第3話:信濃を呑む
――天文十一年(一五四二年)、信濃。
信玄は、南と北の山を、見ていた。
南は、駿河の今川。東は、相模の北条。この二つとは、結ぶ道を、探っていた。やがて結ばれる、甲相駿の三国同盟である。背後を固めれば、信玄が、力を注ぐべき方角は、一つに、絞られた。
北。
信濃である。
甲斐の北に広がる、信濃の国。そこを、呑む。信玄の、領国を広げる戦は、この信濃攻めを、軸に、進められた。
まず、諏訪を、攻めた。
諏訪は、信濃の名族・諏訪頼重の、地である。信玄は、一度は頼重と結びながら、機を見て、これを、裏切った。頼重を攻め、降し、そして、自害に追い込んだ。諏訪の家を、信玄は、滅ぼした。
その滅ぼした諏訪頼重の、娘を。
信玄は、自らの側室に、迎えた。
父を、自分が滅ぼした、その娘を。残酷な話だった。でも、信玄は、そういう男だった。諏訪の血を、自らの家に取り込むことで、諏訪の地の支配を、確かなものにする。冷たい、計算だった。
その娘が、何を思って、父を滅ぼした男の傍らに侍ったのか。記録は、何も、語らない。彼女の名すら、確かには、伝わっていない。父を奪われ、家を奪われ、その奪った当の男の子を産む――その胸の内を、誰も、書き残さなかった。
ただ、一つだけ、確かなことが、ある。
滅ぼされた家の娘は、滅ぼした男の、子を産んだ。その子の血の半分は、信玄のものであり、もう半分は、信玄が絶やしたはずの諏訪の、ものだった。諏訪の血は、滅びてはいなかった。武田の、いちばん奥深くへ、静かに、入り込んでいた。
その子の名を、四郎勝頼という。
のちに、武田の家を継ぎ――そして、武田を、滅亡へと導く男である。信玄が滅ぼした家の娘が産んだ子が、信玄の築いた武田を、滅ぼす。その、長い因果の糸は、このとき、まだ、誰の眼にも、見えていなかった。
信濃の征服は、しかし、容易では、なかった。
北信濃に、村上義清という、手強い豪族がいた。
信玄は、この村上に、二度、苦い負けを、味わわされた。上田原の戦いでは、信玄自身が傷を負い、重臣を失った。砥石崩れ(といしくずれ)と呼ばれる戦いでは、堅城・砥石城を攻めあぐね、惨敗を喫した。切り盛りの天才・信玄も、戦場では、負けることが、あった。村上義清は、信玄が、最も手こずった敵だった。
その砥石城を、信玄に代わって、落とした男がいた。
真田幸隆。
信濃の、小さな国人である。信玄が力攻めで落とせなかった砥石城を、幸隆は、策略で――城内の者を、内通させ、戦わずして、奪い取った。この幸隆こそ、のちに、武田を支え、さらにのちの世に、真田幸村という名で天下に知られる一族の、祖であった。信玄の信濃攻めの中から、真田の家が、頭角を、現していく。
村上義清は、ついに、信濃を、追われた。
二度も信玄を破った豪族が、最後は、本拠を失い、北へ、落ちていった。
追われたのは、村上だけでは、なかった。
信濃の守護・小笠原長時も、信玄に、土地を奪われた。
小笠原――鎌倉の昔、頼朝に弓馬の礼法を教えた、あの名門である。長清に始まり、貞宗が信濃守護となり、弓と馬と礼法の家として、武家の作法を、代々、伝えてきた家。その小笠原が、塩尻峠に敗れ、林城を追われ、信濃を、追われた。弓馬礼法の名門が、土地を失い、さすらいの身となって、各地を、流れていく。
土地を、追われた者たちは。
村上義清も、小笠原長時も、北を、目指した。
越後の、毘沙門の子のもとへ。
義のためなら、雪の峠を越えて兵を出すという、あの男のもとへ。土地を追われた信濃の武士たちは、謙信に、すがった。我らの土地を、取り戻してくれ。信玄を、討ってくれ、と。
謙信は、その訴えを、受けた。
義のために。土地を追われた者たちのために。
こうして――信玄の信濃攻めが、謙信の義を、呼び寄せた。
甲斐の虎と、越後の龍が、北信濃で、向かい合う。
その川原の名を、川中島といった。




