第6話:国の形
――永禄八年(一五六五年)、甲斐と越後。
川中島の対陣の、合間の年月に。
二人の男は、それぞれの国で、まるで違うものを、築いていた。
甲斐の信玄は、国を、作っていた。
暴れる釜無川と御勅使川を、治めるために、信玄は、巨大な堤を、築かせた。後の世に、信玄堤と呼ばれる、川を治める工事である。溢れを繰り返した土地が、堤によって、守られ、田になった。貧しかった甲斐の実りが、上がった。
法も、定めた。
甲州法度。武田の領国を、束ねる、自前の法である。家臣の争いを裁き、罪と罰を明らかにし、国を、法で、治める。金山を、活かした。掘り出した金が、武田の富を、支えた。道を、引いた。軍が、領国を、素早く移動できるように。
そして、信玄は、人を、まとめあげた。
武田の家臣団は、当代、最も精強と謳われた。
馬場信春。歴戦の老将。山県昌景。赤い具足で揃えた、最強の部隊を率いる猛将。内藤昌豊。高坂昌信。――武田四名臣と呼ばれた、四人の将を筆頭に、武田の軍は、一つの、よくまとまった、組織だった。一人の英雄の武勇ではなく、組織そのものが、強い。
信玄は、言った。
「人は城、人は石垣、人は堀よ」
城も、石垣も、堀も要らない。人さえ、しっかりとまとめあげれば、それが、最強の守りになる。武田には、堅固な城が、少なかった。でも、それでよかった。信玄にとって、城とは、人だった。
信玄にとって、武士とは、何か。
国を、保つ者だった。
川を治め、法を定め、民を富ませ、家臣をまとめ、国を強く、豊かに保ち続ける者。戦は、その国を守り、広げるための、手立てに過ぎない。信玄の武士の道は、戦場ではなく、国の切り盛りの中に、あった。
一方、越後の謙信は――国を、作らなかった。
いや、作れなかった、というより、興味が、なかった。
謙信の越後は、国人たちの、ゆるやかなまとまりだった。謙信という、一人の、人を惹きつける力を持つ男が、その武勇と義によって、彼らを、束ねていた。でも、信玄のような、細やかな法も、大がかりな川の工事も、まとめあげられた家臣団も、謙信は、ついに築かなかった。
謙信の国は、謙信、その人だった。
謙信が戦場に立てば、越後は、最強になる。でも、謙信がいなければ、越後は、ただの、国人の寄り合いに、戻ってしまう。仕組みではなく、一人の人間に、すべてが、懸かっていた。
組織の、甲斐。
個人の、越後。
二人の「国の形」は、これほどまでに、違っていた。
でも――この二人には、一つ、共通する、限界があった。
兵と農を分ける前の、最強だったことだ。
信玄の兵も、謙信の兵も、半ばは、百姓だった。田植えと稲刈りの時期には、戦が、できない。雪が積もれば、謙信は、越後に、閉じ込められる。甲斐も越後も、山深く、中央から遠い。そして、二人とも、いつか、老いて、死ぬ。
国を富ませることに長けた信玄も。
戦に神懸かった謙信も。
その最強は、地理と、雪と、寿命と、兵と農がまだ分かれていないという、時代の枠の中の、最強だった。その枠を超えて、天下へ届くには――二人は、あまりに、東に、いすぎた。あまりに、古い兵の、頂点に、いすぎた。
やがて、西から、その枠そのものを、壊す男が、現れる。
兵と農を分け、年中戦える軍を作り、鉄砲を束ね、しきたりを壊す男が。
でも、信玄も、謙信も、その男が天下を握るのを、見ることは、なかった。
二人の最強は、新しい時代が来る、その手前で、終わる。




