第6話:縁側の夕暮れ
――建久八年(一一九七年)秋、鎌倉、畠山の屋敷。
奥州の戦からも、はや八年が経っていた。
頼朝の世は、もう揺るぎなく固まっていた。平家は海に沈み、奥州の藤原氏も滅び、坂東どころか、日の本のすべての武士が、鎌倉に向かって頭を下げている。重忠は三十四になり、戦場よりも、話し合いの座にいる日のほうが、多くなっていた。
父の重能も、武蔵にいる。平家が海に沈んだ年、西で捕らわれた父は、頼朝の計らいで命を助けられ、武蔵へ帰された。敵の側に立った父を持つ、その子の土地は、それでも疑われなかった――いや、一度だけ、疑われた。それが文治の讒言だったけれど、それも晴れた。振り返ってみれば、畠山が鎌倉殿から受けた御恩は、土地の安堵ひとつだけではなかったのだ。
秋の夕暮れだった。
屋敷の縁側で、重忠は具足の小札(こざね=よろいを作る小さな板)を繕っていた。戦もないのに、と笑われながら、手入れだけは、いつも自分でやる。手が覚えていないと、いざというとき、体が動かないからだ。
庭先で、木太刀(きだち=木刀)の素振りの音がしていた。
嫡男の、重保だ。十をいくつか出たばかりの体で、見よう見まねの太刀筋を、飽きもせず繰り返している。
やがて汗だくの重保が、縁側に上がってきた。しばらく父の手元を眺めていたが、ふと、思いついたように言った。
「父上。今日、御所で大人たちが話しているのを聞きました。畠山殿は坂東武者の鑑だ、と。……鑑とは、何のことですか」
重忠は手を止めずに答えた。
「手本、という意味だ。買いかぶりよ」
「では、武者の手本とは、どういう人のことですか。一番強い人ですか」
重忠は、小札から顔を上げた。
夕陽が庭の向こうに落ちかけて、縁側を赤く染めていた。秋の虫が、もう鳴き始めている。
強い人か、と重忠は胸の内で繰り返した。強さなら、いくらでも見てきた。宇治川の流れより強い者はいなかったし、鵯越の崖より強い者もいなかった。人の強さなんて、たかが知れている。
じゃあ、自分は、何で立ってきたのか。
衣笠の負い目を抱えて頭を下げた日。書付一枚に、膝が沈んだ日。投げ飛ばした大串の大声。崖を下りた三日月の背。箸をつけなかった膳。――数えてみると、どれも、強さの話ではなかった。
「重保」
「はい」
「武士とは、御恩を受けた者への奉公を全うする者よ。土地は主君から預かるもの。命もまた、主君への奉公のために預けるもの。それだけのことだ」
重保は、まばたきもせずに父を見ていた。
「分かったか」
「……分かりません。命を、預ける」
「今は分からんでいい。だが覚えておけ。預けたものを惜しめば、武士は立たぬ。土地を惜しめば家が立たず、命を惜しめば名が立たぬ。預けきった者だけが、まっすぐに立てる。……わしの知る限り、それが武士という生き物の、いちばん短い説き方だ」
「父上は、もう、預けてしまったのですか。土地も、命も」
「とうにな」
「では……いつ、返してもらえるのですか」
重忠は、小札を繕う手を、止めなかった。止めないことで、その答えを、はぐらかした。
返してもらえるのかどうか――幼い子が、まっすぐ理屈をたどって行き着いた、その問いに、重忠は、答えを持っていなかった。持っていないことを、子に悟らせたくは、なかった。
重保は、父の沈黙を、それなりの答えと受け取ったらしい。しばらく黙って考えていたけれど、やがて子供らしい速さで頷くと、もう一度庭へ下りて、木太刀を振り始めた。
重忠は、その背中を見ていた。
夕陽は沈み、庭は藍色に変わっていく。素振りの音だけが、規則正しく続いている。
預けたものは、いつか返してもらう日が、来るのか。それとも、預けたまま終わるのか。それは、預けた側が決めることじゃない――そこまで考えて、重忠は小さく首を振って、考えるのをやめた。
例外は、もう起きない。この世は、固まったのだ。あとはこの子らの代まで、御恩と奉公の糸が、まっすぐ続いていくだけ――。
縁側の端で、繕い終えた具足が、最後の残光を、鈍く返していた。
虫の音が、夜に変わっていく庭に、満ちていった。
第二章 坂東武者——畠山重忠の誓い ――完。




