第3話:宇治川
――寿永三年(一一八四年)正月、京。
その冷たさを振り払うように、戦が来た。
年が明けて、出陣の触れが出た。京で好き勝手にふるまう木曽義仲を、討つための戦だ。重忠は畠山の手勢を率いて、東海道を西へ上った。生まれて初めて見る京は、戦と飢えで、すっかり荒れ果てていた。
宇治川の岸に立ったのは、正月の二十日だった。
雪解けで、川は膨れ上がっていた。対岸には義仲方が楯を並べ、川底には乱杭(らんぐい=水中に打ち込んだ杭)と大綱が仕掛けてあるという。誰が先に渡るか――坂東武者たちの目の色が、変わっていた。
先陣だ。
戦場で一番に敵地を踏む。その名誉は歌に詠われ、鎌倉に届き、やがて御恩になって返ってくる。命懸けの先陣争いは、坂東武者にとって、ただの博打ではなく、暮らしの算段の、延長だった。
佐々木高綱と梶原景季が、馬で川に乗り入れて先を争った。あの、名高い先陣争いだ。でも重忠は、それを横目に、馬を使わなかった。
「徒立ち(かちだち=徒歩)で渡る。続け」
五百騎を岸に残して、郎党とともに徒歩で水に入った。大綱を太刀で切り払い、足で川底を探りながら渡る。胸まで水に浸かったとき、後ろで若い声が悲鳴を上げた。大串重親――重忠の烏帽子子(えぼしご=親代わりの縁を結んだ若者)だ。流れに足を取られ、押し流されながら、重忠の鎧の袖に、しがみついてきた。
「し、重忠様、お助けを」
「掴まるなら、しっかり掴まれ」
重忠は左手で大串の鎧の襟首を掴むと、そのまま水から引き抜き、対岸の土手の上へ放り投げた。
投げられた大串は土手に転がり、跳ね起きると、両手を上げて大声を上げた。
「武蔵の住人、大串次郎重親、宇治川徒立ちの先陣なり」
敵も味方も、どっと笑った。投げられて先陣も、あったものじゃない。でも、その笑いの中で、重忠は妙に納得していた。これでいい。先陣の名は、若い者が取ればいい。畠山の役目は、五百騎を一騎も溺れさせずに、渡しきることだ。
戦は、その日のうちに決着した。
義仲は、近江へ落ちる途中で討たれた。
木曽の山から出て、倶利伽羅の谷に平家の大軍を沈め、京を制した男だった。その武勇は、坂東にまで轟いていた。でも、武で京を奪った義仲は、京を治める力を持っていなかった。朝廷をまとめられず、味方も作れず、たった半年で、頼朝の差し向けた軍に呑まれた。あれほど強い男が、どうして、こんなにあっけなく消えたのか。武勇だけでは、もう、世は回らないのかもしれない――若い重忠の胸を、その思いがかすめて過ぎた。でも、その答えを、重忠はまだ持っていなかった。
重忠たち坂東の軍は、返す刀で、そのまま西へ向かうことになる。京の向こう、福原に、平家の軍が城を構えて待っていた。
行軍の夜、火のそばで大串が、まだ先陣の自慢話をしていた。郎党たちが笑い転げている。
重忠はそれを聞きながら、ふと、あの鎌倉の冬の報せを思い出していた。
戦場の働きは、こんなにも明るい。働けば名が立ち、名が立てば御恩が返る。単純で、まっすぐで、嘘がない。
なのに――あの双六の席の刃は、いったい何だったのか。
火の粉が爆ぜて、重忠は考えるのをやめた。明日も、戦だ。




