第2話:山より高く
――承久三年(一二二一年)五月十九日、鎌倉。
御家人たちは、御所の庭を埋め尽くした。
名のある者も、無名の者も。老いた者も、若い者も。坂東じゅうから、報せを聞いて駆けつけた武士が、肩を寄せ合って簾の前に居並んだ。何が始まるのか、誰も知らない。ただ、尼御台が一同に申し述べることがある、とだけ伝えられていた。
簾の向こうに、政子の影があった。
その傍らに安達景盛が控え、政子の言葉を、一同に伝え聞かせる役を担う。尼が直に大声を張るのではない。景盛が、政子の言葉を、庭の隅々まで届く声で読み上げていく。
景盛が、口を開いた。
政子の言葉が、その口を借りて、庭に降りた。
「皆、心を一つにして、聞きなさい。これは、尼の最後の言葉です」
ざわめきが、止んだ。
「亡き右大将――頼朝公が、朝敵を平らげ、関東に武家の世を開かれてより、官位といい、俸禄(ほうろく=給与の土地)といい、その御恩は、山よりも高く、海よりも深い。お前たちが、今、人として立っていられるのは、誰のおかげか。先祖伝来の田を、誰に憚ることなく己の田と呼べるのは、誰のおかげか」
庭が、静まり返った。
居並ぶ武士たちの一人ひとりの胸に、政子の言葉が、まっすぐに落ちていった。石橋山に従った老将がいた。富士川を駆けた男がいた。父の代から御恩を受けてきた若者がいた。皆、思い当たることがあった。皆、頼朝という名に、自分の今を負っていた。
「その御恩に報いる心が、浅かろうはずがない。――今、悪い臣下の讒言によって、道理に背いた院宣が下された。名を惜しむ者は、早くその逆臣を討ち取り、三代将軍の遺してくれたこの鎌倉を、守りなさい」
景盛の声が、わずかに震えた。
「ただし。京へ向かいたくない者は、この場で申し出るがよい。引き止めはせぬ。……今、ここで、決めなさい」
言葉が、終わった。
長い、長い沈黙があった。
やがて、庭のどこかで、一人の武士が泣き声を漏らした。それが広がるように、あちこちで肩が震え始めた。老将が地に手をつき、若者が涙を拭い、誰からともなく、声が上がった。
「お供します」
「鎌倉のために」
「院宣が何だ。我らは、御所様の御恩に死ぬ」
声は、地鳴りのように広がり、庭を満たした。
簾の内で、政子は目を閉じていた。
動いた。武士たちが、朝敵の汚名を承知の上で、立った。頼朝の遺した御恩という一語が、何百年もの間、武士を縛りつけてきた「帝の権威」を、たった今、上回ったのだ。
武士は、土地のために、帝に弓を引く。
その覚悟を、この老いた尼が、夫の名を借りて、引きずり出した。
評定は、その日のうちに一変した。守りを説く声は消え、いつ出陣するかだけが論じられた。大江広元が、老いた身を起こして言った。今は迷う時ではない、ただちに兵を京へ向けるべし、と。義時の子・泰時を大将とする軍が、東海道を一気に攻め上ることが決まった。
五月二十二日、泰時が十八騎で鎌倉を発った。
その後を、坂東の大軍が追った。東海道、東山道、北陸道――三つの道を、武士たちが西へ、西へと流れていく。後に十九万騎と称する大軍となるが、その始まりは、わずか十八騎だった。
政子は、出陣の列を見送らなかった。
御所の奥で、ただ、亡き夫の位牌に向かって座っていた。
「……御所様。あなたの武士たちは、立ちましたよ」
位牌は、何も答えなかった。
答えないことが、政子には、夫の返事のように思えた。




