第4話:由比ヶ浜
――元久二年(一二〇五年)六月二十一日、鎌倉。
その疑いを最初に聞いたとき、義時は父の顔をしばらく見つめた。
「畠山が、謀反――?」
言葉が、すぐには出なかった。
畠山重忠。坂東武者の鑑と、敵も味方も呼ぶ男だ。衣笠の負い目を隠さずに頭を下げた帰参。宇治川の徒立ち。鵯越の崖。文治の讒言のときには、食を断って潔白を示した。あの男の四十二年に、染みひとつ見つけるほうが、難しい。
「父上。重忠に限って、それはありえませぬ」
義時は、はっきりと言った。生涯で、父にこれほどはっきり物を言ったことは、数えるほどしかない。
時政は、目を合わせなかった。
疑いの出どころは、分かりきっていた。父の後妻の牧の方と、その娘婿の平賀朝雅だ。京で、朝雅と重忠の息子・重保が、酒の席で諍い(いさかい)を起こした。それだけのことが、牧の方の口を通って、謀反の企てに化けた。
化けた話だと、父も知っているはずだった。知っていて、乗ろうとしている。重忠の武蔵の土地は広い。武蔵を押さえることは、鎌倉の喉元を押さえることだ。北条が武蔵を呑むのに、これほどの好機はない――父の腹の中の損得が、義時には透けて見えた。
見えて、寒気がした。
人を焼く理屈は、簡単に滑らかになる。二年前、自分自身がそう言い切ったときの滑らかさと、今、父の腹で動いている損得は、同じ形をしていた。
「証はあるのですか。重忠が兵を集めたという、その証は」
「あれは坂東一の武辺(ぶへん=武芸の達者)よ。立ってからでは遅い」
「立ちませぬ、あの男は。あの男が立つとすれば、それは――」
それは、こちらが先に裏切ったときだけです。
その言葉を、義時は呑み込んだ。呑み込んだ自分を、生涯忘れないことになる気がした。
翌二十二日の朝、由比ヶ浜で、先に血が流れた。
京から呼び戻された畠山重保が、由比ヶ浜で謀反人として討たれた。手を下したのは、三浦義村の手の者だった。衣笠で重忠に祖父を死なせた、あの三浦だ。二十五年前の借りが、こういう形で、返された。
重保は、父よりも先に、何も知らないまま、死んだ。
縁側で父に問うた、あの少年である。
そして同じ朝、鎌倉の軍は、武蔵へ向けて発った。重忠が謀反の兵を挙げて鎌倉へ向かっている――という名目で、迎え撃ちに出るのだ。本隊の大将は、北条義時だった。
馬上で、義時は一度だけ、空を見た。
六月の空は、腹立たしいほどに晴れていた。




