第3話:殿中御掟
――永禄十二年(一五六九年)正月、京・本圀寺。
年が明けて間もなく、京に、火の手が上がった。
三好の残党が、将軍・義昭の仮の御所である本圀寺を、急襲したのである。信長は、上洛を果たすと、軍の大半を、国元へ帰していた。京の守りは、薄い。三好三人衆は、その隙を突いた。据えられたばかりの将軍の座を、力ずくで、もう一度覆すために。
寺は、囲まれた。
守る兵は、わずかだった。その中に、明智光秀がいた。
光秀は、もとは美濃の出と言われる、諸国を流れた武士だった。連歌をよくし、朝廷の儀式や作法に通じ、鉄炮の扱いも心得ている。教養と実務の、両方を持つ男だった。その光秀が、今は、二人の主に仕えていた。将軍・義昭と、信長と、両方にである。
光秀は、寺の門で、防いだ。
自ら鉄炮を取り、寄せ手を撃ち、囲みを支えた。将軍を、死なせてはならない。将軍が死ねば、組み直されかけた世の階段が、また崩れる。光秀にとって、この防戦は、誰かへの奉公である前に、道理を守る戦だった。やがて近隣の味方が駆けつけ、三好勢は、討ち払われた。
報せを受けた信長は、岐阜から、駆けた。
折からの大雪の中を、わずか二日で京へ着いた、と伝わる。供の多くは、途中で置き去りになった。着いたとき、戦は、もう終わっていた。でも、京じゅうが、その速さに、息を呑んだ。この男は、来るとなれば、雪も、距離も、ものともせずに来る。
信長は、将軍のために、城を築き始めた。
二条の地に、堀をめぐらせ、石垣を積んだ、堅固な御所である。信長は自ら普請場に立ち、石が足りねば、京の石仏を引き倒してでも、運ばせた。将軍の身は、これで、守られた。
光秀にとって、義昭の上洛は、世の道理が戻ることだった。
将軍があり、その下に大名があり、それぞれが身の程を守る。応仁以来、崩れに崩れた世の階段が、足利の血とともに、もう一度組み直される。光秀は、それを、信じたかった。信じて、その手伝いをするために、信長という力を、使っているつもりだった。本圀寺の門で銃を取ったのも、そのためだった。
でも、同じ正月のうちに、信長は、将軍に一枚の掟書を突きつけた。
殿中の御掟、という。将軍が、勝手に諸国へ書状を出すことを禁じ、訴えごとは信長を通せ、と定めた決まりだった。将軍の手足を、縛る紙である。義昭は、署名した。署名する以外に、道がなかった。後ろ盾の力で座に就いた者は、その後ろ盾に、首根を押さえられる。
光秀は、その掟書を、写しで読んだ。
胸の奥が、冷えた。これは、世の道理を戻すための紙ではない。将軍を、道具にするための紙だった。命がけで守ったはずの将軍が、討たれもせず、追われもせず、ただ、棚の上の飾りにされていく。生かされたまま、骨を抜かれていく。守る手と、縛る手が、同じ男の手だった。
光秀は、自分に言い聞かせた。
今は、移り変わりの時だ。乱を鎮めるには、強い力がいる。信長の厳しさは、世を立て直すための、一時の厳しさだ。やがて将軍の威が戻り、道理が戻る。そのときまでの、辛抱だ――と。
そう信じなければ、二人の主に仕える己が、立たなかった。
信長は、光秀のそういう屈託を、見抜いていたかもしれない。でも、何も言わなかった。使える者は、使う。教養も、作法も、連歌も、役に立つあいだは、道具棚に並べておく。役に立たなくなれば、外す。それだけのことだった。
京の冬が、明けていった。
将軍は座にあり、信長は実を握り、光秀は、その間で、笑みを絶やさずに立っていた。世は、静まったように見えた。
でも、信長は、もう次を見ていた。
従わぬ者を、従わせる。京に来て頭を下げぬ大名を、力で、布く。その筆頭が、北にいた。越前の、朝倉である。




