第8話:長篠・前哨
――天正三年(一五七五年)五月、三河・長篠。
武田の旗が、三河の野に、満ちていた。
信玄は、二年前に、死んでいる。上洛の途中、病に倒れ、世を去った。その跡を継いだのが、四男の勝頼だった。諏訪の血を引く、若い当主である。父の遺した、戦国最強と謳われた騎馬の軍団を、勝頼は、受け継いでいた。
その勝頼が、一万五千の大軍で、三河へ攻め込んだ。
狙いは、長篠の城だった。徳川方の、小さな城である。城を守るのは、奥平貞昌。兵は、五百ほどしかいなかった。武田の大軍は、その小城を、幾重にも囲んだ。
五百で、一万五千を、防ぐ。
できるはずの、ない戦だった。でも、奥平の兵は、よく守った。寄せ手を、何度も、押し返した。それでも、囲みは解けず、城の蔵の米は、日に日に減っていった。このままでは、いずれ、力尽きる。城は、援軍を、待っていた。
その援軍が、来るのかどうか。
それを確かめ、味方に城の苦しさを伝えるため、一人の足軽が、城を、抜け出した。
鳥居強右衛門という。
夜陰に乗じて、城の下の川へ、身を沈めた。武田の囲みは、川の底に網を張り、鳴子を仕掛けて、抜け出る者を見張っていた。強右衛門は、水に潜り、その網をかいくぐって、囲みの外へ、出た。そして、夜を徹して走り、岡崎の、徳川家康と織田信長のもとへ、たどり着いた。
援軍は、来る。
信長と家康の大軍が、すでに、長篠へ向かっている。強右衛門は、それを聞いて、踵を返した。一刻も早く、城の味方に、援軍来る、と伝えねばならぬ。喜びを抱えて、強右衛門は、また走った。
でも、城の近くで、強右衛門は、武田の兵に、捕らえられた。
武田方は、強右衛門に、取り引きを持ちかけた。
城へ向かって、こう叫べ――援軍は、来ない。あきらめて、城を明け渡せ、と。そう叫べば、命を助け、褒美も取らせる。叫ばねば、殺す。強右衛門は、武田の陣の前に引き出され、城から見える場所に、縛り上げられた。城の味方が、固唾を呑んで、見守っていた。
強右衛門は、城に向かって、声を、張り上げた。
「援軍は、来るぞ。あと二日、持ちこたえよ。信長公、家康公の大軍が、すぐそこまで来ておる」
武田方の取り引きを、強右衛門は、踏みにじった。
助かる道を、自分で、蹴った。味方に、本当のことを伝え、希望を残すために、目の前の命を、捨てた。武田の兵は、激高して、強右衛門を、その場で殺した。串刺しにされた、とも伝わる。
でも、城の味方は、聞いた。
援軍は、来る。あと二日。強右衛門の最後の叫びが、五百の兵に、力を与えた。城は、持ちこたえた。
武士とは、何か。
この乱世にあって、誰も、その問いに、言葉では答えなかった。でも、鳥居強右衛門という一人の足軽は、言葉ではなく、その死にざまで、答えてみせた。家柄もない、田もない、名もない男が、味方のために、助かる道を捨てて死んだ。土地のためでも、御恩のためでもない。ただ、味方を欺かぬために、死んだ。
その死を、信長は、知らない。
知らぬまま、信長と家康の大軍は、長篠の西、設楽原に、着いた。
設楽原は、小さな川と、低い丘の連なる、起伏のある野だった。
信長は、その野に、柵を組ませた。
馬防柵という。丸太を縄で結わえ、三重にも、馬の足を止める柵を、川の向こう岸に沿って、延々と築かせた。柵の内には、鉄炮を構えた兵を、ずらりと並べた。その数、三千挺とも伝わる。田を持たぬ、城下に養われた兵たちである。季節を問わず動き、命じられれば、引き金を引く兵だった。
信長は、待つ気だった。
武田の騎馬が、柵に向かって、突っ込んでくるのを、待つ。突っ込んでくれば、鉄炮で、撃つ。来なければ、それでもよい。攻め急がず、相手が焦れて動くのを、待つ。それが、信長の腹だった。
でも、武田を動かすために、信長は、一手を打った。
夜のうちに、徳川の将・酒井忠次に、別の一隊を率いさせ、長篠城を囲む武田の背後へ、回り込ませた。鳶ヶ巣山の砦である。忠次の兵は、夜明けとともに、その砦に奇襲をかけ、武田の囲みを、後ろから突き崩した。
これで、武田は、退くに退けなくなった。
背後を脅かされ、目の前には織田徳川の大軍。勝頼は、決断を、迫られた。
その夜、武田の陣では、評定が、開かれていた。
勝頼を囲んで、父・信玄の代からの老将たちが、並んでいた。馬場信春、山県昌景、内藤昌豊――歴戦の、老将たちである。彼らは、戦うことに、慎重だった。
退くべきだ、と老将たちは、説いた、と伝わる。
敵は、柵を築き、鉄炮を並べて、待ち構えている。こちらから攻めかかれば、その柵と鉄炮の餌食になる。ここは、無理に戦わず、兵を退いて、また機を待つべきだ――老いた将たちは、長年の戦で培った勘で、そう感じていた。
でも、勝頼は、退かなかった。
退けば、武田の騎馬は、織田の柵に怖じ気づいて逃げた、と言われる。父・信玄が築いた、最強の名が、傷つく。背後は酒井に脅かされ、ここで退けば、追い討ちをかけられる。そして何より、勝頼には、父を超えたいという、若い当主の意地があった。父が落とせなかった敵を、自分の代で、打ち破る。
戦う、と勝頼は、決めた。
この評定で何が語られたか、本当のところは、わからない。老将が退却を説いたという話も、後の世の軍記が、勝頼の敗北を惜しんで、描いたものかもしれない。確かなのは、夜が明ければ、武田の騎馬が、織田の柵に向かって、駆け出す、ということだけだった。
その夜、雨が、降った。
雨は、鉄炮の火縄を、湿らせる。武田にとって、わずかな、希望だった。
設楽原を挟んで、二つの軍が、夜明けを、待っていた。
古い最強と、新しい兵器が、向かい合っていた。




