第6話:京から来た男
――建長四年(一二五二年)、鎌倉。
血の騒ぎが落ち着いて、五年が過ぎた。
鎌倉へ、京から、長い行列が下ってきた。
新しい将軍を迎える行列である。頼朝の血はとうに絶え、その後に京から迎えた摂家の将軍も、北条の意に染まぬとして追われた。こんどは、帝の子を迎えるという。後嵯峨天皇の皇子・宗尊親王。まだ十一歳だった。
その供回りの、いちばん後ろのあたりに、上杉重房がいた。
低い位の公家である。丹波の上杉荘を領して、その地の名を家名としていた。京では、名を呼ばれることも少ない身分だった。武士ではない。弓も引かず、馬も、得手ではない。
その重房が、鎌倉へ来た。
東は、寒かった。
風が、京の風と違った。京の風は、山に囲まれて、澱んだところがある。鎌倉の風は、海から、まっすぐに吹き上がってきた。屋敷の作りも、粗い。柱が太く、飾りがない。庭に、砂利が敷いてあって、そこに馬の蹄の跡が、いくつも残っていた。
重房が最初に驚いたのは、武者たちの目つきだった。
京の武者は、公家の前では、目を伏せる。鎌倉の武者は、伏せなかった。じろじろと、上から下まで、遠慮なく見る。そして、少し、笑う。
――京下りが、また来た。
その笑いの意味は、言葉にされずとも、分かった。重房は、それを、黙って受け流した。腹は立たなかった。むしろ、こちらの方が、正しい国のように思えた。ここでは、誰も、位で人を見ていない。
その年の秋、重房は、笠懸を見た。
馬場に、的が立てられていた。走る馬の上から、矢を射る。武者が一騎、砂利を蹴立てて駆け出し、走りながら、体をひねり、弦を引いた。矢が、鋭い音を立てて、的の真ん中を貫いた。
どよめきが、上がった。
重房は、思わず、腰を浮かせていた。
次の一騎が出た。また当たった。三騎目は、外した。外した者は、馬を下りて、深く頭を下げた。誰も笑わなかった。次の者が、黙って、馬に乗った。
重房は、隣に座っていた老いた御家人に、思わず、尋ねた。
「これは……何のための、儀にございましょう」
「儀ではござらぬ」
老人は、的の方を見たまま、答えた。
「稽古にござる」
「稽古」
「京の弓は、当たらずともよいと聞き申した。作法が正しければ、それでよい、と。……こちらは、当たらねば、意味がござらぬ。当たらぬ矢は、明日、己が死ぬということにござれば」
重房は、その言葉を、長いこと、噛んでいた。
京では、儀式のたびに弓が引かれる。的があり、装束があり、順序があり、誰も的を射ない。あれは、射る真似をするための弓だった。
ここでは、当たるか、外れるか。それだけだった。
――この国は、真似をしていない。
重房は、そう思った。京から見れば、鎌倉は、田舎の、粗末な模倣であるはずだった。だが、来てみれば、逆だった。真似をしているのは、京の方だった。京は、遠い昔の唐の真似をして、その形だけを、飾って、守っている。
鎌倉には、飾るものが、何もない。
その代わり、当たる矢が、あった。
将軍・宗尊親王は、やがて京へ送り返される。皇族の将軍は、飾りに過ぎず、飾りが飾り以上のものになろうとすれば、北条はそれを許さなかった。
だが、供として下ってきた重房は、京へは、戻らなかった。
鎌倉に残り、この国の作法を覚え、この国の言葉を覚えた。子が生まれ、その子が、東国の武士の家と縁を結んだ。弓を引かなかった公家の家が、少しずつ、弓を引く家になっていった。
武士に、生まれつきはない。
この家は、そのことを、七百年をかけて証明していく家になる。京から来た男の家が、やがて武士の家に転じ、東国を背負う武将を幾人も出すことを――そして数百年の後、越後の龍と呼ばれる男が、その家名を継ぐことを、このときは、重房自身を含め、誰ひとり、知らなかった。
馬場では、まだ、笠懸が続いていた。
矢が的を貫く音が、海からの風に乗って、いつまでも、鳴っていた。
第五章 承久——武士が朝廷を超えた日 ――完。




