第6話:将軍の死
――建久十年(一一九九年)正月、鎌倉。
最初の報せは、落馬だった。
前の年の暮れ、相模川の橋の落成を祝う仏事に出た帰り、将軍が馬から落ちた――それだけなら、どこにでもある話だ。でも、将軍はそのまま床に就き、年が明けても起きず、そして正月の十三日、世を去った。
五十三歳だった。
あまりに、あっけなかった。
石橋山の雨を生き延び、富士川で世を裏返し、平家を海に沈め、奥州を平らげ、日の本のすべての武士を御恩と奉公の糸で束ねた男が、橋の祝いの帰り道の落馬で、終わった。死んだ原因について、人々はいろいろに囁いたけれど、確かなことは誰にも分からなかった。分からないまま、葬式の列は組まれ、跡継ぎの頼家が立った。まだ十八歳だった。
広元は、葬式の夜、ひとり政所に残って灯を見ていた。
仕組みは、残った。
守護と地頭は諸国に根を張り、政所と問注所(もんちゅうじょ=裁判を扱う役所)と侍所(さむらいどころ=御家人を束ねる役所)は、今日も書付を回し、御家人たちの土地は帳面の上で守られている。明日も裁きは行われ、安堵状は発行されるだろう。形のなかったところに作った形は、作った男が死んでも、回り続ける。
それこそが広元の仕事の証だった。
証のはずだった。
でも、広元の胸にあるのは、仕事を成し遂げた者の静けさではなかった。
あの方は、ただの要石ではなかった。
御家人たちは、互いに憎み合い、妬み合い、境界を争い合っている。それが殺し合いにならなかったのは、仕組みのおかげである前に、上座に、あの方が座っていたからだ。あの眼に見られていると思えばこそ、刀の柄から手が離れた。坂東武者という、誇りと欲の塊のような男たちを、あの眼だけが、押さえていた。
その眼が、消えた。
跡を継いだのは十八の若者で、その周りには、母方の比企、母方の祖父にあたる北条、古参の重臣たち――それぞれに一族を背負った男たちが、早くも座の順を測り合っている。今日の葬式の列でさえ、誰が前で誰が後かに、見えない肘が突き合わされていた。
仕組みは、人を裁ける。
でも、仕組みのいちばん上で起きる争いだけは、仕組みでは裁けない。裁く者の座そのものの、取り合いだからだ。
灯が、ひとつ揺れた。
広元は筆を取り、明日の政務の書き付けを、いつもどおりの手で書き始めた。文官にできることは、それだけだ。それだけのことを、どんな世になっても、続けていく。それが、この東の都に骨を埋めると決めた男の、奉公だった。
筆を運びながら、広元は耳の奥で、何かの軋む音を聞いた気がした。
気のせいだ、と思おうとした。
思いきれないまま、筆だけが、進んでいった。
第三章 鎌倉——武家の都 ――完。




