第7話:雪の八幡宮
――建保七年(一二一九年)正月二十七日、鎌倉。
和田の一族が由比ヶ浜に消えてから、六年が経った。
その血を最後に、鎌倉の浜は、御家人の血を吸うことを、やめた。討つべき相手が、もう、残っていなかったからである。
静かになった鎌倉の頂きに、三代将軍実朝がいた。
二十八歳になっていた。歌を詠む将軍だ。京の言葉で歌を詠み、京の官位の階段を、異様な速さで駆け上がっていた。右大臣。武家の身でこの官に昇った者は、いない。
義時は、それを止めなかった。止めなかったけれど、よい兆しとも思っていなかった。実朝には、子がない。源氏の血は、この歌を詠む青年の一身に、細く細く絞られている。
正月二十七日は、右大臣のお礼を述べる儀式だった。
夜になって、雪が積もった。二尺の雪だ。鶴岡八幡宮の石段も、楼門(ろうもん=二階建ての門)も、社の森も白く沈み、千の松明が、その雪を赤く照らした。実朝は正装で、公家たちを従え、参拝の列を進めていく。
義時は、太刀持ちとして列の中にいた。
楼門のあたりで、急に、ひどいめまいがした。立っていられないほどの寒気だった。義時は列を下がる許しを得て、太刀を源仲章に渡し、退いた。ただの病だったのか、何かの虫の知らせだったのか、義時自身、後年まで答えを持たなかった。
社殿の参拝が終わり、実朝が石段を下りてきたときだった。
森の闇から、法師がひとり、跳んだ。
「親の敵は、かく討つ」
叫び声と、太刀の一閃。実朝は石段の上で倒れ、続いて太刀持ちの仲章が斬り伏せられた。法師は実朝の首を取って、雪の闇へ消えた。
公暁。
修善寺で死んだ頼家の、遺児だ。叔父の実朝を、親の敵と信じていた。父・頼家を将軍の座から引きずり下ろし、修善寺へ送って死なせた――その奥に誰の手があったのかを、若い法師がどこまで知っていたのか、それとも何も知らずに、ただ「叔父が父を殺した」とだけ思い詰めていたのか、義時には分からなかった。分からないまま、実朝を失えば次の将軍は北条の思いのままになる、という一事だけが、雪の上に冷たく残った。
その夜のうちに、公暁も討たれた。誰がどこまで糸を引いたのか、引かなかったのか――いろいろに囁かれたけれど、確かなことは、雪の上の血と、ふたつの骸だけだった。
頼朝の血が、絶えた。
御所の奥で、政子は一晩、誰も近づけなかった。夫を送り、長女を送り、頼家を退けて死なせ、今また実朝を失った。尼御台(あまみだい=出家した将軍の妻)の半生は、葬式の列の連なりだった。夜が明けたとき、政子は白い顔で広間に出てきて、重臣たちの前に座り、いつもの声で言った。
「……それで。次は、何を決めればよいのです」
義時は、その声から、耳をそらすことができなかった。
評定は続いた。京から幼い親王を迎えて将軍に立てる案が出され、使者が立った。仕組みは、今日も回っている。将軍が殺された翌朝でさえ、安堵状は発行され、訴えは裁かれ、政所の筆は走っていた。
主君のために死ぬのが、武士の世だ。
その武士の世の頂きから、死ぬべき相手の――主君が、消えた。残ったのは、仕組みと、仕組みを握る北条と、行き場を失った数万の奉公だった。
それでも、鎌倉は揺るがなかった。
揺るがないことが、義時には、いちばん不気味だった。
雪はやみ、八幡宮の石段は、何事もなかったように、白く乾いていった。
第四章 粛清——北条の影 ――完。




