第4話:鵯越
――寿永三年(一一八四年)二月、摂津国一ノ谷。
その崖を初めて見上げたとき、郎党たちはみんな、黙り込んだ。
一ノ谷の裏手、鵯越。崖というより、もう壁だった。鹿は下りる、と土地の猟師は言った。鹿が下りるなら、馬も下りる、と軍の大将は言ったという。九郎義経――頼朝の末弟で、義仲を破ったばかりの若い大将だ。重忠たち七十騎ばかりは、その搦手(からめて=敵の裏手を突く部隊)に組み入れられていた。
夜明け、崖の上に軍は立った。
眼下に、平家の陣が見えた。海を背に、城の門を西と東に固め、白い旗ではなく赤い旗が、浜を埋めている。あの固めを正面から破るのは、難しい。だから、ここから下りるのだ。
義経の手勢が、先に馬を乗り入れた。砂と石が崩れ落ち、馬が尻から滑り落ちていく。続け、と声が上がって、武者たちが次々に崖へ消えていった。
重忠は、馬を下りた。
「三日月は、わたしが連れて下りる」
郎党が止める間もなかった。重忠は愛馬の脚を組ませて背に負うと、太刀を杖に、徒歩で崖を下り始めたのである。
馬で滑り下りれば、早い。でも、脚を折る馬が、続出していた。三日月は、秩父の山で育てた馬だ。畠山の郎党が手塩にかけ、戦のたびに重忠の命を乗せてきた。道具ではない。家族だ。その家族を、博打のような滑り台に乗せるわけには、いかない。
――この崖下りは、その日のうちから、尾ひれをつけて語られ始めた。畠山重忠は、怪力で馬を担いで崖を駆け下りたそうな、と。本当のところは、背に負うたのは崖のいちばん険しいひと区切りだけで、あとは馬の口を取って、一歩ずつ下りただけ。でも、「馬を背負った男」という評判は、敵味方の陣を駆け巡って、もう本人の手の届かないところまで、歩き出していた。
浜に下り立ったときには、戦はもう、崩れ始めていた。
裏手からの奇襲に、平家の陣は背中から裂けた。門の内側で火が上がり、楯の列が内から倒れ、赤い旗が浜を東へ西へ逃げ惑った。馬を捨てて海へ走る武者、鎧の重みのまま波に沈む武者、渚で一人だけ振り返って太刀を構える武者。重忠は三日月に跨がって、乱戦の中を駆けた。名のある敵と二度組みかけ、二度とも相手は名乗りの途中で、味方の崩れに呑まれて流された。戦というより、堤が切れたような、景色だった。
夕方、浜は静かになった。
平家の公達(きんだち=貴族の若君)の首がいくつも並び、坂東武者たちは手柄の言い立てに忙しい。その騒がしさの端で、重忠は、海を見ていた。
沖に、平家の船団が浮かんでいた。
あの船のどこかに、父がいるかもしれない。
大番役で京にいた父・重能は、平家の都落ちに連れられて、西へ下っていた。人質も同然だ。今日のこの戦で、畠山の子は平家を破り、畠山の父は、破られた側の船にいる。
郎党が、遠慮がちに声をかけてきた。
「殿。本陣より、おほめのお言葉にございます。崖の一番乗りの衆に、恩賞があると」
重忠は頷いた。頷いてから、もう一度だけ、海を見た。
御恩は、ありがたい。働きが報われる世は、まっすぐで、いい世だ。でも、そのまっすぐな働きの場で、同じ家の者同士が、敵と味方に裂かれている。それもまた、武士の世だった。
三日月の首を、重忠は黙って撫でた。
濡れた砂に、夕陽が赤く沈みかけていた。




