が鳴れば進み、また鳴れば引いた。旗で合図し、槍の列を揃え、波のように押し寄せた。一騎で突っ込めば、包まれて、突き落とされた。一騎討ちなど、どこにもなかった。
武士たちは、次々に倒れた。
昼過ぎ、赤坂の丘で敵勢を破った菊池武房の手勢が引き揚げてくるのと、季長はすれ違った。血と煙に汚れた百余騎だった。勝った側の顔までが、初めて見る戦に、こわばっていた。
季長は、それでも、前へ出た。
名もなき御家人が、後の世に名を残すには、ここで先駆けるしかなかった。郎党五騎を率い、味方が引く中を、鳥飼潟の干潟へ、ただ一手で駆けた。
矢が、馬に立った。
馬が崩れ、季長は泥に投げ出された。郎党が三人、続けて射られた。血は流れたが、まだ誰も死んでいない。ただ、立ち上がっても、干潟の先には敵の列が、壁のように続いているだけだった。先駆けは、した。したが、このままでは、手柄ではなく犬死にだった。
そこへ、後ろから百騎あまりが駆け込んできた。
肥前の御家人・白石通泰の手勢だった。その突きかかりに敵の列が割れ、季長と郎党は、かろうじて引き上げた。泥と血にまみれ、馬を失い、それでも竹崎季長は、あの干潟で、誰よりも前に立った。
季長は、生き残った。
その夜、季長は、傷の痛みに眠れぬまま、浜の篝火の向こうの海を見ていた。異国の船の灯が、波の上に幾百と揺れていた。明日も、戦だ――そう思って、まどろんだ。
夜が明けると、海から、灯が消えていた。
船が、一艘もいなかった。あれほど海を埋めていた数百艘が、一夜のうちに、影も残さず消えていた。海が荒れたとも、最初から長居するつもりはなかったとも言われる。理由は、誰にも分からなかった。季長には、ただ、不気味だった。勝ったのか、逃げられたのか、それすらも判然としない。敵は、名乗りもせず来て、名乗りもせず去った。最後まで、坂東以来の戦の作法の、どれ一つにも当てはまらない敵だった。
戦は、終わった。
季長は、生きていた。傷だらけで、馬を失い、それでも、誰よりも前で戦った――その自負だけが、彼の手に残った。
手柄は、立てた。
あとは、御恩が、来るはずだった。
……来なかった。




