第5話:紙一枚
――建久三年(一一九二年)、鎌倉。
その武家の都の政所(まんどころ=幕府の政務をとる役所)には、この日もひとつ、訴えが持ち込まれていた。下野の御家人がふたり、沢ひとつを挟んだ田の境を争っている。双方とも、先祖代々おのれの土地だと言って譲らず、国元ではすでに郎党同士が、鍬と薙刀で睨み合っているという。
訴え出たのは、沼尾と、柏倉という。
沼尾は、四十がらみの、日に焼けた男だった。板の間に座るなり、袖から泥のついた木の札を出して、広元の前に置いた。
「これは、某の父が、沢の東の畦に立てていた杭にござる。三十年、そこに立っておった。それを、去年の夏、柏倉の郎党が抜き申した」
柏倉は、それより若い。細い体つきで、指の節だけが太かった。
「杭は、抜けたのでござる。水が出た年に、流れが変わり申した。……沢が動いたのに、境だけが動かぬというのは、どういう理屈にござろうか」
沼尾が、腰を浮かせかけた。柏倉は、動かなかった。
国元ではすでに、双方の郎党が鍬と薙刀で睨み合っているという。
広元は双方の言い分を聞き、古い土地台帳の写しを取り寄せ、沢の名と田の広さを突き合わせた。
「境は、沢の中ほどではない。古い帳面では、沢の東の畦が境とされている。よって境は畦。双方、これに従われよ」
沼尾は、勝ったはずだった。それでも、不満な顔をした。杭を抜かれた三十年分の腹立ちは、書付には書かれていない。
柏倉も、不満な顔をした。水が流れを変えたという言い分は、帳面の前では、何の重さも持たなかった。
ふたりの御家人は、揃って不満な顔のまま頭を下げ、裁定の書付を押し頂いて、国へ帰っていった。刀は、一度も抜かれなかった。
帰る背を見送りながら、広元は思った。十年前なら、あの沢は血で染まっていた。今は紙が一枚で済む。どちらの顔も立たない裁きに、それでも武士が従うのは、書付の向こうに鎌倉殿の眼があるからだ。
広元は、大路を歩きながら、ふと足を止めた。
わたしは、いつから京を懐かしまなくなったのだろう。
兄からは、折々に、京へ戻らないかという手紙が来る。京での官職も、まだ望めば望める歳だ。でも、広元には、もう分かっていた。自分の骨は、この東の都に埋まる。形のなかったところに形を作る仕事は、まだ半ばで、そしてこの仕事は、きっとわたしの代では終わらない。
屋敷に戻ると、子らの声が庭でしていた。
広元はこの東国で、いくつかの土地を授かっている。相模の毛利荘も、そのひとつだ。書付を作る側の自分が、いつのまにか、書付に守られる側にもなっていた。文官の家にも、東国の土に、根が生えたのだ。この根を、いずれどの子が継ぐのか――それは、庭の歓声に任せておけばいい。
広元は、土だらけの幼い子の襟を直してやりながら、思った。
武士とは、何なのだろうな。
京で書物の中に生きていた頃は、武士とは刀を持つ荒くれの別名だった。鎌倉に来て十年、間近で見続けてきた今は、もう少し違うものに見えている。土地に根を張ろうとする、執念のような生き物。その執念に、御恩と奉公という形を着せたのが、この都だった。
形を着せたのは――その半分は、わたしだ。
文官の手が、いちばん深く武士の世を作っている。その可笑しさを、広元は誰にも言わずに、ひとりで味わっていた。




