第2話:上洛
――永禄十一年(一五六八年)九月、近江。
信長は、一人の貴公子を奉じて、京へ上った。
足利義昭という。十三代将軍・足利義輝の弟だ。兄の義輝は、三年前、三好と松永の手の者に、京の二条の御所で討たれた。将軍が、家臣に、斬られた。足利の血は、もはや、誰からも守られていなかった。
義昭は、その血を抱えて、諸国を流れた。
越前の朝倉を頼り、なかなか動かぬ朝倉に見切りをつけ、若狭をさまよい、最後に、美濃の信長を頼った。信長は、引き受けた。足利の血を、京の座に戻してやる、と。
将軍を、つくる。
それは、武力で天下に布く、という男の言葉に、ちょうど都合のよい看板だった。義昭という血があれば、信長の上洛は、自分の野心ではなく、将軍家の立て直しになる。名分が、立つ。信長は、その名分を、欲しがった。欲しがったけれど、ありがたがってはいなかった。
三万を超える軍が、美濃から近江へ、なだれ込んだ。
近江の南半分は、六角の国だ。佐々木の流れを汲む、守護の名門だった。その当主・六角承禎は、義昭を将軍に立てる信長の上洛に、頭を下げなかった。観音寺の山に城を構え、いくつもの支えの城を連ねて、街道をふさいだ。
信長は、評定を、開かなかった。
どの城から攻めるか、誰に任せるか――そういう相談を、この男は、好まない。地図を見て、指を一つ置いた。箕作城。観音寺を守る、支えの城の一つである。
「ここを、今夜、落とす」
諸将は、顔を見合わせた。
日は、もう傾いている。城攻めは、夜が明けてからのものだった。攻める側は、足場の悪い夜を嫌う。それが、戦の常識だった。でも、信長は、その常識を、待つ気がなかった。
箕作城は、その夜のうちに、落ちた。
松明を掲げた織田の兵が、闇にまぎれて山肌を這い登り、夜の城に火を放った。一夜で支えの城を失った六角承禎は、本城の観音寺を、戦わずに捨てた。甲賀の山へ、逃げた。佐々木の名門は、城に拠って戦うことすら、許されなかった。
南近江は、数日で、信長のものになった。
名門が、数日で消える。岐阜で井ノ口の名が一言で消えたのと、同じ速さだった。
信長は、京に入った。
永禄十一年の秋、義昭は、十五代将軍に立った。足利の血が、京の座に、戻った。義昭は、喜んだ。涙を流して喜び、信長を、御父とも頼む、と言った。父のように頼る、という意味である。諸国を流れた貴公子が、ようやく見つけた、後ろ盾だった。
義昭は、信長に、報いようとした。
管領にするか、副将軍にするか。将軍家の高い位を、与えようとした。武士なら、誰もが欲しがる位である。
信長は、断った。
「位は、いりませぬ」
将軍は、戸惑った。
ならば、何が欲しいのか。信長が望んだのは、堺、大津、草津――三つの町だった。位ではなく、町。家格ではなく、銭の集まる場所。堺は、天下一の港町である。鉄炮も、火薬も、唐の品も、世の富のほとんどが、堺を通った。信長は、その富の蛇口を、握ろうとした。
義昭には、その望みの意味が、すぐにはわからなかった。
位を断り、町を求める。そんな武士を、将軍は、見たことがなかった。その戸惑いを置き去りにして、南の湊から、新しい力の匂いのする風が、京へ、吹き込み始めていた。




